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態度や言葉遣いが異様に丁寧な人は「裏の顔」を持っている可能性が高い。

21年2月彩棋会

2月20日は彩棋会。

 

 作品展の「囲い図式」の作品が著しく不足している、という緊急のお願いがあったのだが、自分が進めていた(?)「エルモを詰まそう計画」は結局実現しなかった(自分の作図力だと「詰む将棋」を作るのが精いっぱいだった…)。

参加者は道外からの1名(名前は書かなくても大丈夫でしょう)を含む5名(若手の参加が0)、自分が参加するようになってからは最少。…諸事情あるにせよ時期が悪かったのか?

作品展の候補作を検討して決定後は将棋に関わる談義がメイン(「両国オフレコ」の話を繰り出したのでここでの内容公表は自粛)。…というかそれくらいしか書く事がない(笑)。あえて書くとするなら今回の参加者全員が「今は大検と言わない」という事(前回記事参照)を知らなかった、という事くらいか。…やはり一定の年代より上の人は(大検から高認に)変わった事を知らない人が多いのかも知れない。

 

次回の彩棋会は7月の予定(詳しい日時はまだ未定だが「できればオリンピックが始まる前にしたい」との事)、作品展のテーマは「持駒同種4枚」、ただし特例(?)で「大駒4枚(飛飛角角)」も可との事(飛車と角は4枚ないですから)。…確か以前作った作品【*1】に「持駒・飛飛角角」があったような気がするので今回はそれを使って(手直しして)出品できるかも知れない、と思った。

 

23日は同じエルプラザで久々に生の落語を聴きに行く予定(勿論感染対策はした上で)。ちなみにそのホールは一般向けワクチン接種会場として使用されるため、4月1日~10月31日の間それ以外の用途で使用できなくなる。そのため平成開新亭の一部の公演が中止になっている(春風亭昇太の二人会は別の会場で行われるので問題なし)。エルプラザのHPを読む限り和室は利用不可の対象外なので彩棋会の開催に影響はないと思う(多分)。

*1:ヤン詰の課題作に送ったが「作品数が揃わなかったので中止」になった作品(その後の転載もなし)。

棋士と学校と資格

藤井聡太が高校を自主退学、って何でもニュースになってしまうが、1月末日付という「あと2~3日だけ登校すれば卒業*1」というタイミングでの退学「出席日数が足りなかったんじゃないの」と勘づく人は多いはず。過去には羽生善治も出席日数が足りなかった(通信制の高校に編入して卒業した)というし、言うなれば「規格外の人間の宿命」とでも言ったところか。…まぁ「受験ノイローゼになりながらも早稲田に進学→芸能活動に専念するため中退」なんて奴よりは遥かにマシだと思う。

…最近は高学歴の棋士も多いが、一方で中卒でも棋士にはなれるし【*2】、もし必要だったら通信制定時制の高校に編入する手、大検を取る手もあるわけで、それを決めるのは本人。いくらアンチ藤井でも「こういう事になるんだったら初めから高校なんか行くなよ」などと言った事を含めて外野にとやかく言う資格はない【*3】。

 

…今サラッと(?)述べた「大検」、これを知っている人ってどのくらいいるのだろう、と思った。

正式名称は大学入学資格検定、平たく言えば「高校を卒業していない人が高校卒業と同等の学歴である事を保証する資格」であり(当然履歴書に学歴として書ける)、これを持っていると正規の高卒でなくても大学受験の資格を得る。ただし民間企業や地方自治体への採用試験(や人事考課とか)に関しては必ずしも大検合格者=高卒と扱われるとは限らない(しかもそういう扱いをしても企業にペナルティは科されない)。最近の著名人では山田ルイ53世などが大検合格者(棋士に大検合格者はいないっぽい)。

 

…と、ここまで書いておいて驚愕の(?)事実を知る事になる。

 

今は大検と言わない。

 

2005年からは高等学校卒業程度認定試験」、略して「高認という制度に変わったそうである(受験資格などに細かい変化はあるが資格の内容は基本的に同じ)。自分がこの制度を知った時は大検と言っていた(とある漫画に出てきた)ので、その時の記憶のまま現代まで来ていたわけである。それこそ「年がバレる」事柄かも知れない(笑)。もっとも大検にせよ高認にせよ「そういう制度自体を知らない(あるいは無縁だった)」人も少なくないので【*4】、年がバレる以前に「何それ?」で終わるかも知れないが。そしてもし将来藤井聡太高認合格、なんて事になったら高認知名度は一気にあがるんだろうな、とか思ったり【*5】。

