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他人に完璧を要求するのは質の悪い潔癖症のようなものだ。

三国志を正史の視点で・3

英雄を批判する人は人格的に劣悪である

 

…そんな風に決めつけている人間をやたらと見かけるように思う。例えば藤井聡太を批判した芸能人、大谷翔平を評価しない評論家、佐々木朗希の態度に腹を立てて詰め寄った球審*1】、その他… 今の世の中そういう人は一人残らずネット上で悪人にされていると言っても過言ではない。

…自分は「アホの極み」だと思った。そしてそれ以上に(思想的に)非常に危険な存在」だと思う。勿論そういう人をネットで叩いている(悪人と決めつけている)輩が。自分が好きなもの(人)を批判する人間に腹が立つのは分からなくもないが、何故「人格的に劣悪である」と決めつけられるのか、その思考回路が全く理解できない。理解しようと思ったら「IQを30くらい下げないといけない」ような気もしてしまう。

 

そういう輩(考え)はネット社会の副産物、と思われそうだが、同じように考える人は昔からいたようである。

三国志に出てくる武将、魏延(字は文長)。…おそらく彼に対し「いいイメージ」を持っている人は少ない、それこそ「(呂布と同レベルで)簡単に裏切る人」というイメージを持っている人が多そうである【*2】。真・三國無双シリーズでも「『てにをは』を使えない(例えば「我…攻メル!」みたいなセリフを言う)変な人」というおかしなキャラが定着してしまっている。

答えから言ってしまうと世間に知られている魏延のキャラの「9割は演義の創作」。諸葛亮の死後まもなくのゴタゴタで馬岱に斬られた、というのは事実だが【*3】、正史で見る限りあれは「魏延の謀反」というより「楊儀との権力争い・個人的確執」でしかないと思う。

そもそも演義魏延は登場する時から扱いがおかしい。長沙の韓玄の下に仕えていたが(正史ではいつから劉備に仕えたのか不明)、劉備の南郡平定の際に韓玄の暴政(普段から悪政を敷いていた上に黄忠を「内通していると決めつけて」処刑しようとした)に耐えかねて彼を殺して降伏した、となっている【*4】。

ところがこの時諸葛亮魏延に対し「簡単に主君を殺すような奴は信用できないから今ここで処刑すべき」劉備に進言する(が劉備はそれを採用せず魏延を登用した)。…演義だとこの直前に武陵太守の金旋を殺して降伏してきた鞏志(きょうし)という人物がいるが【*5】、何故かこちらには処刑を進言していない。またこの前後でも「主君を殺して降伏してきた人」は幾人かいるが、諸葛亮が処刑を進言したのは魏延ただ一人。…何故?

他にも第5次北伐では「独断で兵を動かして損害を出した」とか【*6】、「彼を囮として司馬懿もろとも焼き殺そうとした」とか、諸葛亮の延命の祈祷中にその祭壇を壊した」とか(勿論どちらも演義の創作)、最期にしても諸葛亮の死を待っていたかのように反乱を起こした(しかも諸葛亮はそれを確信していて彼を謀殺するための策まで用意していた)ように描かれ、まぁとにかく扱いが酷い。しかも「酷い扱い」は後世にも受け継がれ(?)、有名な武将の墓は今でも大半が残っている一方で魏延の墓は「破壊された」上に「今はその上を鉄道が走っている」とも言われている。

確かに魏延は人格者ではなかったかも知れないが、その武勇は五虎大将軍*7にも匹敵するものだったし、多くの功績によって昇進もしている*8】。

 

…では何故魏延はこれほどまでに酷い扱いを受けるのか? 考えられる答えは1つしかない。

魏延は第1次北伐の際、諸葛亮子午谷(魏と蜀の間に聳える「秦嶺山脈」を抜ける街道の内、漢中→長安を最短距離で目指せるルート)を通って長安へ迫る作戦を提案したが却下された*9】。この時魏延

諸葛亮が臆病なせいで自分の能力が発揮できない

と周囲に漏らした、と伝えられる。

 

…ここまで書けば勘のいい人なら気づくであろう。孔明様(笑)を崇拝する羅貫中にしてみたらこのような発言をする魏延の事は

孔明様に楯突く痴れ者

と思ったに違いない。つまり

「痴れ者」だから「人格的に劣悪であったに決まっている」…という「ネトウヨ的思考(?)」で今日に知れ渡るおかしな魏延像ができあがった

のである(異論は認めない)。これが諸葛亮と所属が異なる曹操とか周瑜とかならともかく(この2人も羅貫中によって「人格を捻じ曲げられた被害者」の代表格と言える)、同じ陣営に属する魏延がこうも「人格的に劣悪だった」かのように描かれるのだからどう考えても羅貫中の「私情」以外の何物でもあるまい*10

じゃあその魏延を除く立役者(?)となった楊儀(字は威公)は人格者だった(あるいは「人格者として描かれた」)のかと言うと…さにあらず。正史によると事務処理能力に優れていた(ので諸葛亮の補佐役として北伐に随行していた)「狭量でプライドが高かった」とある(どことなく馬謖に似たものがあるような…?)。そして何より、魏延の死後魏延の首に向かって

「庸奴(アホとか間抜けとかの意味)め、もう一度悪さができるものならやってみろ!」

と叫ぶとその首を足で踏みつけた、とある(演義ではカットされている)ので、どう考えても楊儀の方が「人格的に劣悪」だった、としか思えない。またその最期も諸葛亮の死後閑職に回された」事に不満を抱き*11】、ついには「こんな事なら魏に亡命していればよかった」とまで漏らした事が劉禅の耳に入ったことで「平民に落とされた上で流罪(その後自殺)となっている。演義でも正史とほぼ同じ結末であり【*12】、諸葛亮の遺言に不満を漏らした」事で羅貫中も擁護(?)しなかったようだ【*13】。

 

…そんなわけで「アホ」で「危険な」考えをしていた人は少なくとも500年前には存在していた事になる。もし魏延の子孫が現存していたら今頃筆舌に尽くせないような仕打ちを受けていたかも知れない。だから「英雄を批判する人は人格的に劣悪である」と決めつけるのは「危険な思想」なのである。なお幸いにして?魏延の一族は前述の「内乱」の時に族滅されたようなので魏延の子孫は現存していない」らしいが【*14】。

*1:個人的には「あれをするくらいなら即座に『審判への侮辱行為で退場』を宣告すべきだった」と思ったが…

*2:そのせいか「三國志」シリーズでは「忠誠度100でも簡単に裏切る」というマスクデータを持っている事すらある。

*3:ただし正史では「馬岱に関する記述がこれしかない(馬岱の字が不明なのはそれが理由)」し、諸葛亮が生前に仕込んだ「私を倒せる者があるか」と3回叫ばせるのももちろんフィクション。

