DJカートン.mmix

それって早い話「金儲けのための忖度」って事では。

将棋というゲームの本質?

GW以降は詰将棋よりもジグソーパズルを解いている時間の方が多いように思う。

ジグソーパズルは「外周部分を先に作る」のが定石(?)であるが、

…超上級者は外周分を最後に組み立てる。…わけがない(笑)。もっともジグソーパズルは時に「外周以外の特徴的なパーツ(例えば「顔」とか「文字」とか)」の方が組みやすい事もある(このゲームの絵はそういうのが多い)ので、外周部分にこだわらない方が早く完成させられる事も少なくない。とりあえずこういうゲーム(実物ではないジグソーパズル)の利点は

・場所を取らない

・ピースを紛失するリスクがない(笑)

の2点に尽きる。それこそ通勤中の車内でもできるので詰パラの遅配などどうでも良くなってしまう(言うまでもなく皮肉。こういう事を書くから編集部が増長?するのかも知れない…)。

 

6月号の「おもちゃ箱だより」にてCSC(「コンピュータ将棋選手権」。長いので勝手に略します)の話に触れている。COM将棋には全然興味がない、というのは今も昔も(多分未来も)変わらないが、「4.選手権の感想」の内容についてはいろいろと思う事があった。

 

・決勝では平均手数が200手近くになり将棋というゲームはミスをしないとなかなか終わらないゲーム

「将棋の平均手数は110~120手くらい」という理論で生きてきた人からすると隔世の感(?)がある結果だが、見方(考え方)を考えると「別に不思議なことでもない」と思う。

…どういう意味か。「真剣の試合」を想像すると分かりやすいかも知れない。つまり剣道の試合とかと違って「負けたら(斬られたら)死ぬ」という前提条件がある。そういう前提条件の下では素人はともかく達人、剣豪レベル同士の戦いだったら「不用意に動いたら斬られる」事が分かっているだろうし、「不用意に動いたら斬られる」事を承知の上で無理矢理攻めるバカはいない。そうなると達人同士の試合は「お互いが構えたまま長時間動かない」というシーンが十分に起こり得る。

将棋もおそらくは似たようなもので、「最善手(COMの場合『もっとも評価値の高い局面』)はパス(に類する手)」という局面はいくらでもあるのだと思う。最近の角換わりの三点手待ち*1】なんかを見ているとその思いは更に強くなる。また攻めるにしても決定機が見つかる(≒相手がミスをする)までは細かい動きにとどめる、なんて事が続けば将棋というゲームの平均手数が伸びても不思議ではないよな、と思う。…何だかんだ言って「人間はミスしてしまう」からなぁ。

 

・運営上320手で引分けのルールになっています

…そんなルールがある事をこの時初めて知ったわけだが、「手数による打ち切り」は以前から時折見かけるルール(?)だし、何よりプロの公式戦でも数年前に「500手ルール」が制定されたくらい。

だが、その後に続く「不利な側が粘って320手に持ち込むのも、本来の将棋とは目的が違うので、違和感を感じる人が多そうです」という指摘はもろ手を叩いて「その通り!」と叫びたくなる。

以前も書いたような気がするが自分は天下一将棋会*2」で200手引き分け(成績の上では「両者負け」=連勝が止まる)に持ち込まれた(歩を打つ→捨てる、を繰り返していたので明らかに「狙ってやっていた」)事があり、実質「このゲームをやらなくなった最大の理由」と言える。

将棋に限らず(新しい)ルールのせいで方針が大きく変わってしまう」事は主にスポーツで見かける。例えば柔道で「攻めないと『指導』を喰らう」というのも、

本来ならこちらからはあまり攻めたくない(前述の「剣の試合」と同じ理屈)けど「ルールだから仕方なく攻めている」

と思っている柔道家は絶対にいるはずである。素人の自分が見てもこのルールは「柔道という競技の本質から相当乖離している」ようにしか見えないので。それと同じ事が将棋でも起きるのである。

 

将棋を観て楽しむというニーズに対応できているかというと、ちょっと疑問に感じた次第

こういう考えは将棋以外でもよくある話だが、これに対する自分の答えは決まっている。「将棋が観客に合わせる」のではなく「観客が将棋に合わせる」、言い換えるなら「観客に対する教育が必要」だと思っている。

例えば前述の「剣の試合」。普通に考えたら「お互いが構えたまま長時間動かない」というシーンを見ていて面白いと感じる人はまずいない。それこそ柔道のような「攻めないと『指導』を喰らう」というルールの方が動きが激しいので見ていて面白いはず。しかし前述の理由から最高峰の試合というのは得てして「お互いが構えたまま長時間動かない」といった事が「理論的に」起こり得る。

…つまり、

最高峰の試合というのは「スポーツを見るような感覚で」観戦しても楽しめない(そもそも「誰かに見てもらう」という行為=要は「興行」に向いていない?)