 

藤井聡太高校中退」というニュースから「大検」を思い出し、それが今は「高認」という名前に変わった、という事を知ったわけだが、そもそも自分に直接関係のある話ではない(正規に高校を卒業している)し、きっかけがきっかけなのでまた忘れそう(下手すりゃまた「大検」って言ってそう)だけど(笑)。

*1:所謂「自習期間」があるという前提で。…「自習期間があるのは北海道だけ」とか言わないでほしい(笑)。

*2:実際に現在のプロ棋士に中卒(高校中退含む)が何人いるのかは分からないけど(記憶違いでなければ最低3人はいるはずだが)。

*3:前述の某芸能人に対してはさすがに「人(家庭の事情等で大学進学を諦めた人)を馬鹿にしている」という思いを禁じ得ない。

*4:2013年の資料によるとおよそ15%の企業が「大検・高認を知らない」、採用試験や人事考課で「高卒と同格」と扱っている企業は2割強だったそうである。

*5:「高等学校を卒業した者と同等以上の学力がある」事を証明する資格なので大学入試ほどではないかも知れないがそれ相応の難易度がある(はず)。なので「殺人スケジュール」にも等しい藤井聡太高認の為の勉強時間なんてあるとは思えない=高認を受ける事はまずあり得ないとは思うが。

将棋のネット中継を見て思う

久々にABEMAの将棋チャンネルを見たような気がする。対局は勿論(?)叡王戦森下卓九段-青野照市九段戦

将棋の内容は自分が説明してもあまり意味がないのでそれ以外に気になったところをいくつか。

 

・評価値って結局何なのだろう?

ABEMA(で使用されているCOM)は評価値ではなく「勝率」で表示している。51:49(先手がちょっとだけ勝率がいい事の反映?)で開始し、形勢が傾くと有利な方の数字が大きくなる。…まぁ見た目にはわかりやすいのかも知れないが、先日の朝日杯などのように「1:99」とか「2:98」とかいう評価からでも逆転が容易に起こり得るのが将棋というゲームである。そしてそんなことが度々起こると

「99%(の勝率)って結局何なのだ?」

という事になってしまい、それこそ藤井聡太は常に99:1で固定」でもええんちゃうか? みたいな話にもなってしまう。

誰の言葉だか忘れたが(というより今の棋士なら誰でも言いそうな言葉だが)「同じ+1000点でも『間違えやすい+1000点』『間違えにくい+1000点』がある」というのがある。つまり「人間的に指しにくい手が最善手」「一見自然に見える手が実は疑問手」「一手を除いて他は全部悪手」なんてのは将棋では珍しくも何ともないのだが、そういった「指しにくい」とか「一見自然」とかいう概念が存在しないCOMが『間違えやすい+1000点』と『間違えにくい+1000点』を区別するのは多分永遠に無理っぽい。

そして「同じ局面でも人によって正解にたどり着ける可能性が変わるかも知れない」。単純に棋力の問題(難しい即詰みとか)もあるし、棋風による差もある。例えば「一見無理攻めだけど実はそれが最善手」という局面で攻めっ気たっぷりの人と受け将棋の人とで最善手にたどり着ける(≒勝つ)可能性が同じになるとは思えない(逆もしかり)。

そう考えると「評価値や候補手だけを表示する中継は何かが足りない」ように見えてしまう(このご時勢だし、COM評価値のみの中継も致し方ないところだが)。COMの示す候補手や評価値そのものは否定しないが、それに対し「でもこの手は○○さんの棋風じゃないですよね」

「これを1分将棋で読み切るのは大変です」

「勝率は98:2を指しているようですが、これは『間違える可能性が98%』くらいありますよ」

などといった「人間が指している将棋」という事を十分に理解している人の解説が加わる事で中継に厚みと深みが増す、と思う。そしてそれに脱線が加われば文句なし(笑)。

 

・「無礼なコメント」が実に多い

中継に書き込めるコメントは「見えていると鬱陶しい」ので基本的にOFFというのが自分のスタイルだが、たまにONにすると「見ていて不快になるコメント」に満ち溢れているのですぐにOFFにする。一言で言うと「無礼なコメント」が実に多い【*1】。

