DJカートン.mmix

それって早い話「金儲けのための忖度」って事では。

どうする明

今年の詰将棋全国大会、「全詰連内部では実施する方向」で話が進んでいる(…と、詰パラ3月号には書かれている)らしいが、運営を担うであろう香龍会のメンバーたちは「極めて消極的」と、温度差がありまくるようである。

自分の手元には3月3日の時点で未だにパラが届いていない!が、香龍会のメールグループのやり取りで上記のような状態である事を知った。

 

全詰連が開催に踏み切った理由(3月号に掲載の記事の要約)は

C19【*1】が2類から5類に変更される事に伴いイベントの人数制限が大きく緩和されるので『これなら開催できるのではないか』という意見が大勢を占めた

 

…「こいつらは自民党かJOCか?」と思った。病名や分類を変える事で危険度が下がるというのなら今頃人類はインフルエンザとかエボラとかも「風邪」と名称を変える事でとっくの昔に克服しているはずである。

メールグループのやり取りの中には「やりたい人がやってくれ」と完全に匙を投げた人もいるが、彼らの主張とやり方(早い話が「何かあった時の責任を香龍会に押し付けようとしている」を聞いたら匙を投げたくなっても不思議ではないと思う。自分には「東海地区の全国大会に参加したい(してほしい)個人的な理由(目的)」があるとは言え、こういう(まだまだ予断を許さない)情勢下での強硬開催はさすがに支持できない*2…もっとも自分は「2023年も開催は難しそう」と予測して端から遠征計画を立てていないので【*3】、今更やるとか言われてもどうにもならない。

 

もし全詰連がそこまで全国大会を開催したいというのならいっその事「藤井聡太来場予定!」と大々的に触れ回ったらどうだ、と思う【*4】。おそらく全国から「俄か(大半はマスコミ?)」が集まるからそこで何が起きるか、というのをその目で確かめたらいいと思う。

 

…とりあえず全詰連が解決すべきなのは全国大会の開催よりも

詰パラ遅配問題

ではなかろうか(グループメール登録者=東海地区在住の中にも「1日に届いていない」人が多いようなので)。

*1:「新型」という単語を使わなくなるのならいっその事(COVID-19を更に)ここまで略した方がスッキリすると思う(ので自分は今後この呼称で通すつもり)。

*2:仮に今年実施されて参加してもこういう情勢下で「目的」を達成できる可能性は極めて低いと思われるし、「全国大会以外の方法で」目的を達成する手段もないわけではないので私情を押し通す意味もない。

*3:その一方で8月上旬のレディースチャンピオン(開催地はボートレース津)観戦計画はおおよそ出来上がっていたりする(笑)。

*4:勿論香龍会ではなく「全詰連の」運営で。本人には「壇上で一言挨拶」でもしてもらえばとりあえず「嘘にはならない」し。

…遅ぇよ。

2月8日の対局で増田康宏六段は順位戦B1昇級と七段昇段を手にした。この事に対する自分の第一印象は

…遅ぇよ。

本来なら2年か3年くらい早く昇級している(今頃はA級以上にいてタイトルも取っている)はずだったのに、気が付くと本人も将棋界もこの体たらくである。

 

最近はトイレ(大の方)がやけに長い人をよく見かける。例えば「個室」が3つあるトイレの場合、まずどれか1つが空くのに5分くらい待たされ、ようやく出てきたところに自分が入り、そして用を済ませて個室を出ると残り2つの個室はまだ出てきていない(「流す音」や「扉を開ける音」がしないのですぐ分かる)なんて事がしょっちゅうある。

…遅ぇよ。

と思ってしまう。考えられる事は…

 

1.個室で飯を食っている

所謂「便所飯」というやつ。以前も書いたが「人気という要素の価値が不必要に暴騰している現代の副産物」。それがこういうところにまで影響してくるのだからある意味たまったものではない。

 

2.個室で○マ娘をプレイしている

…上から水をぶっかけたくなる。もっとも「トイレで本や新聞を読む」という人は昔からいた*1】ので今でもそういうブロッカー(それが原因で先に進めなくなる、という要因)がいても不思議ではないが、自分だったら「トイレ中に何かする」という事自体が落ち着かないというか集中できない。

 

…正直上記の2つは「あまり真面目に考えていない」。実際のところはそのほとんどが

3.排便に苦労している

であろう。中には「なかなか出ないので代わりに?○マ娘で△△△を(ガチャで)出そう」と考えている(つまり2.と3.を同時に満たしている)人もいるかも知れないが。

自分は前述のように「後から入って先に出る」事があるくらいなので「便通はいいほう」なのかも知れないが、「体質は人それぞれ」なので責めても仕方ないし(逆に上記1.や2.のような「不法占拠」同然の行為はいくら責めても責め足りないくらい)、自分も時には「渋い」事もあるのでそんな事を責める資格なんてない。…でもこういう事は得てして「自分を基準で考えてしまう」ので、「…何故そんなに『出ない』のか?」と思ってしまう事も少なくない。