*4:正史では南郡平定自体が「結果だけ書いて終わり」とそっけない。一応それでは「韓玄は降伏した」となっている。また魏に仕えた韓浩の兄という設定も演義特有のもの。

*5:正史だと「金旋は討死」とあるだけ。

*6:正史だと「諸葛亮の指示で動いたが司馬懿に先手を打たれていた」と扱いが正反対。

*7:実在した官職ではなく、おそらくは「関羽張飛趙雲黄忠馬超の5人が1つの伝となっている」事から創作された称号。正史では趙雲を除く4人が「前後左右将軍」に任命されている。なお演義だと五虎大将軍就任に際し関羽が「(新参者の)黄忠馬超と同格の官職などいらん」とごねているが、実は正史でも同様にごねている。

*8:「前軍師」という(武闘派だった魏延の)イメージが全くできないような官職にも就いている。

*9:実際は「孟達が『出戻り』してきたら(前回の記事を参照)彼にそのルートを任せる予定だった」がこの事は言わば「トップシークレット」だったのでほとんどの人間が(魏延も)知らなかった、という可能性もある。

*10:そう考えると韓玄も「魏延を人格的劣悪者に仕立て上げるための道具」にされた「被害者」と言える(前述のように「正史では降伏」しているので)。

*11:生前の諸葛亮楊儀の性格を問題視してそのように遺言していた、と言われる。

*12:正史では「流刑先から他人を過激な言葉で誹謗する手紙を宮中に送り続けた」とある。…魏延が人格者に見えてしまいそうだ。

*13:楊儀がこのような末路を迎えた事も「馬謖も亡命を企図した(ので処刑された)」という可能性を後押ししている…というのはさすがに都合が良すぎるか?

*14:ちなみに「関羽の子孫」も既に地球上には存在しない(関羽に斬られた龐徳の子である龐会が「父の恨み」と称して一族を殺し尽くした)と言われている。

三国志を正史の視点で・2

前回の続き。

 

2.「泣いて馬謖を斬った」本当の理由は…?

泣いて馬謖を斬る三国志に詳しくない人でも聞いた事があるであろう。「優秀な人であっても私情に駆られる事無く罰する」事を意味するが、実際のところはどうだったのか…?

 

北伐の戦略上の重要拠点である「街亭」。ここを落とされると作戦そのものが瓦解するとあって諸将は歴戦の人物を守備に就かせる事を進言したが、諸葛亮が抜擢したのは日頃から目にかけていた馬謖それまで大した実績がなかった馬謖に「箔」を付けさせたかったのかも知れない(まぁ要は「私情」)。もっとも守備といっても街亭は道が狭く(大軍をもってしても一気に攻め込めない)、「街道を封鎖して敵を通さないようにすればいいだけの『簡単な仕事』」だったはずなのだが…

しかし馬謖はその『簡単な仕事』すら全うできなかった。出発前に諸葛亮からも「街道を封鎖して敵を通すな。まかり間違っても山頂などに陣取ってはならぬ」と念押しされ、更に念押しして経験豊富な王平を副将として随行させたにも関わらず馬謖のアホは街道から離れた山頂に陣取ってしまう王平は忠告を無視されたので手勢だけで街道を押さえて「やれるだけの事をやった」)攻め込んできた魏の張郃*1も訝しがったが、いざ攻めてみるとあっさりと陥落。山頂に陣取っていた主力は水源を断たれた事で戦意喪失、その大半が戦死ないし降伏した。

…とまぁ、このあたりは正史でも演義でも(魏の大将以外は)ほとんど同じ、戦後に馬謖を処刑したのも同じだが、正史にはちょっと気になる文言がある。この戦後処理で

向朗(しょうろう、馬謖と仲が良かった)は馬謖の逃亡を助けた咎で免職となった

馬謖の逃亡」という文言が気になる。他にも

・この時馬謖の参軍として随行していた陳寿の父*2は髠刑(読みは「こんけい」、一言で言えば「剃髪」。当時の中国ではかなり重い刑であった)に処せられている

・一方で寡兵ながら味方の全面崩壊を阻止した王平は昇進に与っている

・この数年後の北伐で兵糧担当の李厳は輸送に失敗して蜀軍を撤退に至らしめている。しかもこの時の李厳は自分の失敗を諸葛亮に押し付けるための「自作自演」をしている*3が、李厳死罪にはならず「官職を剥奪の上追放」で終わっている【*4

もちろん命令に背いて多くの戦死者・降伏者を出した罪は重いが、行為の「悪質さ」でいったら李厳のそれの方が数段悪質である(一歩間違えば数万単位の兵が餓死していたのだから)。それなのに李厳(当初は死刑にするつもりだったようだ)は死刑にならず馬謖だけが死刑、となると馬謖李厳とは比較にならない罪を犯した」可能性がある。…そこでこんな仮説が成り立つかも知れない。

 

馬謖が処刑されたのは「処罰または冷遇を恐れて呉への亡命を企てたから」

 

つまり馬謖の逃亡」は「亡命」を指している、という仮説*5】。彼を推した諸葛亮も当初は降格や追放とかで済ませようとしていたが「亡命を企てた」とあってはさすがに黙っていられなかった(今後真似るやつが必ず出てくる、と思った)のかも知れない。

…勿論仮説にすぎない。一口に「逃亡」といっても解釈はいろいろでき「麓を囲まれ進退窮まった馬謖は兵を見捨てて我先に『逃亡(=職務放棄)』した」かもしれないし、「投獄されていた馬謖『逃亡(=脱獄)』しようとした」かも知れない。一方で演義は蜀(というか諸葛亮)を美化する傾向があるので、それを差し引くと案外本当に「亡命未遂」があったのかも知れない。もしこれが事実だったら馬良*6は地下で何を思ったであろうか…*7

 

ちなみにこの時奮戦した王平諸葛亮の死後も魏延を討ったり対魏防衛戦で活躍しているが、正史によると彼は文字の読み書きがほとんどできず「知っている文字は10字に満たなかった*8という。そのため馬謖王平の事を思いっきり見下していた(ので彼の忠告を聞かずに山頂に陣取って惨敗した)可能性がある【*9】。現代風に喩えるなら

高学歴を鼻にかけて低学歴の人間を見下す(そして独断専行で会社に大損害を与える)ロクデナシのクズ

と言ったところだろうか。…こういう輩は古今東西問わず絶滅しないものらしい。しかし王平読み書きができなくともその発言は道理に適っていたというし、他人の話や読んでもらった書の内容もちゃんと理解できていたというので、馬謖のような所謂「浅学の徒」と比べたらどちらが有益なのかは論ずるまでもあるまい。なお、演義ではこの設定がカットされているが、最近のメディアではこの設定を採用している(それを「馬謖が独断専行に走った理由」としている)事が多い。

 

おまけ.張飛はどうやって曹操軍を退けたのか?