誰だったか忘れたが「野次を飛ばされるのも給料のうち」なんて事を言った人(多分プロ野球選手、でも記憶が曖昧…)がいたので、棋士に限らず「プロのプレイヤー」がそういう事を言われるのは「宿命」とも言える。…でも自分はそういう事を無条件に許容できない。

コメントでそういう事を平気で(?)書ける人というのはそのほとんどが「プロ棋士と会って実際に会話した事がない人」じゃないかと思う(大盤解説会で見ただけ、というのはダメ)。プロ棋士に限らず実際に話してその為人を体で感じるとその手の無礼なコメントが出てこなくなる、というか言いにくくなってしまう(逆に会った時の印象が悪いと無礼どころではないコメントが出かねない)という事は往々にしてある話。…中にはプロ棋士と話した事があった上で無礼なコメントを連発している人もいるのかも知れないが、だとしたらその人は相当の大物か相当の狂人のどちらか(九分九厘後者)だろう。

とは言え「プロ棋士と直接会話する」なんて機会はそうそうあるものでもない(今の情勢では特に)、言い換えるなら自分のような人のほうが少数派なのである意味「仕方ない」とも言えるが、それを差し引いても許容範囲を超えている発言が多いな、とも思う。もっとも無礼というとABEMAの「この手を指したら勝率が○%下がる」という表示プロ棋士に対し「あなたは最善手を指せました。えらいでちゅね~」と言っているみたいで無礼極まりないような気もするのだが(あれって非表示にできないの?)。

 

…じゃあ自分が藤井聡太と直接会って会話を交わしたら「アンチ藤井」の気持ちに変化が起きるのか? …個人的には「変化しない」と思う、というか「変化して欲しくない」と思う(笑)。

*1:将棋に限らず、例えばYouTubeのボートレースライブなどでも同様。

藤井聡太→マスコミ→ツイッター(連想ゲーム?)

何度も公言しているように藤井聡太は以前から嫌いだが(今回の朝日杯優勝で更に嫌いになったかも知れない)、その藤井聡太「昨年の10月に」五輪の聖火ランナーを辞退していたのを今この時期に公表(?)してあたかも「某氏の差別発言を受けて辞退した」ように明らかな悪意を持って情報操作するマスコミ(濁点つけましょうか?)嫌いとかいう次元を通り越してしまう。

 

…こういう事をツイッターで書く人は沢山いそうだが、上記の文章は170文字以上ある(それを制限内に収めるのは面倒だしそういう才能にも欠けている自負がある)。なのでやはり自分にツイッターは向かないな、という事を再認識させられた今回の話。

法律上「馬券(や舟券)を買えない人」は誰?

競輪場の職員が車券を購入して書類送検された、というニュースがあった。少し前にも笠松競馬の関係者が馬券を買った事で大問題になったし、ボートレースの八百長問題も選手の親族が舟券を買った事が問題視(?)された。

よく「選手(騎手を含む。以下同様)本人だけでなくその家族も関係する投票券を買う事はできない」と言われるが、実際のところはどうなのか。

…結論から書いてしまうと、上記の俗説は間違い。選手本人が関与する投票券は間違いなく購入禁止だが、各種法律では「選手の家族は投票券を購入し、又は譲り受けてはならない」という条文はどこにも記載されていない。

各競技の投票券購入についての条文を引用すると、

 