…時折見かけるのが「シャワートイレを浣腸代わりに使用している人」実際に「見た」わけではないけど(笑)、音を聞けばすぐに分かる。もしかしたらこの記事を読んでいる人の中にも「やってる」人がいるかも知れない。…自分はやった事がない。

以前肛門科の医師が書いた記事を読んだ時に「そういう人がいる」という事を初めて知った(それまでは「全くの想像外」だった)わけだが、曰く、「肛門科の先生に相談したら100人中100人が『やめろ』と言う」そうだ。理由として

それなしでは排便できない体質になってしまう

・直腸内に洗浄水が入り込む事で便と混じって(尿漏れならぬ)「便漏れ」が起きる事がある

・肛門周りの皮膚(皮脂の膜)を傷つけ、かゆみや痛みの原因となる→余計に便秘が酷くなったり痔や便漏れの原因にもなる

…考えると非常に怖い話だったりする。またシャワートイレについても

・「的を外した」時に床一面が水浸しになる

・機械の酷使による破損が起きる

という事が起きる。水浸しは更に「ちゃんとふき取る人」「放置する人」とに分かれ、前者だと「待たされる時間が増える(トイレットペーパーを大量に使うので「詰まる」可能性もある)」し、後者だと次に入る人にとって迷惑でしかない。機械の破損、実際には装置本体よりも「配管」のほうが破損する(水漏れする)事の方が多いようだが、それによって「修理のため個室そのものが使えなくなる」という事が起きるのでひいては「渋滞」の原因になってしまう。

つまり「シャワートイレを浣腸代わりに使用する」のは自身も周りの人間も不幸にしてしまう、正に「百害あって一利なし」というのだろう。…別にシャワートイレそのものが悪いわけではなく、肛門科の先生曰く「使い方が悪い」。痔や便漏れで診察に来る人には「使うのは最大でも10秒くらいまで」「便通は食生活などで改善すべし」などと指導しているという。便通を良くするものというと「食物繊維」を思い浮かべるが、自分はトクホのコーラとかファイブミニのでかいやつ*2をよく飲むので便通がいい(良過ぎて「腹が緩くなる」事も多い…)のかな、とか思ったり。

 

…札幌市の「スタンプラリー」。何だかんだあって何とかゴールしたが、個人的には達成感よりも「屈辱感?(考案者に馬鹿にされた感)」の方が強かった。10年くらい前の自分が見たら

…(解くのが)遅ぇよ。

とか言って嘲笑されそうだ(笑)。

「拡大した駅」という単語がパワーワード?になっている(関連検索ワードで「地下鉄 拡大した駅」とかが出てくる)が、自分を含めた多くの人が「ホームを」とか「コンコースを」とかいう方向で考えて延々とハマっている、という事なのだろう。

*1:戦国大名の中にも「トイレで本を読むのが好き」という人がいた、という話を聞いた記憶がある(…誰だっけ?)。つまり少なくとも450年くらい前から「そういう人がいた」事になる。

*2:セブンイレブンで売っている「なんとかファイバー」というやつ。誰かが「ファイブミニのでかいやつ」と言っていたので自分もそう呼ぶ事が多い(笑)。

「ブラック」が世に蔓延る理由?

「コート着用禁止」と宣う校則が話題になっている。自分はちょっと記事を読んだだけ、というかタイトルを見ただけで

…こいつら旧日本軍の生き残りか?

と思った(勿論「こいつら」はその校則を定めた学校の関係者を指している)。そう思った理由は本田宗一郎のエッセイにこれを彷彿とさせるエピソードがあったのを思い出したから。

 

本田宗一郎軍需物資の工場を経営していた(勿論「自ら望んで」の事ではない)時代、ある日突然軍の関係者がやってきて「作業員の作業着を指示してきた」という。…普通の(?)工場ならともかく、そこは「湯(高温で溶かして液体状になった鉄)」を扱う仕事だったのでそれに相応しい(湯が跳ねてきても怪我しないような)作業着を使っていたのだが、軍が指定してきたのは防護対策の欠片のない(軍服の延長のような?)作業着だったという(「ゲートルをつけろ」とか書いてあったような気がするがそもそもゲートルがよくわからん)。無論本田宗一郎は納得するわけがなく、今の作業服を使っている理由を丁寧に説明しても「命令だ」の一言で全く聞く耳を持たない。そして挙句の果てに

大和魂をもって作業に当たれば火の玉(「湯」が跳ねたもの)など恐れるに足らぬ

と言ってきたそうである。…もはやどう表現していいのか分からない「物体」である(何かいい表現・形容があったら教えてほしいくらい)とりあえずハッキリしているのは「こういう寝言をほざく奴がいるから日本は戦争に負けた」という事だろう。

 