と言える。だから人間同士にせよCOM同士にせよ「これまで(スポーツ観戦みたいな)とは全く別の感覚で見ないと楽しめない」という事を競技の側から教えないといけないし、観客の側もそれを自覚しないといけない。それこそ

「手数(対局時間)が長過ぎて見ていてつまらん」とか言うのは将棋というゲームの本質から考えると「将棋の観戦方法を根本的に間違っている」

とさえ言える【*3】。もっとも将棋とかの場合は「動かない時間帯」があっても解説やらなんやらで「間を持たせる」事が可能だが、剣の試合とかだと「動かない時間帯」だと思ったらその数秒後に終わっている、という可能性もあるため「間を持たせる」事も難しい。

一方でABEMA将棋はルールといい演出といい「見せる事」を前提に考えられている(と思う)ので、「スポーツを観戦する感覚が深く染み込んでいる」現代人に受けがいいのだと思う。…多分。自分は考えが古いのでついて行けないけど(笑)。

*1:筆者の造語(笑)。「☖4一玉」「☖4二玉」「☖5二玉」のように3種類(以上)の局面を自由に往復できる手待ちの事。通常のA⇔B手待ちだと「4手後に先後ともに同じ形に戻っている」が三点手待ちだと「自分だけ(あるいは相手だけ)を違う形にできる」。もっとも相手も三点手待ちをしたら結局は同じ事だが…

*2:そう言えばこのゲームはどうなったのだろう。コナミ棋王戦に特別協賛している割にはこのゲームに関する話は全く聞かれないので…

*3:その理屈で言うと「2日制タイトル戦の廃止を訴える人」なども同類と言えよう。

死の淵から生きて帰った?

もしかしたら自分はM先生に「呪い殺されていた」かも知れない。

 

前回の記事を上げた翌日=5月1日に原因不明の高熱・下痢・吐き気に見舞われる。前日から体調不良を自覚していたが【*1】、翌日に急激に悪化(自宅療養で乗り切ったので結局原因はわかっていない。コロナかも知れないし違うかも知れないし…)。それこそ「いつ寝ていつ起きたのか」「今日は何日なのか」すら分からない状態が数日続き、久々に「もしかしたら死ぬかも」と思ったくらい。

その後何とか持ち直し、普通に(?)生活できるレベルまで回復した時には6日。そのため詰パラ5月号がいつ家に届いたのかも把握できておらず(6日には届いている事を確認している)、それどころか(体力的にも精神的にも読もうという気になれなかったのか)封を切って読んだのは8日。…皮肉まみれの結末に呆れて言葉が出ない。

 

「都合の悪いことが起きると発病する」なんて三流の政治屋かアンドリュー・フォーク*2か、と突っ込まれそうだが、「心労に因る発病(免疫力の低下)」なんてのは神経が鉄パイプかワイヤーロープでできているような特殊な人間でもない限り誰にでも発症し得る。

そう断言できるのは自分も過度のストレス(主に上司の暴言)が原因で肺気胸を発症、しかも「手術しないと命に係わる」と言われて人生初の全身麻酔を経験するくらいの重症だった【*3】、という経験が言わせている。

 

こんな風に書くと「自分はM先生の事を殺したいくらいに憎んでいる」みたいに思われそうだが、自分はこの手の「恨み」はあまりというかほとんど引きずらない質だったりする。何かがきっかけで思い出すことはあるが、「そう言えばそんな事もあったな」で終わってしまう事がほとんど。…ちなみに過去にその手の「因縁」があった奴はほぼ全員顔も名前も憶えていない。

 