競馬法

第二十九条 次の各号に掲げる者は、当該各号に定める競馬の競走について、勝馬投票券を購入し、又は譲り受けてはならない。

 競馬に関係する政府職員 中央競馬の競走及び地方競馬の競走並びに日本中央競馬会都道府県又は指定市町村が勝馬投票券を発売する海外競馬の競走
 日本中央競馬会の役員及び職員 中央競馬の競走及び日本中央競馬会勝馬投票券を発売する海外競馬の競走
 日本中央競馬会が第二十一条の規定により委託を受けて競馬の実施に関する事務を行う場合におけるその役員及び職員であつて当該委託を受けた事務に関係するもの 当該委託に係る競馬の競走
 都道府県、指定市町村又は地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第二百八十四条第一項の一部事務組合若しくは広域連合(以下この号において「都道府県等」という。)の職員であつて当該都道府県等が行う競馬に関係するもの 全ての地方競馬の競走及び当該都道府県等が勝馬投票券を発売する海外競馬の競走
 都道府県、市町村又は地方自治法第二百八十四条第一項の一部事務組合若しくは広域連合が第四条又は第二十一条の規定により委託を受けて競馬の実施に関する事務を行う場合におけるこれらの職員であつて当該委託を受けた事務に関係するもの 当該委託に係る競馬の競走
 協会の役員及び職員 全ての地方競馬の競走及び都道府県又は指定市町村が勝馬投票券を発売する海外競馬の競走
 中央競馬の競走に関係する調教師(競走馬の飼養を行う者を含む。以下同じ。)、騎手及び競走馬の飼養又は調教を補助する者 中央競馬の競走
 地方競馬の競走に関係する調教師、騎手及び競走馬の飼養又は調教を補助する者 全ての地方競馬の競走
 日本中央競馬会都道府県又は指定市町村が勝馬投票券を発売する海外競馬の競走に関係する調教師、騎手及び競走馬の飼養又は調教を補助する者 当該海外競馬の競走
 その他競馬の事務に従事する者 当該競馬の競走

 

モーターボート競走法(ボートレース)

第十一条 次の各号のいずれかに該当する者は、当該各号に掲げる競走について、舟券を購入し、又は譲り受けてはならない。

 競走に関係する政府職員及び施行者の職員にあつては、すべての競走
 競走実施機関の役職員及び競走の選手にあつては、すべての競走
 前二号に掲げる者を除き、入場料の徴収、舟券の発売等、競走場内の整理及び警備その他競走の事務に従事する者にあつては、当該競走

 

自転車競技法(競輪)

第十条 次の各号のいずれかに該当する者は、当該各号に掲げる競輪について、車券を購入し、又は譲り受けてはならない。

 競輪に関係する政府職員及び競輪施行者の職員にあつては、すべての競輪
 競輪振興法人及び競技実施法人の役職員並びに競輪の選手にあつては、すべての競輪
 前二号に掲げる者を除き、車券の発売等、競輪場内の整理及び警備その他競輪の事務に従う者にあつては、当該競輪

 

小型自動車競走法(オートレース

第十四条 次の各号のいずれかに該当する者は、当該各号に掲げる小型自動車競走について、勝車投票券を購入し、又は譲り受けてはならない。

 小型自動車競走に関係する政府職員及び小型自動車競走施行者の職員にあつては、すべての小型自動車競走
 小型自動車競走振興法人及び競走実施法人の役職員並びに小型自動車競走の選手にあつては、すべての小型自動車競走
 前二号に掲げる者を除き、勝車投票券の発売等、小型自動車競走場内の整理及び警備その他小型自動車競走の事務に従う者にあつては、当該小型自動車競走
 
※どの法でも上記の前後に「未成年者は買っちゃダメ」に相当する条項がある。
 
前述の(豊橋の)競輪場職員は第十条第一項に抵触している【*1】。笠松競馬の騎手や調教師は第八項(つまり「笠松競馬の関係者が大井競馬の馬券を買う」というのもNGである)に違反、という疑い。
…だが一方で選手の家族や親族が投票券を購入してはいけないという条文はどこにもない。また同じく俗説として流布している「選手の家族は当該競技場に入れない」に関する条文も(各種法律を全文読んだが)どこにも存在しない。ちなみに選手が「他の競技」の投票券購入については何の制限もない【*2】。
では何故こういった俗説が世間に根付いているのだろうか。調べても正確なところは分からなかったのだが、自分が見つけたところでは
・ボートレースは家族が舟券を購入すると「その購入に関して選手本人が不正等に関与していなかったか」という事を徹底的に調査・追及されるので「家族には舟券購入を自粛するようお願いしている」らしい
・競輪選手の家族は「事前に申請すれば競輪場の一定の区画には入場できる」らしい
…という話があるそうなので、これらが拡大解釈ないし曲解されて「法律で買えない・入れない」という俗説になったのではないかと思われる。…やはり噂とか俗説というのは正確に伝わらないものらしい(笑)。ちなみにボートレースの八百長舟券購入ではなく贈収賄にかかる容疑(選手は同法第七十二条、共犯者は第七十五条)で逮捕された。
 