このエッセイは確か「間違った精神主義ほど手に負えないものはない。」という文言で締められていたと思うが、考えてみると世の中の「ブラック企業(の社則)」のほとんどがこの「間違った精神主義」を押し通していると言っても過言ではなかろう。もしかしたらそういう経営者の多くは「間違った精神主義」を叩きこまれた軍人の子孫なのかも知れない。

精神的要素が不要だ、などとは思わない。例えば根性のない奴はどんな職についても長続きするとは思えない、あるいは困難に立ち向かえない(すぐに逃げ出す)なのでそういう要素はむしろ「ないと生きていけない」。また物理的に互角な相手が戦った時に最後の最後で勝敗を分けるのが精神面、という事もなくはない。…だが「間違った精神主義」というのはそういう話ではなく、分かりやすく言うなら「上の人間の失敗(あるいは無能)を部下の精神力で補わせる」行為。冒頭の校則についてもこれに近い匂いがプンプンしている。

 

負の遺産という言葉があるが、ブラック企業(や校則とか)もつまるところは軍国主義負の遺産ではないか、と思う。…厳密には遺産というよりは「遺児」と言う方が適切かも知れない。…とんでもない奇形の。

「秘密」の話

2月5日放送の「笑点」で大喜利新メンバーが登場する、という事で、世間では「予想合戦」が繰り広げられているそうだが、正直自分は「別に誰でもええやん」と思っているのでそういう話題に首を突っ込む気にはなれない。まぁ敢えて言うなら「世間に媚びる回答者」はやめてくれ、とは思うが。

 

今の世の中どこを見ても「ネタバレ」が蔓延っているが、こと笑点メンバーに関しては緘口令が徹底して事前漏洩という話を聞かない。…故に「予想合戦」が白熱するのかも知れないが、業界の人間(の一部)は「既に答えを知っている」可能性がある。厳密には「答えを知っている」ではなく「周囲の人の動きから『ほぼ間違いなくあいつだ』という予想ができる」と言ったところだが。

そう言える理由が昨年の桂枝光の落語会で聞けた。

桂枝光にとって桂宮治は「彼が前座の頃から付き合いがある」という噺家で、札幌での二人会でも度々共演している。…2021年の暮れ(メンバー昇格が公表されるよりも前)に桂枝光がいつものように(?)二人会のスケジュールを組むために桂宮治に電話をしたところ、

「すみません、今予定が組めないんです」

と言われ、理由を聞くと

「すみません、とにかく今どうしても予定が組めないんです」

と言われたという。桂枝光はこの時

「あ、あいつ次の笑点メンバーに決まったな」

と察した(実際その通りになった)、という話をされていた。言うなれば業界の人間だから知り得る「状況証拠」というやつ。そしてこの話は「関係者の口の堅さ」を感じさせるエピソードでもある【*1】。

 

…それに引き換え世間の「口の緩さ」は何なのだろう、と思う。今の世代は義務教育で「秘密はバラすもの」とでも教育されたのではないか、と疑いたくなる事もある。所謂「バカッター」がゲームのデバッグに携わったらかなりの高確率で開発中のゲームに関するネタバレをしそうである(ちなみに情報漏洩の犯人が特定されると「億単位の損害賠償」が発生する事もある)。

自分はその辺は弁えているつもり…と言ってもその境界線は実に曖昧で、「既に世間に知られているだろう」と思って口を突いた事が実はアウトだった、なんて事もあるので迂闊な事を言えない【*2】。そういう時は「その話題には一切触れない」のが確実である。たとえ人気コンテンツの話でも「それ興味ないから…」で終わらせる…というかそういう生き方をしないと「いつ口を滑らせるか分からない」*3

そしてそういう業界で働いていると「ネタバレする奴を嫌悪する」と同時に「罵詈雑言がかわいいもの」に見えてくる事もある。…それはそれでヤバいけど(笑)。

*1:関係者全員に「情報をもらしたらクビ(メンバーだったら降板)」という誓約書を書かせている、という噂もあるらしいが…

*2:オンライン系のゲームだと「普通のプレイヤーでは知り得ない行動を取っている」という理由で咎められる事もある。

*3:取引先によっては「○○のデバッグに携わっている」と言った時点でアウト、という事もあるので。

また八百長かよ

札幌市内で開催されている謎解きイベントに首を突っ込んでみたのだが、表現がぼやけ過ぎて何を言いたいのか分からない文言複数の解釈が可能な文言が多くて「どうしてくれようぞ」という心境。前者はともかく【*1後者はさすがにアカンと思う。

 

…本題。ボートレース業界でまたしても八百長疑惑が沸き起こっている。…というか今回の場合「疑惑」を通り越して「クロ」と決めつけてもいいレベルの話。

(自分はリアルタイムでそのレースを見ていた&投票したわけでないので)ネットとかの記事をまとめるとこんな感じ。

・該当レースは22年10月27日、下関10R

・レースは1号艇の「中村【*2】」が6着に敗れ、3連単は6-3-4で29,810円

・人気薄の6号艇(しかもB級)が勝った割りにはその払戻が不自然に安い、という疑惑が生じる【*3

・全体のオッズの変動を見るに「2~6のBOX」に対する大口投票があったと見られ【*4】、結果レース売上は直前直後のレース(どちらも5000万円くらい)と比べて不自然な金額(9600万円くらい)となった