長期休暇?を過ごした事で(GW期間中だったのは不幸中の幸いだったと思う)気持ちが落ち着いたのかも知れない。…が、詰将棋を解く力は間違いなく落ちた(笑)。

5月号を読んで思った事は

印刷が異様に(「文字が読めない」の一歩前くらいに)薄いページがいくつかある

(印刷所は)納期が遅い上に仕事の質まで悪いのか、と思って(呆れて)しまう。

・彩棋会作品展の「今回は手数の長いものはない」というのは有利誤認にならないのか?(締め切りはとっくに過ぎているので書いてしまうが拙作は一応「23手詰」)

…前回の作品展=23手~63手と比較して、という事かも知れないけど。

・将棋パズル雑談【*4】の「総評など」

…自分のコメントを掲載したのは「次回(8月号)に自作を掲載する、という予告」と受け取っていいのだろうか?

 

…とか言っているうちに6月号が届く。届いたのは多分1日(31日は家にいなかったので届いていたのか分からない)。一通り流して読んで気づいたダウトは2つ、

・8ページ3段目(ヤン詰④の解説)

「43銀があるので44銀打と表記します」⇒作意手順(ちょっと右のほう)は「43銀合」となっとるがな。

・50ページ3段目(幼4の作意手順)

5手目「23銀成」⇒銀はどこから湧いてきたのだろう(持駒の銀は初手に捨てて使い切っている)…

もっともダウト以上に気になった(というか嫌な気分になった)のは

・デパートの①

だろうか。ハッキリ言って自分はこういうジョーク(?)は好きではない

 

…とか何とか言っているうちにもうすぐ7月。彩棋会の開催(9日の予定)も迫っているが課題作へのアプローチはほぼなし(在庫にもそれっぽいのがない)。

*1:4月号の高等学校の解答を「旧担当の仲西氏に送ってしまっていた」事にこの時は全く気付いていなかった…

*2:銀河英雄伝説の登場人物で、「自分が立案した作戦」を実行できない現場指揮官(フォークより階級が上)を非難したら「だったらお前がやって見せろ」と罵倒され(「その作戦が既に破綻している事」をフォーク自身は全く気付いていない)、その直後に突然昏倒してしまう(病名は「癲癇性ヒステリー症による神経性盲目」。作中では「挫折感が異常な興奮状態を引き起こして発症する」と説明されている)。

*3:その後も(今も)ストレスや気圧の低下(大型台風の接近とか)で肺が痛む事はたまにある。浜松は台風が直撃する可能性がある(実際あった)ので、台風接近のニュースを聞くたびに嫌な気分になったものである。

*4:75番に余詰があるため「先手玉は18に配置」という条件が追加された事を最近知った。

自分は今まで何に対して怒っていたのか

三重県も28日に届いていない」と聞いて正直訳がわからなくなっている。

何か情報は得られないかと詰パラのサイトを見てみると、5月号に関する「メモ」があった。

 

2022/4/27:
5月号高校出題作について
高等学校3番は、手違いにより4月号出題と同一図を掲載してしまいました。大変申し訳ございません。

なお本作への解答は全員正解とさせていただきます。

(そのまま引用)

 

詰パラ大丈夫か?」と思ってしまった。

 

…頭の中が混乱している時は寝て起きて頭の中をリセットするに限るという事でこの日はさっさと寝る事に。

 

目が覚めて改めて状況を考える。…2つの可能性に思い至る。

1.正真正銘の(?)職務怠慢

2.編集部に「尋常ならざる事態」が起きている

 

もし1.だったら「匙を投げる」。

自分で言うのもなんだが「自分が直接相手に文句を言うのはかなりのレアケース」。早い話「心配している」相手以外にはほとんど文句を言った例がない。言い換えると自分が文句を言う=「心配している」のである。

…ただ、こういう考えの厄介な点は(そういう考え方を)事前に知っていないと誰にも伝わらない」という事だろうか。ただでさえ今は「クレーマー社会(?)」なので、誠意ある(?)叱咤激励も数多蔓延るクレーム(クレーマー)の1つとして扱われる可能性の方が高い、という事に今更気づいた。「心配している相手には怒る、心配していない(どうでもいい)相手には怒らない」という考え方は誰でもわかるものだと思っていたが。

…話がズレた。そんな自分でも「我慢の限界」は存在するので、もし5月号の遅配も怠慢によるものだとしたらさすがに「これ以上心配するのは(それこそJPとかに苦情を言う以上に)馬鹿馬鹿しい」、となってしまう。

 