…ここでちょっと気になった事。ボートレース等は「警備員は当該競走の投票券は買えない(例えば浜名湖の警備員は「浜名湖のレース」はダメだけど「蒲郡のレース」は買える)」という風に書かれているが、「競馬場の警備員」については記述がない。とりあえず「競馬場の警備は主催者から委託された警備会社が行っている」という事はハッキリしているので、該当する可能性があるのは上記の第三項(地方競馬だったら第五項)。この場合制限は「当該委託に係る競馬の競走」なので「その競馬場の馬券はダメ」だが「他場開催の馬券は堂々と(?)買える」という事になる。つまりパドック担当の警備員だったらパドックを特等席(?)で見れるが、その人が馬が出て行った後に投票…というのは「法的にアウト」の可能性がある。…そこまでする人がいるのかは別にして(笑)。

*1:何となく「他所の開催競輪は買ってもいい」という気にもなってしまうが、条文にあるように「全ての競輪(の投票券購入)がNG」である。

*2:佐藤哲三元騎手がボートレース好きで現役期間中も度々びわこに出没?し、「投票する側」の考え方を騎手としての姿勢に反映させていた、という話は有名。

成績優秀者への新規定

日本将棋連盟女流棋士奨励会員・アマチュアが各棋戦において「優秀な成績」を修めた場合の新規定を発表した。ざっくりと書くと

女流棋士、アマチュアが「優秀な成績」を修めた場合→プロ編入試験の受験資格を得る

奨励会員が「優秀な成績」を修めた場合→その時に進行中の三段リーグ終了後に次点1が付与される

※次点2回による四段昇段は「リーグ3位」の次点を含まないといけない。

※その時に進行中の三段リーグで降級点に該当する成績(4勝以下)だった場合は次点1は付与されない。

後者は都成竜馬三段(当時)が新人王戦で優勝した時に決まった規定がそのまま適用されている。

 

「優秀な成績」に該当する基準は以下の通り。【 】内の数字は基準を満たすために必要な勝利(連勝)数。

竜王戦…ランキング戦優勝【6~7】

王位戦…挑決リーグ入り【5】

王座戦…挑戦者決定トーナメントベスト8【8】

棋王戦…本戦トーナメントベスト8【7】

棋聖戦…挑戦者決定トーナメントベスト8【7】

・朝日杯…本戦トーナメントベスト4【8】

銀河戦…決勝トーナメントベスト4【α+2】

・NHK杯…本戦(決勝)トーナメントベスト4【β+4】

・新人王戦…優勝【6~7】

※α=本戦トーナメントの連勝数(6連勝すれば確実に決勝トーナメントに進出できるが、上位の成績によってはそれ以下でも進出の可能性がある)

※β=「出場女流棋士決定戦」の勝利数(場合によっては「0」の年もあるので)

※新人王戦は決勝が三番勝負なのでそこでの1敗は許容

 

従来の規定である「いいところ取りで10勝以上かつ勝率.650以上(つまり10勝5敗)と比べるとそれより少ない対局数で規定をクリアできるが、だからと言って難易度が下がったとは言えない。連盟としては「起きそうな事象に対して事前に規定を定めた」と言ったところだろうか。

 

自分がこの規定について思ったのは、

 

この規定は現実の世界よりも「フィクションの世界(つまり将棋を題材とした作品のストーリー)」で満たす人の方が多そう

 

だという事。…「多そう」ではなく「多い」と断言してもいいかも知れない。いかにも作家(中でも外連を好む作家)が好きそうな内容なので(笑)。

直った眼鏡

壊れた眼鏡をどうしようかととりあえず(メガネの)プリンスに持って行ったら「直りますよ」と言われたので修理に出した。そして帰ってきた。

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…まるで新品(どこをどう直したのか一目では分からない)。

壊れる前と同じくらい持つとしたら2034年くらい(その時の自分の年齢は考えない事にしましょう)まで使える計算になるが、具体的な年数は抜きにして再起不能になるまで使おうと思う。…もしかしたら自分が先に死んでいるかも知れない(笑)。

「三点リーダー症候群」?