 

人気の1号艇が敗れる事は別に珍しい事ではないし、大口購入も全くないわけではない。というより最近はその発生率が以前よりは高いような気もするが(原因はY●uTuber?)、それでも投票対象は多くても4点くらい。なので「2~6のBOX」という60点の大口購入というのはさすがに「不自然」。

…以前八百長する(予定の)レースで2~6BOXを買えばほぼノーリスク」なんて事を書いたが訂正する。今回は(前後のレースの売上から推定すると)5000万近い金額が「八百長グループ(購入側に関与したのは少なくとも6人いるらしい)」による投票と考えられるが、計算上キリのいい数字という事でここでは「4800万円」とする(60等分すると80万円になるから)。

この数字は10Rの売上の半分以上(上記金額は「3連単以外の売上」も含んだ数字なので3連単の売上は9000万円くらいと思われる)を占めており、それだけの投票があるとオッズは大きく変動してしまう。そしてその結果2~6BOXの中で「最終オッズが60倍を切った組み合わせ」がいくつもあり、もしその組み合わせ(一番安いもので2-3-5が「21.6倍」だった)で決まっていたら八百長グループは「大赤字」だったのである。他にも「赤にはならないが利益もほとんどない組み合わせ」も発生しており、例えば3-2-4の組み合わせは最終オッズが60.6倍だったので、これで決まっていた場合の八百長グループの利益は「48万円」。つまり「2~6BOX八百長(名称は適当です)」は「行うレース」と「使う金額」を考えないと「ノーリスク」にも「ハイリターン」にもならないのである(…誰に対しての教訓かは知らんけど)。

 

…以上の事から、今回の八百長グループは「舟券とはあまり縁のない人」、別の言い方をするなら「素人」の可能性が高い、という見方がある【*5】。もしこれでガミっていたら(的中したがトータルで赤字、という状況を「トリガミ」「ガミを食う」「ガミる」などと言う。語源は…以前聞いた事があるけど忘れました)「中村」との間に何が起きたであろう、と考えるとちょっと怖くもなる【*6】。

ともかくボートレースは(成果はともかく)「仕組み上八百長を仕込みやすい競技」と言えるので、他にも「グレー以上」な人がいないとは断言できない(ここ最近で突然引退した現・元A1級選手はその可能性が高そう)。しかしいくら「仕込みやすい」と言っても票が集まらない(実力のない)選手では八百長にならないので、八百長に加担する(というか「できる」)のは基本的にA1級の選手(「中村」もそうだし2年前に逮捕された「西川」もそうだった。他の「グレー疑惑」がかかっている選手もほとんどがA1級)だがそのA1級は「キリ」でも年収は2500万円くらいはあるので、八百長に加担する(してしまう)のは「よほどの事」だと思う。

…のだが、今回の「中村」は過去にも別の騒動を起こしている。気合の入ったファンなら既に承知と思われるが、何年か前にボートレースオールスターのファン投票が行われた時、投票用紙*7の自分の欄にチェックを付けたものをファンに渡す、という事をやらかしている。当然ながらこの行為は問題となり、最終的に「2年間の出場停止処分」となっている。…他にも何かある可能性もあるが、もしこれ(2年間の出場停止)が原因で「壊れた」、あるいは「悪に付け込まれる隙が生じた」のだとしたら結局のところ自業自得でしかないと思う。無論一番悪いのはその「隙」に付け込んで呪文を唱える奴等なのだが。

 

とは言え、「一分たりとも付け込む隙を与えずに生きる」なんて事ができる人なんてのはそうそういるものではない。厳しい訓練を受けてきたボートレーサーでも例外ではない(から今回のような事が起きる)。…となると八百長行為を撲滅する「最高の武器」というのはやはり「無政の令」という事になるのだろうか。…ま、「人間も所詮は獣」だから。とりあえずこの問題はすぐに何とかしないと真面目に走っているレーサーや真っ当なファンまで(要は業界全体)が肩身の狭い思いをさせられる

*1:あまりに表現がストレート過ぎては「解き」にならないし、だからと言って難易度(文言の抽象度合いも含む)を上げ過ぎると「企画者の自己満足」に成り下がるのでその辺のさじ加減は非常に難しい。…以前誰かが「完成品から2割くらい難易度を落とすとちょうどいい」なんて事を言っていたような気もするが。

*2:調べればわかる事なので名前は伏せない。

*3:超が付くほど大雑把な(笑)手元の計算では八百長グループの大口購入がなかった場合「少なく見積もっても1200倍前後」の超高配当になっていた。

*4:例えば「6-4-○」のオッズについて、「6-4-1」が1500倍以上なのに対し「6-4-1以外」のオッズはどれも300倍くらい。他の買い目でも同じような事が起きており、選手の能力などから考えるとこういうオッズは「正常なら絶対あり得ない」。