 

長坂の戦い。劉備は江夏に逃れようとするがこの時民も同行してきたため【*10】その行軍は遅々として進まず、直に曹操に追いつかれて散々に蹴散らされる。そんな中張飛は20騎(正史の記述)を率いて長坂橋(後世の人が便宜上そう名付けたものらしい)曹操軍を食い止める、という出来事は正史にも演義にもあるが、正史の記述は少しおかしい。

張飛橋を落として曹操軍を一喝した

演義では「橋の上で曹操軍を退けて」その後橋を落としているが、正史では先に橋を落としている。もし手前曹操軍が迫ってくる側)から橋を落としたら張飛自身が帰れなくなるし、向こう側から落としたとなると曹操軍が川を渡る手段がない」ので『かかってこいや!』と一喝されたところで「どーせーっちゅうねん」という話になる。そういう意味では演義の設定の方がまだ理に適ってはいるが【*11】、6桁に及ぶ敵兵を1人で退けたというのも大分無理がある(「蜀を美化する」演義だから仕方ない面もあるが)ので実際どうだったのかは今一つ想像がつかない。

 

こういう考察ができるあたり、21世紀になってもいろいろな「三国志」が書かれるのも何となく納得ができる。そのうち「独自の解釈による三国志を書く事」がブームになったり…はしないか、さすがに(笑)。

*1:演義では司馬懿が攻めてきているがフィクション(諸葛亮司馬懿を警戒して「策を持って司馬懿の兵権を失わせた」のも同様。ただ正史でも司馬懿は蜀に「出戻り」しようとした孟達の動きを察してこれを討っている)。

*2:演義では「陳式」という名前になっているが、この陳式は230年に死亡している(北伐で「命令違反で損害を出した」ために処刑されている)のでどうやったら「233年生まれ」の陳寿の父親になれるのだろう。正史にも「陳式」は登場するが陳寿の父という記載はなく、それ以外の経歴も史料が少ない。それどころか史料によっては「陳戒」という名前になっている。…もしかしたら「陳式と陳戒は親子」で「その子が陳寿」という可能性もあるが個人的な想像でしかない(笑)。

*3:最初は「悪天候で輸送ができない」と言っておきながら諸葛亮が漢中に帰還すると「輸送は滞りなく行っていた(のに何故撤退されたのか?)」と言い、後主(劉禅)には「撤退は敵をおびき寄せるための策」と説明したという。

*4:この少し前に兵糧輸送の職務怠慢で処刑されそうになった「苟安」は架空の人物。同時期に「句安」(読みはどちらも「こうあん」)という似た名前の人が蜀に仕えていたがそれとは別の人物。

*5:亡命先を呉としたのは「魏に亡命するのだったらわざわざ漢中まで帰る必要がなかった」し、それ以上に「無能っぷりを目の当たりにした魏が彼を重用するとは思えない」という理由による。

*6:馬謖の兄。5人兄弟の四男で(長男としているメディアもあるが999‰四男)、若い頃から眉毛に白髪があったので「白眉」と渾名される。「馬氏の五常(5人兄弟はいずれも字が『○常』であった)、白眉もっとも良し」と称され、「同類の中で最も優れたもの」を指す「白眉」という単語の語源となっている。なお馬良の最期は演義だと「南中討伐の直前に病死」であるが正史では「夷陵の戦いで戦死」と異なっている。

*7:この数年前に関羽を見捨てて呉に逃亡した麋芳の兄麋竺劉備が徐州にいた頃からの古参の人物で、妹が劉備の夫人となっているので言わば「義兄弟」である)は弟の逃亡を聞いて自責の念にかられて病に臥せってしまった(その1年後くらいに死去)。

*8:一説では「自分の名前」と「五常儒教の教え)」、つまり「王」「平」「子」「均」「仁」「義」「礼」「智」「信」だけ。…まるで阪田三吉みたいなエピソードである。

*9:もともと王平は魏の武将だったが、魏でも「同じような理由で」多くの武将に見下されていて、中でも徐晃王平の忠告を無視して惨敗した、という点まで馬謖と似ている。

*10:演義では「民が劉備を慕って」となっているが、正史では「曹操の前科(父の復讐で徐州で攻め込んだ時に無辜の民を大量虐殺している)を恐れて」となっている。

*11:この時張飛の一喝で馬から落ちた(メディアによっては「川に落ちた」)武将「夏侯覇」は張飛の妻の従兄弟。

三国志を正史の視点で・1

GW以降はジグソーパズル以外では三国志の「正史」に関する本を読む時間が多くなった。

今でこそ「正史ベースで書かれた」三国志のメディアも少なくないが、それでも世間に(日本でなく地元中国でも)根付いているのは「演義」の方(のエピソード)だったりする。自分は「正史」と「演義」の違いについてちょっとは知っていたが、詳しく掘り下げたのは今回が初めて。おかげでこれまで知らなかったエピソードも多く知る事ができた。

「正史」ってのは「歴史書なので、基本的に事実を基に記されている…わけだが、これを書いた陳寿という人の環境(蜀に仕えたがその滅亡後に晋に仕え、そこで「三国志」を書いた)「魏(→晋)が正統の王朝である*1というスタイルのせいで何でもかんでもありのままに書く、というわけにもいかず、割愛や簡略化された箇所は多く、中には嘘や脚色もあるかも知れない。また「一人の人間が書いたはず」なのに一つの出来事に対して複数の結果が書かれている事も少なくない【*2】。

そんな事情のせいか期間と人物の多さで考えると文量は少なく(およそ368000字)、三国志の完成から100年以上経った時に時の皇帝(三国志を愛読していたと言われる)が裴松之という人に「詳しい解説書」を書くよう命じ、当時民間に伝わっていた伝承や史料を基に作られたのが裴松之の注」、略して「裴注」(およそ322000字で「正史」に匹敵する文量)。今ではこれも含めて「正史」と呼ばれる事もある。

一方の三国志演義(「演義」とは「正義を演(=述)べる」という意味)は裴注の成立からおよそ1000年後に書かれたもので、史実をベースにしつつも「読んで面白い事」を重視したがためにあまりに荒唐無稽なエピソードが多い*3】。また演義にしか登場しない人物(周倉関索など)、設定が正史と異なる人物(関平など)も多い。そして何より羅貫中が熱烈な諸葛亮信者だったため主役と悪役(正史に「悪役」というのもおかしいが、正史は一応「魏が主役」であるので呉や蜀は悪役とまではいかないが「脇役」である事は間違いない)が完全に入れ替わっている。

 

具体的にどこがどう違うのかはそれをまとめた本なりサイトなりがあるに決まっているからそちらに譲るとして、ここでは演義割愛ないし簡略化された」&「個人的な見解を書けそうな」事について述べたい。

 

1.王允董卓以上のワルだった?