そんなワードがTwitterで流行っているらしいが、個人的には「それがどうした?」としかコメントしようがない。

 

自分もどちらかといえば三点リーダー「…」を使う方ではあるが、「言い切るべきところで『…』は使わない」など、女性セブン(この言葉の発信元らしい)でこの記事を書いた奴よりは使い方を弁えているつもり

自分は文章を書くときでも「誰かに話している(ような文章にする)という意識が強いので、文章であってもいろいろと抑揚とかを付けたくなることがある。しかし文章で抑揚の表現は限界があるので「…」を使ったり文字の色を変えたりとかしている。その結果文末だけでなく文頭にも「…」を使う事が多い。言うなれば「間」というやつですかね。

確かに世の中には何でもかんでも文末に「…」をつけたがる人がいるのかも知れない(やり過ぎるとさすがにIQが低く見える)が、そういう人と理由や狙いがあってよく使う人ごっちゃにして三点リーダ症候群と言っているのであればもはや差別発言のレベルかも知れない。…まぁ週刊誌の記事なんて9割がそんなレベルだから、まともに取り合う(抗議する)時間があるなら詰パラ読んでいる(詰将棋を解いている)方が100倍くらい有意義だと思う(笑)。

なんとなく麻雀の話

「歩きスマホ」の時点で到底許し難い、と考えると「歩きタブレット(ネット麻雀をしているのが見えた)」をする輩はどう遇したらいいのだろうか。

 

自分は麻雀を嗜む方だが、最近は全く打っていない。最後に麻雀を打ったのはあの「香龍会麻雀(19年4月末)なのでほぼ2年麻雀を打っていない事になる(そんなに牌に触れていないのか、と自分でも驚いたくらい)。

自分が麻雀を長らく打っていない理由は主に3つ。

①時間がない

東風戦だと1ゲーム20分もかからない(「5分+5秒のフィッシャールール」と所要時間があまり変わらない)が、個人的には東南戦の方が好きというのも影響しているかも知れない【*1】。

②相手がいない

ネット麻雀だとそんな事はまずないのだが、自分はネット麻雀が嫌いなので。

③麻雀は非常に疲れる

麻雀は「精神的に」非常に疲れるゲームである。麻雀というのは「見えない要素」が非常に多いので時に「欲」とか「願望」といったものがプレイヤーに襲い掛かってくる。特に「何か*2が賭かっている時」に「客観的な最善手」が打てなくなる事はいくらでもある。そういう感情をねじ伏せるのは非常に体力を使うのである。

また場の状況(自分以外の相手の挙動とか)に注意を払うのも非常に体力を使う。将棋や囲碁などだと「自分の手番で全力で考える」「相手の番の時は休む(完全に休むというよりは「自分の手番の時よりは力を抜いて考える」という方が正しいかと)」が、麻雀だとその反対で「相手の手番の時に全力で場の状況を見る」「自分の手番の時はあまり考えずに(事前に決めておいて)行動する」という行動パターンになる【*3】。そして麻雀というのは「相手が3人いる(三麻でも2人いる)」=「相手の手番の時間が占める割合の方が高い」ので体力を使う時間が多くなる。体力を消耗すると言うまでもなく注意力が減退するので結果にも影響が出やすい。メンバーやってた時は若かった(笑)ので15~20半荘くらい打ち続ける事ができたが、今そんなに打ったら終わった後に3日くらい寝込みそう(それ以前に5半荘くらいでギブアップしそう)である。

 

昨今は麻雀に関する「戦術書(ネット上のサイトも含む)」が多いが(昔も多かったが…)、自分はそういうものをあまり読んだ記憶がない(全くないわけではない)。自分は「麻雀はメンタルが8割~9割のゲーム」だと思っており、そのメンタル面に触れた「戦術書」というのを見た記憶があまりない(全くないわけでもない)無論戦術(技術)が不要というわけではなく、基礎的な理論が解っていないとメンタル云々以前の問題だし、所謂「引き出し」は多い方がいい。ただいくら「引き出し」が多くてもいざ実戦で「欲」「願望」「場の空気」などと言ったものに流されずに(ねじ伏せて)客観的な最善手を打つためのメンタルが備わっていないと何の役にも立たず敗れ去るのみである。…そこまで深刻にならずに済むような麻雀(ファミコンの麻雀ゲームとか)だとメンタルへの負担はほとんどないが、場のレベルが上がるとそれに比例してメンタルが占める比率が高くなっていくのが麻雀だと思っている【*4】。…そう考えるとAIには「メンタルの概念がない」、それこそ「負けたら殺される(プログラムを消される)」という状況下でも平常心(?)で打てるから麻雀強いだろうなぁ、と思ってしまう。

 

これを別の言い方(?)をすると、麻雀をする人に

麻雀における「心:技:体」の比率は?