*5:ただし最終オッズから概算した投票数を見るに「グループの一部は2-3-5あたりに分厚く張った」、つまり「玄人」の可能性がある。

*6:グループの中心人物は「あっちの人間」ではないか、との噂があるらしいので。

*7:レース場や場外でのファン投票は投票期間内の決められた日(大抵は日曜日)のみ行える。ネットでの投票は期間内であればいつでもOK。勿論北海道や沖縄からでも投票可能。

無法の賞を施し、無政の令を敷く

少し前に「ファスト映画(本来の映画を10分ほどに編集して配信した違法動画)」を公開した人物に「総額5億円(原告の請求どおりの金額)の損害賠償」を命じる判決、というニュースがあった。

…まぁ裁判なので5億円という金額の根拠もあるわけだが、それを抜きにしてもこの「5億円」という数字はこの国の司法の在り方に一石を投じるものという気がする。…というかそうでなければ意味がない。

 

この記事のタイトルは「孫子」の一文。「無法の賞」は常識外の褒章、「無政の令」は常識外の刑罰の事。大軍を統御する方法の1つとして述べられている(この後に「三軍の衆を用いる事一人を使うがごとし」と続いている)。前述の判決も個人に科される金額としては「無政の令」と言えるものであり、著作権法違反の「抑止力」としては十分だと思う(というかそうでなくては意味がない)。ある意味「見せしめ」のようにも見える判決ではあるが、

人間も所詮は獣

なので、結局こういう「躾」が一番効果がある、という事である。

 

こういう判決(や刑罰)は他の犯罪でも積極的に採用すべきである。直近だと回転ずしで「他人が注文した商品を勝手に食った」とか「他人が注文した商品にワサビを大量に盛り付けた」とか(普通に考えて前者は窃盗、後者は器物損壊。威力業務妨害にも相当するし、突き詰めればもっと罪状がありそう)こういうアホも「億単位の賠償金」といった「無政の令」で躾けないと撲滅するのは困難だろう。ついでに言うなら犯人検挙のために「無法の賞(要は『懸賞金』)」を餌として共犯者の「離間(密告)」を誘う手もあるのかも知れない(あまり民主的な方法とは言えないけど…)。

 

…そういう理屈で言うならこの国で真に「無政の令で躾けるべき存在」は永田町に巣食う毒虫どもなのかも知れない。

将棋を「データ」で楽しむ、という行為

最近の野球(特にMLB)では昔のファンには馴染みのないデータが幅を利かせている。中でもよく見かける(NPBでも聞くことがある)のは「OPS」と「WHIP」だろうか。

OPS…On-base Plus Slugging

出塁率長打率を足した数字。一言で言えば「打者の総合力」となるだろうか。一流と呼ばれる打者の目安は.800以上(王貞治は「生涯の」OPSが1.00を超えている)らしい。

WHIP…Walks plus Hits per Inning Pitched

その投手(あるいはチーム)が「1イニングあたりに出した走者の数」。単純に許した走者の数(四球は当然ながら含まれるが死球やエラーはカウントしない)を投球回数で割った数字。当然多いよりは少ないほうがいいわけで、エース級だと1.20未満が1つの指標らしい。

MLBではどちらも今では打率とかと一緒に「公式記録」として扱われているし【*1】、NPBでもこれらのデータをチーム編成とかに組み込む事は多くなっている(一昔前には「そもそも概念自体がなかった」から減る事はないわな)。

 

…最近は「何でもデータ化」したがる人が多いように思う。特にその傾向が強いな、と(個人的に)思ったのが麻雀。「デジタル麻雀」なんて言葉が一時もてはやされたが(今もそうなのか?)、それを標榜して本当に強かった人ってどれだけいただろうか。…個人的にはデジタル麻雀ってのは「会社の同僚とかをカモにするための戦術」くらいにしか考えていない【*2】。

その一方で将棋(や囲碁)のデータ化というのはあまり聞かない。…おそらくは「将棋(や囲碁)には『データ化できる要素』が多くない」から、正確には「データを取る事は可能だが『全くもって意味のないデータ』が多い」と言うべきだろうか。例えば「天下一将棋会*3】」には「プレイヤーが動かした駒の回数」なんてデータが残るが、これがその人の棋力や成績とどれだけ関係性があるか、なんてのはそこそこの棋力がある人なら言うまでもないだろう【*4】。他にも「平均手数」「王手をかけた回数」「王手をかけられた回数」なども「データを取る事は可能だが『全くもって意味のないデータ』」に分類される。