…ただ、今回の場合1.である可能性はかなり低いように思った。理由は上記メモの「日付」。誤植はおそらく「完成品」を見て気づいたと思われるので、この数日前(25日前後)に5月号は脱稿していた、と考えられる。

…どこが怠慢やねん。

だとすると「誤植が多くなる」、つけ加えるなら「郵送に支障が出ている」理由として2.が考えられる。

慢性的に(?)遅延や誤植が起きているので、かなりの高確率で「コロナに起因する話」だと思う。もしかしたら「関係者の感染」かも知れないし、もっと他の事が起きているのかも知れない。他の業種だとかすり傷程度でしかない事でも「その業界にとっては致命傷」いう事が起きているのかも知れない(例えば「リモートワーク」にしても職種によっては重過ぎる足枷になり得る)。もしかしたら自分の「抗議書」によって更なるダメージを与えてしまったのかも知れない(全く笑えない)。

 

自分以上に気の短い人だったらそれでも「そんなの関係ねえ」とか言うかも知れないし、「それが不特定多数の客を相手にする商売の常識」という考えは今も変わらない(というか「異論は認めない」)が、コロナってのはそういった常識の外にある代物であるという事に今更気づかされる*1。だからこんな自分でも「編集部の人間に新型コロナ感染者が発生したため・・・」みたいに言って(巻末にでも書いて)くれれば同情しますよ、…金はあげないけど(だから古いっつーの)。

 

自分は今まで一体何に対して怒っていたのだろうか?

…と思った。

「何故こんな単純な事に今まで気づかなかったのか?」と、生きる事を含めて自分の全てが嫌になる。

*1:誤解を恐れずに言えばコロナは「犯罪」。言わば自分は「犯罪被害者を非難していた」という事になるし、政府はともかくJPもある意味「被害者」と言えるかも知れない。

信<疑

コメントをいただいたのが20日なのにそれを確認できたのは28日、というのは尋常ではないと思う。これが商売だったら大問題だが、「営利目的ではない」&「どうせ誰も期待していない」ブログだから…で済ませていい話でもなさそう。たとえそれが「尋常ならざる事情のせい」だとしても。…そのうち自分の方が「安否を心配」されそうである。

 

編集部によると、遅配を予見して早めに発送したとのこと。 それでも遅れたということは、遅れが常識的に予見できる範囲を超えていたわけで・・・

…種明かし(?)されると「そーゆーこってすか*1と言いたくもなるが、5月号も遅配(28日に届かなかった時点で最速でも5月2日)が確定した時点で

本当に「遅配を予見して早めに発送した」のか?

という疑いの方が強くなってしまうのは至極当然な心理だと思う。中には「物分かり(?)のいい客」もいるのかも知れない詰パラ読者に限ると結構な割合でいそうな気もする)が、自分はそこまで「いい人」ではないし、そもそもそういうものを当てにして上手くいっている商売はほとんど聞かない。

 

最近はあまり見なくなったような気もするが、一時期「店員に土下座させる奴」が流行(?)した。もしかしたら(ここ最近の記事の内容から)「自分(DJカートン)もそういう奴と思われている」可能性もあるかも知れないが、

自分はそういう輩の同類ではない

事だけは言っておきたい。世の中には「客は偉い」と勘違いしている奴が少なくない*2】が、自分は「店と客とは50:50の対等な関係である」という考え方(父親の影響が大きい)で生きてきたので「店員に土下座をさせる」なんてのはその「パワーバランスを破壊する行為」であり、それこそ「人としてあるまじき愚考・愚行」だとしか思っていない。…勿論誰にでも「50:50」というわけではなく、「50:50すら主張する権利のない奴(例えば詐欺まがいの商売とか)」にはそれに相応しい対応をするまで。

 

今回の件も「編集部に土下座をさせるため」などではない(むしろされたら困る)。ただ、最近の編集部は「遅配が続いているのに平然としている=少しふんぞり返っている」ように見えた(完全な誤解かも知れないが、ここ最近を見ているとそう思われてしまっても仕方がない)ので、過激にならないように&激励の意味も込めた文章で、要は「編集部と50:50の関係で付き合えるように*3抗議書を書いた…つもりなのだが、「こちらの意図が編集部に正しく伝わっていない」可能性もある、というか「伝わっていない可能性の方が極めて高い」