王允(字は子師)と言えば董卓の暴虐を阻止する為呂布を篭絡して董卓を殺させた、ある意味「正義のヒーロー」みたいなイメージがあるが…

史実では王允が策を弄するより早く董卓呂布の間には亀裂が生まれていた。呂布「些事に腹を立てた董卓から戟を投げつけられた(つまり一歩間違えていたら殺されていた)事があり、しかもちょうど時を同じくして呂布董卓の侍女の一人と密通していた*4ので、董卓の事を

「もし密通などがバレたら間違いなく殺される」

と恐れていた。そこを突いた王允に篭絡され董卓誅殺を決意。董卓は討たれ、その立役者の王允は「ヒーロー」のような扱いをされる。ちなみに「演義」だと王允董卓暗殺を企てた曹操に「七星剣」を貸す、というエピソードがあるが正史にはない(そもそも「曹操董卓暗殺を企てた事自体が創作」で、董卓から与えられた官職を辞して郷里に帰っている)。

 

かくして董卓亡き後の政権の座に就いた王允だが、その後の演義とかには見られない)エピソードを見ると彼への評価は変わる。当時中央には「当代随一の博学・人格者」と言われた蔡邕(さいよう、字は伯喈)という人物がいた【*5】。一時期董卓にも仕えていたが、「気に入らない奴は片っ端から虐殺」してきた董卓でさえその名声を憚ってか蔡邕にだけは手を出さずにいた。しかし王允はその蔡邕が董卓の死を悼んだ」というだけの理由で彼を処刑してしまう。群臣たちは処刑を思いとどまるように諫めたが全く聞く耳を持たず「せめて『漢史(当時蔡邕が編纂中だった史書』が完成するまでは」という訴えにも「罪人が書く史書に何の価値があるか!」と吐き捨てた、と言われる(おそらくは「史記」に対する当てつけだと思われる)。

董卓が殺された時、その配下の李傕、郭汜は洛陽方面に遠征中だったが、董卓の死を知って長安に逃げ帰る。王允は結果的に彼らに攻め滅ぼされるわけだが、正史では「李傕、郭汜は王允への降伏を申し出た」王允は(ここでも周囲の意見を無視して)「『董卓の一味だったから』という理由でそれを拒否した」とある。進退窮まった彼らだが、当時配下にいた賈詡の進言で長安を攻めるとこれがあっけなく陥落、王允および一族は族滅され呂布は敗走【*6】。

 

王允の場合「悪い意味での潔癖症というのが事実に近く(正史によると「若い頃からそういう性格だった」そうで、敵も多く、殺されかけた事も一度や二度ではなかったようだ)、「ワル」とは少し違うが、「他人の意見を聞かなかった」のは董卓と同じだし、「自己の信念に基づいて人を殺す」というのはある意味「自己の欲望に基づいて人を殺す董卓」以上に質が悪い。若い頃は「王佐の才」と評されたらしいが、そう評した人(高名な人だったらしい)は一体彼のどこを見てそう思ったのだろうか…*7

なお、王允は「相当な高齢の人物」として描かれる事が多い(例えば横山三国志とかでは「髪も髭も真っ白な老人」になっている)が、董卓を討った時の年齢(=享年、当時の中国は数え年)は56歳。曹操(同66)劉備(同63)より若くに死んでいるのに、曹操劉備(の最期)の方が若く見える事が多い。諸葛亮(同54)の最期と比べたら親子くらいに見た目に差がある。

 

…長くなったので続きは次回。

*1:実態はともかく表面上は魏は漢から「禅譲」されている(ので正統の王朝)。魏→晋も同様。

*2:例えばかの「赤壁の戦い」についての記述。…書くと長くなるのでここでは割愛。

*3:「当時の中国にはなかったもの」も多く登場しており、関羽の「青龍偃月刀」、張飛の「蛇矛」、呂布の「方天画戟」もその1つ。…(諸葛亮が南中制圧で使った)「地雷」や「虎戦車」? んなもんあるわけねーだろ(笑)。

*4:演義」でこの時に活躍する女性「貂蝉」はこの侍女をベースに作り上げられた(と思われる)架空の人物。それ故か彼女の設定はメディアによって千差万別(「もともと醜女だった顔を墓から掘り起こした美女の顔と挿げ替えた」「実は呂布の妹」なんて素っ頓狂な設定もあるくらい)、その最期も「董卓の死を見届けて自害(吉川三国志と横山三国志はこの最期なのである意味「日本人にもっとも馴染んでいる最期」と言える)」「下邳で呂布と一緒に処刑される」「曹操の側室になった」「(曹操に降っていた頃の)関羽が妻とした」「関羽に斬られた」など様々。…もっとも「そもそも架空の人物」なので設定や最期がどうであっても意味はほとんどないのだけど(笑)。

*5:マニアックな人には「蔡文姫の父」と言った方が分かりやすいかも知れない。

*6:この時甥にあたる王淩(おうりょう)という人物は命からがら難を逃れている。その後魏に仕えるが、この60年くらい後に司馬氏の専横に耐えかねて叛乱を起こしている(この時担ぎ出された「曹彪」という人物は曹丕の弟でその当時  曹丕だけでなく子の曹叡も没していた  で50代後半)。

*7:同時代に「王佐の才」と評された人物として荀彧がいるが、彼と比べるとその功績や能力は雲泥の差と言える。

誰もができる事が 僕には難しい

前回の記事の「ジグソーパズル」に収録されている楽曲の中にそんな歌詞がある。

実際世の中には「誰もができる」ように感じる事が何故かできない(苦手)、という事はいくらでも見かける。

自分の場合だとM先生のコメントにあるような「JPに苦情を申し立てる」というような事がその1つに当てはまる。

…この事について書こうとするととても長くなる上に「非常に面倒な事」が起きそうなので【*1】簡単に書くと

自分の脳みそは民主主義的な考え方に適合していない

とでもなるだろうか。…もっとも自分でなくてもそういう人はいるだろうし、そもそもそういう人でないと「一代で大企業を作り上げる」なんて事は絶対できないだろう。

 

…別に民主制そのものを否定したいわけではなく、むしろ民主制がないとプーチンやクソの穴*2のような人間の暴走を止められないように思う。仮に前述のような君主制(便宜上「民主制」の対義語。ぶっちゃけ「独裁政治」と同義)君主制でもって覆しても九分九厘「地球上(歴史上)にプーチンやクソの穴のような人間が1人増えるだけ」という結果に終わる、という程度の予測は自分でもできる(日本でクーデターが起きて軍事政権が誕生しても同じ事だろう)。ただ自分は「そっち方面では役に立てない」という自覚があるので、

そういう事はそういう事が得意な人に任せるのが一番

だと思っている。ちなみにかの蒋介石は日本軍の侵攻に対し「有力的出力、有銭的出銭(力のある人は力を提供せよ、金のある人は金を提供せよ)、つまり「国民それぞれの最も得意な分野で抗戦せよ」と鼓舞したと言われる。…同じ中国人でもここまで違うものなのかねぇ。

 

日本人(民主国家で暮らす人)は「民主主義的な思想」を持ち合わせていないといけない

みたいに考える人を時折見かけるが【*3】、そういう考えは「思想や価値観の強制」「自分と異なる価値観に対する不寛容」であり、差別やハラスメント、ひいては紛争や戦争が起きる要因でしかない、それこそ(言論や思想を統制している)プーチンやクソの穴なんかとやってる事がほとんど変わらない」と断罪してもいい。昨今問題となっているスクールカーストなる代物も現代の教育方針が結果として「人気」というバロメータでしか人間の優劣を評価できない人間を大量生産しているからああいった悍ましいものが生まれるわけだし、その結果俗に「バカッター」などと呼ばれる愚行蛮行を平然と行う輩が世間に蔓延る、という見方は決して間違ったものではあるまい。

 

…これ以上はやめておこう。引き返せるうちにやめないとどんどん沼にハマりそうだし、そもそも「政治的な話を個人のSNS上でする」ということ自体が何か違うような気がするし。

*1:実際に「下書き」したが、途中まで書いた(3000字近くになった)時点で「異議・抗議を騒ぎ立てる人が絶対出てくるな…」と思ったので書くのをやめた。

*2:この呼称はもっと広まるかと思っていたが結局ほとんど広まらなかったなぁ…

*3:正直「当時は」M先生のコメントもそんな風に見えた。本人の意図するところは別として。

将棋というゲームの本質?