たまに棋士に独自のレーティングをつけている」人を見かける。勘違いしている人が多いがこれを書いている時点で

日本将棋連盟(の棋士)に公式のレーティングは存在しない。

もっとも「独自の」と言ってもこの手のレーティングに使われる「イロレーティング」は計算方法が決まっているので(非常に複雑かつ面倒なので気になる人は検索してください)、誰が計算しても最終的には「似たような結果が出る」のだが、それでも格付屋(何と呼べばいいのか分からないので適当に呼称)によって多少のブレが生じる*5】。もし「もっとも現実に則しているレーティング」を作ろうとするなら「連盟創設以来全ての対局結果」が必要になる、言い換えると「それができる(作れる)のは日本将棋連盟だけ」という事になるが、連盟は公式レーティングを作る気はないような気もするし、個人的には「そんなものは作ってほしくない」と思う。

数字でしか人物を評価しない・できない、なんてのは「人の範となる人の業」とは思えない

ので。

 

もしかしたら、と思いついたもの。「局面ごとにAIが最善手と示した手を指した割合」。…要は「あなたはいい手を指せました、偉いでちゅね~」と褒められた割合。

…もしそれを本気で集計している奴がいたら

人を馬鹿にするにも程があるわ、ボケェ!

とか言って踏み殺したくなる*6】。

好意的に解釈するなら「ミスしない割合」とも言えるので意味がありそうなデータに見えなくもない。ただ、これを集計するには「公式戦全対局の棋譜」が必要になるわけで、トップクラスの棋士だったら(大抵ネット中継されるので)何とかなるが、そうでない棋士(一次予選や竜王戦の下のクラスとか、要は「一般人だと棋譜の入手が困難」な対局を指している場合)は集計が困難、というか「事実上不可能」そもそも「最善手を判断するAI」は何なのか、という時点で整合性を保てない(下手をしたら「飛車を振った時点で最善手ではない」と判断される可能性だってある)ように思う。それでも無理矢理集計したらおそらくトップ棋士の「それ」は高い数値を示しそうであるが、そもそも将棋(や囲碁)はミスの回数よりもミスの内容の方がはるかに重要なゲームなのでそれこそ『全くもって意味のないデータ』と言える。現代はともかく昭和の時代だったらトップクラスでもミス率は結構高かった、それこそ花村元司九段などは「最善手率40%未満」だったのでは、という気がする。

その花村九段は弟子の森下卓少年に「第一感が9割当たるようにならないとダメだ」と教えたという。つまり任意の局面における「第一感の手が最善手である」割合。…これは「感覚・直感を磨く」という意味では(指した手の最善手率よりははるかに)意味のあるデータという気もするが、第一感は棋譜のように記録に残らないので集計するのが極めて難しいし、それ以前に個人で使う(自分の実力を測る)のならともかく他人と比較する意味がほとんどないデータと言える。

 

…つまり将棋というゲームはデータ(評価値を含む)などという小賢しいものに頼らず「感覚」で楽しむのが「最善手」である、という事なのかも知れない。…多分違うな(笑)。

*1:その一方で「WHIP自体が無意味なデータ」と断罪する人もいるとか。…わしゃどーでもえーわ(笑)。

*2:勿論「基本的な理論や確率」を知らないのでは勝てるものも勝てなくなるので「基本を全部忘れろ」と言いたいわけではない。

*3:これまでにも何度か書いたので詳細は省略。

*4:…と書いていて不意に「もしかしたら世の中には『藤井聡太がデビュー戦からこれまでに公式戦で着手した駒の回数を集計している間抜け』がいそうな気がしてきた。

*5:格付屋は「集計開始日時の全棋士のレートを1500(全競技者の平均値が1500、というのがイロレーティングの定義である)」としてそこからの勝敗でレートを上下させるので、集計開始以前の対局結果が反映されていないため。

*6:でも「バックギャモンの世界では『それが当たり前』」、なんて事を島朗九段が書いていたよなぁ、と思い出す。

モラルを貶めた報いは

以前棋士はモラルの範を示す『最後の砦』なのかも知れない」と書いたが、先日のような「反則負け」があると「この国でモラルの範となる職業は最早存在しないのではないか?」という気分にもなる。…勿論棋士全員がモラルの欠落した人間というわけではないだろうが、1人の人間の不祥事が業界全体にダメージを与える事はどんな業界でも起こり得る事なので、「どうせ数年後には暗黒の時代になっている」としても今回の日浦八段の「罪」は小さくない。…自分にその権限があったら棋士の存在意義を著しく貶めた」として罰金&出場停止(あるいは引退勧告)を提案してもいいんじゃないか、って思う。これも以前書いたが

『士』の字が付く職業には人の範となる責務がある。

少なくとも自分はそうだ(そうでないというのなら「棋」なんて呼称をやめて「選手」とでも名乗ればいい)と思っている。

買わない。

「Windows11」に対するいい評価はほとんど聞いた記憶がない。…年明け早々にWindows11に触れる機会があったのだが、ちょっと使ってみてその評価が宜なるかなと思った。数時間使っただけで「二度と使いたくねえ」と思ったOSは多分初めて*1