*1:「そういう事ですか」の訛り。某アニメに出てきたもので(半ば口癖と化している)、現実にそういう訛り(で喋る人・地域)があるのかは不明。

*2:三波春夫の「お客様は神様です」の意味を完全にはき違えている奴が多過ぎる、という事でもある。

*3:今風に(?)言うなら「WIN-WIN」の関係、と言ったところか

怒りの矛先はどこへ向けるべきか

今年も解答選手権オンラインに参加できなかった。…巡り合わせが悪いのぉ、とか思っている矢先に今年の全国大会も中止」との一報が。…△△△△(個人的な話)ができる日は来るのだろうか。

 

前々回の記事に対する「元M先生」のコメント。…コメント内容よりも先に「ご無事でしたか」という感想を抱いた(最近香龍会に全く参加されていないようなので)。…今の御時勢ってそういう風に考えてしまうんですね。

それはともかく、「遅配の直接の原因は郵便局のサーヴィスの質の低下」という指摘は自分にしてみると「完全に想定外の発想」だった。…確かにJP(日本郵便)のサーヴィス【*1】がいいとは言えない  そもそも「土日祝の配達停止」がサーヴィス向上なわけがない  が…

 

じゃあ「怒りの矛先は権力者に向けるべき」と言われると… 考えた結果

自分にとってはほとんど意味のない事

となった。あくまで「自分にとっては」ですから。

 

理由1:「自分にとっては」JPのサーヴィスの質の低下は気になるレヴェル【*2】ではない

「JPの利用頻度」は個人差が大きいと思われる。人(あるいは職種)によっては毎日のように使っている(使わざるを得ない)人もいれば「平均月1回以下」なんて人もいる。前者だったらJPの職務怠慢に腹が立っても不思議ではないが、自分みたいに「月末にヤン詰の解答を郵送する」くらいしか利用しない人からすると「有効な消印(該当号発行月の月末)が押された上で届けばいい」くらいにしか考えていない(ポストに投函だと「有効な消印が押されているのか不安」なので確認も兼ねて毎回郵便局の窓口に行って投函している)。そして今のところそれは履行されているようなので「怒りの矛先」という発想にならないのである。

 

理由2:say... but in vain

直訳(?)すると「言っても無駄」。わざわざ英語で書いたのはノスタルジアにこういう名前の曲があるから」。…意味は全くない(笑)。

自分はJPが民間企業である事を時折失念するのだが、民間企業となった今でも「お役所体質」はそう簡単に脱却できているとは思っていない(ある程度の先入観・偏見は混じっているかも知れないけど)。そしてこういう団体というのは「利用者の声が反映される可能性が限りなく0に近い」(これも偏見あり)反映される可能性はあるかも知れないが「反映されるまでに長い時間を要する」。…そりゃあ「言っても無駄」な気分になってしまう。これが国営時代だったら「納税者の権利(?)」として声を上げるべきなのだろうが、「一応JPも民間企業」なので…

一方で詰パラ編集部はJPと比べたらはるかに小さな団体である。言い換えると「小回りが利く」。極端な話「文句を言った当日に改善される」可能性だってある。それだったら奮起を促す意味でも*3詰パラ編集部に怒りの矛先を向ける方が「意味のある行動」になる。詰パラ編集部が「聞く耳」を持っていれば、の話だが。

 

理由3:今回が初めてではない

三重県にはいつも通り1日に届きました」とあるが、自分は三重県(編集部に比較的近い場所)なのに届いたのが1日」だと思った。以前も書いたが「北海道でも前月のうちに届いていた事もある」ので、それと比べると明らかに「遅配」である。そして何度も言っているように「遅配は今回が初めてではない」。今の御時勢なのでいろいろと大変なのかも知れないが、

 

理由4:編集部の言い訳など「読者にしてみればどうでもいい事」

ユーザーというのは実に我儘な生き物で、サーヴィスは「もっとも良かったもの」を基準として判断をする。詰パラだと「前月のうちに届く」のが基準になる(そう思っているのは自分だけかもしれないが)。そしてそれが満たされないといくらでも文句を言ってくる(「ゲーム業界」のユーザーを見ているとより顕著に感じる)。サーヴィスの質の低下には「已むに已まれぬ事情」がある事も少なくないが、

そんな事情などユーザーにしてみたらどうでもいい事(=言い訳)