GW以降は詰将棋よりもジグソーパズルを解いている時間の方が多いように思う。

ジグソーパズルは「外周部分を先に作る」のが定石(?)であるが、

…超上級者は外周分を最後に組み立てる。…わけがない(笑)。もっともジグソーパズルは時に「外周以外の特徴的なパーツ(例えば「顔」とか「文字」とか)」の方が組みやすい事もある(このゲームの絵はそういうのが多い)ので、外周部分にこだわらない方が早く完成させられる事も少なくない。とりあえずこういうゲーム(実物ではないジグソーパズル)の利点は

・場所を取らない

・ピースを紛失するリスクがない(笑)

の2点に尽きる。それこそ通勤中の車内でもできるので詰パラの遅配などどうでも良くなってしまう(言うまでもなく皮肉。こういう事を書くから編集部が増長?するのかも知れない…)。

 

6月号の「おもちゃ箱だより」にてCSC(「コンピュータ将棋選手権」。長いので勝手に略します)の話に触れている。COM将棋には全然興味がない、というのは今も昔も(多分未来も)変わらないが、「4.選手権の感想」の内容についてはいろいろと思う事があった。

 

・決勝では平均手数が200手近くになり将棋というゲームはミスをしないとなかなか終わらないゲーム

「将棋の平均手数は110~120手くらい」という理論で生きてきた人からすると隔世の感(?)がある結果だが、見方(考え方)を考えると「別に不思議なことでもない」と思う。

…どういう意味か。「真剣の試合」を想像すると分かりやすいかも知れない。つまり剣道の試合とかと違って「負けたら(斬られたら)死ぬ」という前提条件がある。そういう前提条件の下では素人はともかく達人、剣豪レベル同士の戦いだったら「不用意に動いたら斬られる」事が分かっているだろうし、「不用意に動いたら斬られる」事を承知の上で無理矢理攻めるバカはいない。そうなると達人同士の試合は「お互いが構えたまま長時間動かない」というシーンが十分に起こり得る。

将棋もおそらくは似たようなもので、「最善手(COMの場合『もっとも評価値の高い局面』)はパス(に類する手)」という局面はいくらでもあるのだと思う。最近の角換わりの三点手待ち*1】なんかを見ているとその思いは更に強くなる。また攻めるにしても決定機が見つかる(≒相手がミスをする)までは細かい動きにとどめる、なんて事が続けば将棋というゲームの平均手数が伸びても不思議ではないよな、と思う。…何だかんだ言って「人間はミスしてしまう」からなぁ。

 

・運営上320手で引分けのルールになっています

…そんなルールがある事をこの時初めて知ったわけだが、「手数による打ち切り」は以前から時折見かけるルール(?)だし、何よりプロの公式戦でも数年前に「500手ルール」が制定されたくらい。

だが、その後に続く「不利な側が粘って320手に持ち込むのも、本来の将棋とは目的が違うので、違和感を感じる人が多そうです」という指摘はもろ手を叩いて「その通り!」と叫びたくなる。

以前も書いたような気がするが自分は天下一将棋会*2」で200手引き分け(成績の上では「両者負け」=連勝が止まる)に持ち込まれた(歩を打つ→捨てる、を繰り返していたので明らかに「狙ってやっていた」)事があり、実質「このゲームをやらなくなった最大の理由」と言える。

将棋に限らず(新しい)ルールのせいで方針が大きく変わってしまう」事は主にスポーツで見かける。例えば柔道で「攻めないと『指導』を喰らう」というのも、

本来ならこちらからはあまり攻めたくない(前述の「剣の試合」と同じ理屈)けど「ルールだから仕方なく攻めている」

と思っている柔道家は絶対にいるはずである。素人の自分が見てもこのルールは「柔道という競技の本質から相当乖離している」ようにしか見えないので。それと同じ事が将棋でも起きるのである。

 

将棋を観て楽しむというニーズに対応できているかというと、ちょっと疑問に感じた次第

こういう考えは将棋以外でもよくある話だが、これに対する自分の答えは決まっている。「将棋が観客に合わせる」のではなく「観客が将棋に合わせる」、言い換えるなら「観客に対する教育が必要」だと思っている。

例えば前述の「剣の試合」。普通に考えたら「お互いが構えたまま長時間動かない」というシーンを見ていて面白いと感じる人はまずいない。それこそ柔道のような「攻めないと『指導』を喰らう」というルールの方が動きが激しいので見ていて面白いはず。しかし前述の理由から最高峰の試合というのは得てして「お互いが構えたまま長時間動かない」といった事が「理論的に」起こり得る。

…つまり、

最高峰の試合というのは「スポーツを見るような感覚で」観戦しても楽しめない(そもそも「誰かに見てもらう」という行為=要は「興行」に向いていない?)

と言える。だから人間同士にせよCOM同士にせよ「これまで(スポーツ観戦みたいな)とは全く別の感覚で見ないと楽しめない」という事を競技の側から教えないといけないし、観客の側もそれを自覚しないといけない。それこそ

「手数(対局時間)が長過ぎて見ていてつまらん」とか言うのは将棋というゲームの本質から考えると「将棋の観戦方法を根本的に間違っている」

とさえ言える【*3】。もっとも将棋とかの場合は「動かない時間帯」があっても解説やらなんやらで「間を持たせる」事が可能だが、剣の試合とかだと「動かない時間帯」だと思ったらその数秒後に終わっている、という可能性もあるため「間を持たせる」事も難しい。

一方でABEMA将棋はルールといい演出といい「見せる事」を前提に考えられている(と思う)ので、「スポーツを観戦する感覚が深く染み込んでいる」現代人に受けがいいのだと思う。…多分。自分は考えが古いのでついて行けないけど(笑)。

*1:筆者の造語(笑)。「☖4一玉」「☖4二玉」「☖5二玉」のように3種類(以上)の局面を自由に往復できる手待ちの事。通常のA⇔B手待ちだと「4手後に先後ともに同じ形に戻っている」が三点手待ちだと「自分だけ(あるいは相手だけ)を違う形にできる」。もっとも相手も三点手待ちをしたら結局は同じ事だが…

*2:そう言えばこのゲームはどうなったのだろう。コナミ棋王戦に特別協賛している割にはこのゲームに関する話は全く聞かれないので…

*3:その理屈で言うと「2日制タイトル戦の廃止を訴える人」なども同類と言えよう。

死の淵から生きて帰った?