 

短時間の使用でダメだこりゃと思った点は3つ。

1.「コピー」「切り取り」「貼り付け」がアイコンになっている

ファイルを右クリックしてコマンド一覧を出したら上記の3つのコマンドがない(他の「文字表記のコマンド」は一通りある)…一体どうなってんだ、と10秒くらい考えて一覧の上の方に何やら怪しいアイコンが。おそるおそる(?)マウスカーソルを合わせて1秒ほど待つと「コピー(Ctrl+C)」の表示が。

…分かりにくいったらありゃしない。世の中には「イラストの方が分かりやすい」ものもないわけではないが、こと電子機器に関しては圧倒的に「文字情報の方が分かりやすい」ものの方が多い。

2.フォルダの「詳細」表示に無駄な余白がある

フォルダ内の表示タイプは「詳細」にしている事が多いと思われるが、Windows11は「詳細」で表示した時にファイルとファイルの間の間隔がやけに広い。正確に測ったわけではないが感覚としてはWindows10だと4行(4ファイル)並ぶ領域にWindows11だと3行(3ファイル)しか表示されない、という感じ(その分文字が大きくなったわけではない)。つまり「一画面内に表示できる行(ファイル)数がWindows10の66%くらいしかない」わけで、フォルダ内の目的のファイルを探す労力は間違いなく増えている。

3.タスクバーに「ラベル付きアイコン」を使えない

個人的に一番腹が立ったのがこれ。Windows10は初期状態だとタスクバーが「大きいアイコン」「ファイルやアプリごとに結合する」となっているが、これは簡単に(それ以前のOSのように)変更できる。ちなみに方法は

タスクバーの空いている部分で右クリック>「タスク バーの設定」「タスク バー ボタンを結合する」「結合しない」に変更する

ちなみに自分は小さいアイコンの方が使い勝手が断然いいので【*2「小さいタスク バー ボタンを使う」をONにする。

ところがWindows11ではタスクバーはファイルやアプリごとに「強制的に結合される」ので、「ラベル付きアイコン」を使用する事ができない。例えばExcelを同時に10ファイルくらい開いていたとして(業種にもよるだろうが別に不思議な事でもないでしょう)、強制的に結合されているとまずExcelのアイコンをクリックした後に一覧みたいのがブワッっと出てきてその中から使いたいやつを探してクリックする… ラベル付きアイコンだったらアイコンにファイル名が表示されているのでそれを見てクリックすれば一発で済むわけで、「俺は何てマヌケな事をやっているのだろう」という気分になる。

 

他にも探せば酷い点はいくらでも見つかりそうな(そしていいところはほとんど見つからないような)気もするが、自分は上記3点だけで「プライベートでWindows11は絶対買わない」と決まった。…そういう意味ではWindows11に触れる機会があった(その結果無駄な買い物をせずに済んだ)のはラッキーだったと言える。

PCの用途(例えばゲームがメインという場合とか?)によっては大して気にならない事かも知れないが、デスクワークがメインの場合全使用時間のうち8割~9割くらいは上記3つのいずれかの「嫌がらせ」を受ける事になる。…洒落にならん。

 

自分の場合とりあえず「柿木先生が動く事」がWindowsに求める最低条件であるが(笑)、プライベートでもデスクワーク的な使い方をする事の方が多い(というかPCでゲームはほとんどしない)ので、もしWindows11に変えようものなら発狂してPCを叩き壊しかねない*3

*1:以前も書いたが自分のプライベートPCは「XPから一気に10まですっ飛ばした」のでその間のOSの使い勝手を知らない。

*2:多分これもXP→10とすっ飛ばした影響だと思う。

*3:PCのスペックが足りない(Windows10が出て間もない頃の機種なので多分「Windows10の為のスペック」しか持っていない)せいか「Windows11へのアップデートのお知らせ」が来た事は一度もない。…来なくて結構。

「刺される心配はない」から危ない

今の岸田内閣の(というか最近の自民党の)各種政策に腹を立てている人はごまんといるが、それに対し何らかの「アクション」を起こしている人はほとんどいない。ネット上で「殺るしかない」とか書く人は沢山いるそれを実行した人は(多分)1人しかいない。

 

そんな矛盾(?)が日本に蔓延っている理由は1つしか考えられない。それは

今の日本はほとんどの人が「とりあえず食っていく事はできる」

からに他ならない。歴史上一揆」とか「民衆蜂起」と言ったもの(どっちも同じか)を起こす民はほとんどが例外なく「このままでは食う事もできない」という人たちである。歴史上衣食住が足りている民衆が「もっとよこせ」と一揆を起こした例があっただろうか【*1】。

これを逆説的に考えると、今の国会議員のほとんどは

国民が『とりあえず食っていく事はできる』だけの事をやっておけばどれだけ増税しようがその税金を私物化してどれだけ私腹を肥やそうが文句を言う奴はいても『刺される心配はない』