という質問をした時に回答の「心」の数字の大きさがほぼそのままその人の麻雀の実力、と判断してもあながち間違った判定にはならないと思う(過去に何人かに聞いたがその時も大体回答と実力が合っていた)。…勿論自分の独善的な考えではなく、桜井章一佐々木寿人といった「麻雀で結果を出している人」が口をそろえて「麻雀で勝ちたかったら私生活を改めろ」と言っている(著書で書いている)つまり普段から自堕落な生活をする(簡単に「欲」「願望」「楽な生き方」に流される)ようなザコメンタル(?)で麻雀を勝てるわけがない、というのである。

 

…記事を書いていたら不意にピンのフリー雀荘(合法ですよね? と思いっきり皮肉ってみる)で打ちたくなったが、②③はともかく(フリーなら②は問題ないし、③も事前に回数を決めておけば問題ない)①の問題が解決できそうにない。そもそもCOVID-19の影響下でフリー雀荘に行く、という行為自体のリスクが高そう(店側も対策は十分に行っているだろうけど)だし…

*1:北海道には「東北戦(東4局の次が「北1局」、当然場風の役牌は「北」)」というローカルルールもあったりするが最近はほとんど聞かない。

*2:勿論(?)「金」もそうだが、それ以外の「名誉」とか、ネット麻雀での「レート」とか「称号」なんかもその対象である。

*3:こういう風に行動できない(相手の手番でも自分の手ばかり見ている)人は麻雀歴に関係なく「初心者」と断言してもいいでしょう。

*4:他の競技でも似たような事は言えそうである。例えばテニスも趣味でやっている人はともかくプロのテニスは「メンタルが9割」と言われるそうなので。

新年早々眼鏡が壊れる

…題名のとおり。

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年末の勝負は3連敗で終わるし、この年末年始はロクな事がない、というようにも解釈できる出来事だが、何しろおよそ13年半も使ってきた眼鏡で折れたところは以前から亀裂が入っていて「あと何日持つか」という状態でしばらく使っていたので「ついにお亡くなりになったか」という心境である。予備の眼鏡も既に用意してあったので不便(余計な出費とか)もない。レンズはまだ問題ない(2年前に交換した)ので再利用できたらいいのだが、多分これに合うフレームがないだろうなぁ…

 

以前も書いたがこの眼鏡は一言で言うなら日高晤郎ショーからの誕生日プレゼント」なので使い切った(?)事を最後に報告したかったが、周知のように日高晤郎さんは一昨年4月に亡くなられている。もし今も生きておられたら日高晤郎ショーが続いていたら)この眼鏡を見て何と仰るだろう、と感傷的な気分(?)になってしまう。

 

この眼鏡はおよそ13年半使ったが、自分は時折「異様に物持ちが良い」事がある。例えば携帯電話はこれまで使用してきた機種の「平均使用期間」が「4年3ヶ月」。…最長記録が、ではない(それどころか「歴代最長の使用期間が4年以下」という人の方が多いのではなかろうか)。ちなみに最長記録は「8年10ヶ月」。スマホが出る前だと同じ機種をこのくらい(あるいはこれ以上)使っている人をたまに見かけたが…

プリンターも今から10年以上前のモデルが現役だし(これはさほど珍しくもない話だが、いつまでインクカートリッジとメーカー修理があるか、という不安が出てくる頃である)、パソコンも先代(内蔵HDDが破損、既に生産終了していたのでデータを救い出したのち廃棄)は10年以上使用した(「XP」から「10」へ一気にすっ飛ばしたくらいである)。「ゲームボーイカラー」も多少音が割れるがまだ動く(プレイするゲームがないけど…)。

 

要は「自分が必要とする要素(スペックなど)を満たしているか」が最重要であり、必ずしも新しいもの、あるいはハイスペックなものが正義だとは思っていない。実際ハイスペックなゲーミングPCに触れたことがあるが、率直な感想は「これを買ってまでやりたい事なんてないよな」