もしかしたら自分はM先生に「呪い殺されていた」かも知れない。

 

前回の記事を上げた翌日=5月1日に原因不明の高熱・下痢・吐き気に見舞われる。前日から体調不良を自覚していたが【*1】、翌日に急激に悪化(自宅療養で乗り切ったので結局原因はわかっていない。コロナかも知れないし違うかも知れないし…)。それこそ「いつ寝ていつ起きたのか」「今日は何日なのか」すら分からない状態が数日続き、久々に「もしかしたら死ぬかも」と思ったくらい。

その後何とか持ち直し、普通に(?)生活できるレベルまで回復した時には6日。そのため詰パラ5月号がいつ家に届いたのかも把握できておらず(6日には届いている事を確認している)、それどころか(体力的にも精神的にも読もうという気になれなかったのか)封を切って読んだのは8日。…皮肉まみれの結末に呆れて言葉が出ない。

 

「都合の悪いことが起きると発病する」なんて三流の政治屋かアンドリュー・フォーク*2か、と突っ込まれそうだが、「心労に因る発病(免疫力の低下)」なんてのは神経が鉄パイプかワイヤーロープでできているような特殊な人間でもない限り誰にでも発症し得る。

そう断言できるのは自分も過度のストレス(主に上司の暴言)が原因で肺気胸を発症、しかも「手術しないと命に係わる」と言われて人生初の全身麻酔を経験するくらいの重症だった【*3】、という経験が言わせている。

 

こんな風に書くと「自分はM先生の事を殺したいくらいに憎んでいる」みたいに思われそうだが、自分はこの手の「恨み」はあまりというかほとんど引きずらない質だったりする。何かがきっかけで思い出すことはあるが、「そう言えばそんな事もあったな」で終わってしまう事がほとんど。…ちなみに過去にその手の「因縁」があった奴はほぼ全員顔も名前も憶えていない。

 

長期休暇?を過ごした事で(GW期間中だったのは不幸中の幸いだったと思う)気持ちが落ち着いたのかも知れない。…が、詰将棋を解く力は間違いなく落ちた(笑)。

5月号を読んで思った事は

印刷が異様に(「文字が読めない」の一歩前くらいに)薄いページがいくつかある

(印刷所は)納期が遅い上に仕事の質まで悪いのか、と思って(呆れて)しまう。

・彩棋会作品展の「今回は手数の長いものはない」というのは有利誤認にならないのか?(締め切りはとっくに過ぎているので書いてしまうが拙作は一応「23手詰」)

…前回の作品展=23手~63手と比較して、という事かも知れないけど。

・将棋パズル雑談【*4】の「総評など」

…自分のコメントを掲載したのは「次回(8月号)に自作を掲載する、という予告」と受け取っていいのだろうか?

 

…とか言っているうちに6月号が届く。届いたのは多分1日(31日は家にいなかったので届いていたのか分からない)。一通り流して読んで気づいたダウトは2つ、

・8ページ3段目(ヤン詰④の解説)

「43銀があるので44銀打と表記します」⇒作意手順(ちょっと右のほう)は「43銀合」となっとるがな。

・50ページ3段目(幼4の作意手順)

5手目「23銀成」⇒銀はどこから湧いてきたのだろう(持駒の銀は初手に捨てて使い切っている)…

もっともダウト以上に気になった(というか嫌な気分になった)のは

・デパートの①

だろうか。ハッキリ言って自分はこういうジョーク(?)は好きではない

 

…とか何とか言っているうちにもうすぐ7月。彩棋会の開催(9日の予定)も迫っているが課題作へのアプローチはほぼなし(在庫にもそれっぽいのがない)。

*1:4月号の高等学校の解答を「旧担当の仲西氏に送ってしまっていた」事にこの時は全く気付いていなかった…

*2:銀河英雄伝説の登場人物で、「自分が立案した作戦」を実行できない現場指揮官(フォークより階級が上)を非難したら「だったらお前がやって見せろ」と罵倒され(「その作戦が既に破綻している事」をフォーク自身は全く気付いていない)、その直後に突然昏倒してしまう(病名は「癲癇性ヒステリー症による神経性盲目」。作中では「挫折感が異常な興奮状態を引き起こして発症する」と説明されている)。

*3:その後も(今も)ストレスや気圧の低下(大型台風の接近とか)で肺が痛む事はたまにある。浜松は台風が直撃する可能性がある(実際あった)ので、台風接近のニュースを聞くたびに嫌な気分になったものである。

*4:75番に余詰があるため「先手玉は18に配置」という条件が追加された事を最近知った。

自分は今まで何に対して怒っていたのか

三重県も28日に届いていない」と聞いて正直訳がわからなくなっている。

何か情報は得られないかと詰パラのサイトを見てみると、5月号に関する「メモ」があった。

 

2022/4/27:
5月号高校出題作について
高等学校3番は、手違いにより4月号出題と同一図を掲載してしまいました。大変申し訳ございません。

なお本作への解答は全員正解とさせていただきます。

(そのまま引用)

 

詰パラ大丈夫か?」と思ってしまった。

 

…頭の中が混乱している時は寝て起きて頭の中をリセットするに限るという事でこの日はさっさと寝る事に。

 

目が覚めて改めて状況を考える。…2つの可能性に思い至る。

1.正真正銘の(?)職務怠慢

2.編集部に「尋常ならざる事態」が起きている

 

もし1.だったら「匙を投げる」。

自分で言うのもなんだが「自分が直接相手に文句を言うのはかなりのレアケース」。早い話「心配している」相手以外にはほとんど文句を言った例がない。言い換えると自分が文句を言う=「心配している」のである。

…ただ、こういう考えの厄介な点は(そういう考え方を)事前に知っていないと誰にも伝わらない」という事だろうか。ただでさえ今は「クレーマー社会(?)」なので、誠意ある(?)叱咤激励も数多蔓延るクレーム(クレーマー)の1つとして扱われる可能性の方が高い、という事に今更気づいた。「心配している相手には怒る、心配していない(どうでもいい)相手には怒らない」という考え方は誰でもわかるものだと思っていたが。

…話がズレた。そんな自分でも「我慢の限界」は存在するので、もし5月号の遅配も怠慢によるものだとしたらさすがに「これ以上心配するのは(それこそJPとかに苦情を言う以上に)馬鹿馬鹿しい」、となってしまう。

 

…ただ、今回の場合1.である可能性はかなり低いように思った。理由は上記メモの「日付」。誤植はおそらく「完成品」を見て気づいたと思われるので、この数日前(25日前後)に5月号は脱稿していた、と考えられる。

…どこが怠慢やねん。

だとすると「誤植が多くなる」、つけ加えるなら「郵送に支障が出ている」理由として2.が考えられる。

慢性的に(?)遅延や誤植が起きているので、かなりの高確率で「コロナに起因する話」だと思う。もしかしたら「関係者の感染」かも知れないし、もっと他の事が起きているのかも知れない。他の業種だとかすり傷程度でしかない事でも「その業界にとっては致命傷」いう事が起きているのかも知れない(例えば「リモートワーク」にしても職種によっては重過ぎる足枷になり得る)。もしかしたら自分の「抗議書」によって更なるダメージを与えてしまったのかも知れない(全く笑えない)。

 

自分以上に気の短い人だったらそれでも「そんなの関係ねえ」とか言うかも知れないし、「それが不特定多数の客を相手にする商売の常識」という考えは今も変わらない(というか「異論は認めない」)が、コロナってのはそういった常識の外にある代物であるという事に今更気づかされる*1。だからこんな自分でも「編集部の人間に新型コロナ感染者が発生したため・・・」みたいに言って(巻末にでも書いて)くれれば同情しますよ、…金はあげないけど(だから古いっつーの)。

 

自分は今まで一体何に対して怒っていたのだろうか?