という行動原理で動いている、としか思えない。それも感覚的にやっているのではなく、「ここまでならやっても問題ない」という「ボーダーライン」を綿密かつ周到に計算した(そしてそれを専門的に行う機関まである)上でやりたい放題やっているのではないか、という疑いを抱けるくらい。つまりこの国では「詐欺師に騙される人より自民党に騙されている人の方がはるかに多い」のである。

 

この『刺される心配はない』というフレーズが奴等にとっては非常に重要である。言うまでもなく金にせよ権力にせよ「死んだら何の意味もない(落語みたいにあの世に持っていく事はできない)から。

このフレーズには「警備体制がしっかりしている」という意味もあるがそれ以上に「今の日本に要人を刺そうと考える奴はいない」という安心感(?)の方が強い。早い話国民は舐められまくっている。昨年起きた事件は例外中の例外と言えそうだが、今の日本はああいった事件があと20~30回くらいは起きるべきだと思っている。…非常に物騒な考え方だが、正直

それくらいの力技でないと今の政治屋『とりあえず食っていく事ができるだけの事をやっておけば刺される心配はない』などという蒙は啓けない

と思う。

 

一体いつ、誰がこんな状況を作ったのか。こういう事はどこでも起きそうな話であるが、GDPの成長率とかを「政治の質」と考えた場合「日本以外ではほとんど起こっていない」、要は「ほとんど日本特有の現象」のようにも思える。…そう考えると思い当たる「犯人」が1人いる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い当たる「犯人」、それは徳川家康。家康が掲げた言葉(政治方針)に

「百姓は生かさず殺さず」

というものがあるが(日本史の授業で聞いた事がある人も多いだろう)、今の日本の政治はこの言葉がピッタリ当てはまっている。そして運の悪い(?)事に、徳川家康*2が今日では「経営の教科書」的な扱いを受けているため、この「百姓は生かさず殺さず」という考え方が日本の(経営者や)政治家に深く浸蝕している可能性が高い【*3】。

豊臣秀吉一揆を阻止する為に「刀狩り」という直接的な(?)方法を行ったが(どっかの国がやっている「恐怖政治」も本質的には同じもの)、家康は言うなれば「マインドコントロールで」農民を統治しようとしたわけで、ある意味非常に質が悪い。…昨今は「カルト宗教によるマインドコントロール」が話題になっているが、実際はそれ以上に「政治家が国民をマインドコントロールしている」と言っても過言ではなく、その礎(?)を作ったのが他ならぬ徳川家康なのである。

…と、この書き方はある意味正確ではない。歴史上「日本の覇者」は家康だけではないし、経営の範となり得る人は他にも沢山いただろう。では真犯人は山岡荘八? …いや、彼にしても書いたのは「歴史小説」であって「経営書」を書いたつもりなどないだろう。それがいつの間にか経営書として「独り歩き」をしているのである。そしてこの手の「独り歩き」は始めたが最後、作者のコントロールを受け付けなくなる事の方が圧倒的に多い*4…だとしたら真犯人は「最初に《徳川家康》を経営書のように捉えた人」という事になるが、「…それって一体誰よ?」という話になる。

ただ、歴史上「徳川家康は1人」だが、徳川家康を題材とした小説を書く人は1人とは限らず、世に出た歴史小説(家康の考え方)を経営書のように考える人も1人とは限らない。…だとするとやっぱり一番悪いのは家康だな。何しろ岸田総理が元日のラジオ番組で「好きな歴史上の人物は徳川家康」と答えているくらい(つまり家康の「百姓は生かさず殺さず」を座右の銘にしていても不思議ではない)だから【*5】。またこの「百姓は生かさず殺さず」という言葉自体が「本来の意味と違う意味で解釈されている」という見方もあるようだが、この言葉の元となったと言われる「財の余らぬように、不足なきように治むる事、道なり」という言葉が現代風に訳すと「百姓が『とりあえず食っていけるだけの財産は残す』政策が最善である」と言っているようなものだから何も変わらない。

*1:三国志の事実上のスタート地点である「黄巾の乱」なども原理は同じであり、曹操はその事を分かっていたので降伏した黄巾党を「食べさせてやる(農地を与える、あるいは兵として召し抱える)」事で乱を鎮圧すると同時に自己の国力を増強する事に成功している。

*2:ここでは山岡荘八が書いた歴史小説徳川家康」を《徳川家康》と表記する事にする。

*3:本田宗一郎が家康を非常に嫌っていた理由の一つはこの「百姓は生かさず殺さず」という考え方だと言い、山岡荘八に対しても「あなたは家康が本当に偉人だと思っているのですか」という質問状を何通も送った、と言う。

*4:未だに「お客様は神様です」の意味を誤解している人(≒悪質なクレーマー)が後を絶たないのを見ても分かると思う。

*5:今回の記事のネタはその事に関するネット記事を見て思いついた。