…と思った。

「何故こんな単純な事に今まで気づかなかったのか?」と、生きる事を含めて自分の全てが嫌になる。

*1:誤解を恐れずに言えばコロナは「犯罪」。言わば自分は「犯罪被害者を非難していた」という事になるし、政府はともかくJPもある意味「被害者」と言えるかも知れない。

信<疑

コメントをいただいたのが20日なのにそれを確認できたのは28日、というのは尋常ではないと思う。これが商売だったら大問題だが、「営利目的ではない」&「どうせ誰も期待していない」ブログだから…で済ませていい話でもなさそう。たとえそれが「尋常ならざる事情のせい」だとしても。…そのうち自分の方が「安否を心配」されそうである。

 

編集部によると、遅配を予見して早めに発送したとのこと。 それでも遅れたということは、遅れが常識的に予見できる範囲を超えていたわけで・・・

…種明かし(?)されると「そーゆーこってすか*1と言いたくもなるが、5月号も遅配(28日に届かなかった時点で最速でも5月2日)が確定した時点で

本当に「遅配を予見して早めに発送した」のか?

という疑いの方が強くなってしまうのは至極当然な心理だと思う。中には「物分かり(?)のいい客」もいるのかも知れない詰パラ読者に限ると結構な割合でいそうな気もする)が、自分はそこまで「いい人」ではないし、そもそもそういうものを当てにして上手くいっている商売はほとんど聞かない。

 

最近はあまり見なくなったような気もするが、一時期「店員に土下座させる奴」が流行(?)した。もしかしたら(ここ最近の記事の内容から)「自分(DJカートン)もそういう奴と思われている」可能性もあるかも知れないが、

自分はそういう輩の同類ではない

事だけは言っておきたい。世の中には「客は偉い」と勘違いしている奴が少なくない*2】が、自分は「店と客とは50:50の対等な関係である」という考え方(父親の影響が大きい)で生きてきたので「店員に土下座をさせる」なんてのはその「パワーバランスを破壊する行為」であり、それこそ「人としてあるまじき愚考・愚行」だとしか思っていない。…勿論誰にでも「50:50」というわけではなく、「50:50すら主張する権利のない奴(例えば詐欺まがいの商売とか)」にはそれに相応しい対応をするまで。

 

今回の件も「編集部に土下座をさせるため」などではない(むしろされたら困る)。ただ、最近の編集部は「遅配が続いているのに平然としている=少しふんぞり返っている」ように見えた(完全な誤解かも知れないが、ここ最近を見ているとそう思われてしまっても仕方がない)ので、過激にならないように&激励の意味も込めた文章で、要は「編集部と50:50の関係で付き合えるように*3抗議書を書いた…つもりなのだが、「こちらの意図が編集部に正しく伝わっていない」可能性もある、というか「伝わっていない可能性の方が極めて高い」

*1:「そういう事ですか」の訛り。某アニメに出てきたもので(半ば口癖と化している)、現実にそういう訛り(で喋る人・地域)があるのかは不明。

*2:三波春夫の「お客様は神様です」の意味を完全にはき違えている奴が多過ぎる、という事でもある。

*3:今風に(?)言うなら「WIN-WIN」の関係、と言ったところか

怒りの矛先はどこへ向けるべきか

今年も解答選手権オンラインに参加できなかった。…巡り合わせが悪いのぉ、とか思っている矢先に今年の全国大会も中止」との一報が。…△△△△(個人的な話)ができる日は来るのだろうか。

 

前々回の記事に対する「元M先生」のコメント。…コメント内容よりも先に「ご無事でしたか」という感想を抱いた(最近香龍会に全く参加されていないようなので)。…今の御時勢ってそういう風に考えてしまうんですね。

それはともかく、「遅配の直接の原因は郵便局のサーヴィスの質の低下」という指摘は自分にしてみると「完全に想定外の発想」だった。…確かにJP(日本郵便)のサーヴィス【*1】がいいとは言えない  そもそも「土日祝の配達停止」がサーヴィス向上なわけがない  が…

 

じゃあ「怒りの矛先は権力者に向けるべき」と言われると… 考えた結果

自分にとってはほとんど意味のない事

となった。あくまで「自分にとっては」ですから。

 

理由1:「自分にとっては」JPのサーヴィスの質の低下は気になるレヴェル【*2】ではない

「JPの利用頻度」は個人差が大きいと思われる。人(あるいは職種)によっては毎日のように使っている(使わざるを得ない)人もいれば「平均月1回以下」なんて人もいる。前者だったらJPの職務怠慢に腹が立っても不思議ではないが、自分みたいに「月末にヤン詰の解答を郵送する」くらいしか利用しない人からすると「有効な消印(該当号発行月の月末)が押された上で届けばいい」くらいにしか考えていない(ポストに投函だと「有効な消印が押されているのか不安」なので確認も兼ねて毎回郵便局の窓口に行って投函している)。そして今のところそれは履行されているようなので「怒りの矛先」という発想にならないのである。

 

理由2:say... but in vain

直訳(?)すると「言っても無駄」。わざわざ英語で書いたのはノスタルジアにこういう名前の曲があるから」。…意味は全くない(笑)。

自分はJPが民間企業である事を時折失念するのだが、民間企業となった今でも「お役所体質」はそう簡単に脱却できているとは思っていない(ある程度の先入観・偏見は混じっているかも知れないけど)。そしてこういう団体というのは「利用者の声が反映される可能性が限りなく0に近い」(これも偏見あり)反映される可能性はあるかも知れないが「反映されるまでに長い時間を要する」。…そりゃあ「言っても無駄」な気分になってしまう。これが国営時代だったら「納税者の権利(?)」として声を上げるべきなのだろうが、「一応JPも民間企業」なので…

一方で詰パラ編集部はJPと比べたらはるかに小さな団体である。言い換えると「小回りが利く」。極端な話「文句を言った当日に改善される」可能性だってある。それだったら奮起を促す意味でも*3詰パラ編集部に怒りの矛先を向ける方が「意味のある行動」になる。詰パラ編集部が「聞く耳」を持っていれば、の話だが。

 

理由3:今回が初めてではない

三重県にはいつも通り1日に届きました」とあるが、自分は三重県(編集部に比較的近い場所)なのに届いたのが1日」だと思った。以前も書いたが「北海道でも前月のうちに届いていた事もある」ので、それと比べると明らかに「遅配」である。そして何度も言っているように「遅配は今回が初めてではない」。今の御時勢なのでいろいろと大変なのかも知れないが、

 

理由4:編集部の言い訳など「読者にしてみればどうでもいい事」

ユーザーというのは実に我儘な生き物で、サーヴィスは「もっとも良かったもの」を基準として判断をする。詰パラだと「前月のうちに届く」のが基準になる(そう思っているのは自分だけかもしれないが)。そしてそれが満たされないといくらでも文句を言ってくる(「ゲーム業界」のユーザーを見ているとより顕著に感じる)。サーヴィスの質の低下には「已むに已まれぬ事情」がある事も少なくないが、

そんな事情などユーザーにしてみたらどうでもいい事(=言い訳)

に過ぎない(これ重要です)。中には理解を示して(≒同情して)くれる人もいなくはないが、基本的には内部事情をサーヴィスの質の低下の理由にしてはいけない(それはユーザーに対する「甘え」あるいは「愚弄」である)前回も書いたが、事情があるのならその事情を前提条件として逆算すればいい話で、詰パラ編集部のような「小回りが利く団体」だったらそれが可能なはず、というか「実際やれていたはず」なので、「やれるやらやれよ」となるのがユーザー心理。これが自力ではどうにもならない事情(例えば国際情勢による原料価格高騰→商品の値上げや量の減少)とかなら「仕方ないか…」とならなくもない(そういう情勢を作った政府とか国とかに怒りの矛先が向く)が。…そう考えると袋ラーメンは以前と比べて1食当たりの量がかなり減ったなぁ、と思う。

 

「抗議書」はもう送った。あとはそれを読んだ編集部がどう感じ、どう行動するか。その答えは4月28日(連休の前日)に出るだろう。

*1:何か違和感を感じる表記だが、スペルは「SERVICE」なので発音に忠実たらんとすると「ビ」ではなく「ヴィ」になる。小学校から英語の授業を導入するなど「英語教育を促進させたい」のならこの種の使い分けは必要だと思う(のに数年前に「国名の日本語表記から『ヴ』を消している」のはどう考えてもおかしい)のだが。

*2:スペルは「LEVEL」なので統一性(?)を持たせるため無理矢理「ヴ」表記に統一(笑)。

*3:こういう時に「檄を飛ばす」を使う人が多いが、檄を飛ばすは「奮起を」促す、ではなく「決起を」促す(あるいは同意を求める)、という意味なので本来は誤用。

符号に「合」は必要か?

本来ならこの記事は4月2日にはアップできていたはずなのだが、前回の記事に書いたとおり「自分の手元に詰パラが届いたのは4日」なので当初の予定から大幅に遅れてのアップとなってしまった。

 

…まぁ要件(?)はタイトルのとおり。多くの詰キストは符号に「合」がついている事に何の疑問も抱いていないような気がするが、自分は「別になくたってええやん」と考える派。実際解答の投稿に「合」はつけないし、会合とかで符号を口述する時も九分九厘つけない(「貼る」という事は多々あるが)。

 

合理的に(?)考えると、

1.指し将棋では符号に「合」なんてつけない。

指し将棋の棋譜で符号に「合」がついているのを見た事があるだろうか。例えば「☗4八飛☖4七角合☗同飛・・・」という感じの棋譜を【*1】。…自分はただの一度だってないし、他の方も多分同様だろう。指し将棋と詰将棋が全く別のゲームというならともかく、原理としては同じものなのに片方だけ「合」をつける理屈がよく分からない。

2.省略すると意味が変わる符号ではない。

例えば「3三金打」は「盤上の金が3三に利いている状態」で3三に金を打った事を指しており、その局面で「打」を省くと「盤上の金が3三に動いた」事になり、意味が変わってしまう。だから「打」の有無は重要である。

…じゃあ「合」の有無は盤面の状態にどれほどの影響を与えるのか? …よく考えればわかると思うが、符号の「合」の有無は

盤面の状態に何の影響も与えていない。

言わば歩を打った時に「5三歩打」とわざわざつけているようなもので、符号の「合」はこれと全く同じ事、つまり「なくてもいい補助符号」だという事がわかる【*2】。

多くの詰キストは「何となく」とか「古くからの慣習」で符号に「合」をつけているのかも知れないが、自分は時折そういうものに「?」を投げかける。…というか若手の詰キストの間では「グレー要素を白黒ハッキリさせようとする」動きがままあるのに、その中に「符号の『合』の有無」についての議論は聞いた事がない。何故だろう…

 

この疑問については「書こうと思えばいつでも書けた」のだが、この時期詰パラ4月号の到着後)に書いたのには理由がある。

発端(?)は1月号のヤン詰解答稿。その中の①の作意手順について

13香㋑12桂合、同香成、同玉、45角㋺34桂、同角、11玉、…(以下略)

の後に

㋑㋺を「12桂・34桂」と書いた解答が多数。合駒を打ったのかどうか、差が分かるように記してください。

と書いている。…これを読んでこの担当者は

合駒を打った場合は「合」をつけろ

と言いたいんだな(6手目の「34桂」は22からの移動合で、ここで「34桂合」は打った事になる=早詰になるので不正解)、と自分は解釈した

ただ、そう解釈するとおかしな事が生じる。4月号ヤン詰の解答稿、その②について

26桂、同角、23銀、同馬、25金、44玉(逆王手)、45歩、同桂、35銀、同角、36桂迄11手。

7手目の45歩は「合駒を打った手」であるが、符号に「合」はついていなかった(これを確認するために4月号の到着を待っていた。…実に根性が悪い)

…先ほどの主張はどこに行った? と思った。もし「攻め方の着手に『合』は不要」と主張するなら「だったら玉方の着手にも『合』は不要」と言い返す事(あるいはその逆)が可能である。…「とても面倒な議論」に発展する未来しか見えない(笑)。いっその事解答で「45歩合」って書いてやろうとも考えた(が結局やらなかった。…やっときゃ良かったかも)。

 

…最後は完全に屁理屈であるが(笑)、こういう面倒な議論(屁理屈)が起きかねないのなら符号に「合」を付けない方がスッキリしているのでは、と自分は考える。一方で「『合』があった方が分かりやすい」という理屈にも一理あるので、最終的には「好み」になってしまう可能性もある。ただ、「『合』をつけない解答は不正解」などとほざき出したら「抗議書パート2」の登場である。

*1:喩えが古いって? ほっとけ(笑)。

*2:厳密には「歩打」も棋譜で登場し得るがそれは極めて特殊な話(「歩の直前に歩を打った」場合はそれが二歩=反則である事を示すために「○○歩打」と書く事になる)なのでここでは除外。