に過ぎない(これ重要です)。中には理解を示して(≒同情して)くれる人もいなくはないが、基本的には内部事情をサーヴィスの質の低下の理由にしてはいけない(それはユーザーに対する「甘え」あるいは「愚弄」である)前回も書いたが、事情があるのならその事情を前提条件として逆算すればいい話で、詰パラ編集部のような「小回りが利く団体」だったらそれが可能なはず、というか「実際やれていたはず」なので、「やれるやらやれよ」となるのがユーザー心理。これが自力ではどうにもならない事情(例えば国際情勢による原料価格高騰→商品の値上げや量の減少)とかなら「仕方ないか…」とならなくもない(そういう情勢を作った政府とか国とかに怒りの矛先が向く)が。…そう考えると袋ラーメンは以前と比べて1食当たりの量がかなり減ったなぁ、と思う。

 

「抗議書」はもう送った。あとはそれを読んだ編集部がどう感じ、どう行動するか。その答えは4月28日(連休の前日)に出るだろう。

*1:何か違和感を感じる表記だが、スペルは「SERVICE」なので発音に忠実たらんとすると「ビ」ではなく「ヴィ」になる。小学校から英語の授業を導入するなど「英語教育を促進させたい」のならこの種の使い分けは必要だと思う(のに数年前に「国名の日本語表記から『ヴ』を消している」のはどう考えてもおかしい)のだが。

*2:スペルは「LEVEL」なので統一性(?)を持たせるため無理矢理「ヴ」表記に統一(笑)。

*3:こういう時に「檄を飛ばす」を使う人が多いが、檄を飛ばすは「奮起を」促す、ではなく「決起を」促す(あるいは同意を求める)、という意味なので本来は誤用。

符号に「合」は必要か?

本来ならこの記事は4月2日にはアップできていたはずなのだが、前回の記事に書いたとおり「自分の手元に詰パラが届いたのは4日」なので当初の予定から大幅に遅れてのアップとなってしまった。

 

…まぁ要件(?)はタイトルのとおり。多くの詰キストは符号に「合」がついている事に何の疑問も抱いていないような気がするが、自分は「別になくたってええやん」と考える派。実際解答の投稿に「合」はつけないし、会合とかで符号を口述する時も九分九厘つけない(「貼る」という事は多々あるが)。

 

合理的に(?)考えると、

1.指し将棋では符号に「合」なんてつけない。

指し将棋の棋譜で符号に「合」がついているのを見た事があるだろうか。例えば「☗4八飛☖4七角合☗同飛・・・」という感じの棋譜を【*1】。…自分はただの一度だってないし、他の方も多分同様だろう。指し将棋と詰将棋が全く別のゲームというならともかく、原理としては同じものなのに片方だけ「合」をつける理屈がよく分からない。

2.省略すると意味が変わる符号ではない。

例えば「3三金打」は「盤上の金が3三に利いている状態」で3三に金を打った事を指しており、その局面で「打」を省くと「盤上の金が3三に動いた」事になり、意味が変わってしまう。だから「打」の有無は重要である。

…じゃあ「合」の有無は盤面の状態にどれほどの影響を与えるのか? …よく考えればわかると思うが、符号の「合」の有無は

盤面の状態に何の影響も与えていない。

言わば歩を打った時に「5三歩打」とわざわざつけているようなもので、符号の「合」はこれと全く同じ事、つまり「なくてもいい補助符号」だという事がわかる【*2】。

多くの詰キストは「何となく」とか「古くからの慣習」で符号に「合」をつけているのかも知れないが、自分は時折そういうものに「?」を投げかける。…というか若手の詰キストの間では「グレー要素を白黒ハッキリさせようとする」動きがままあるのに、その中に「符号の『合』の有無」についての議論は聞いた事がない。何故だろう…

 

この疑問については「書こうと思えばいつでも書けた」のだが、この時期詰パラ4月号の到着後)に書いたのには理由がある。

発端(?)は1月号のヤン詰解答稿。その中の①の作意手順について

13香㋑12桂合、同香成、同玉、45角㋺34桂、同角、11玉、…(以下略)

の後に

㋑㋺を「12桂・34桂」と書いた解答が多数。合駒を打ったのかどうか、差が分かるように記してください。

と書いている。…これを読んでこの担当者は

合駒を打った場合は「合」をつけろ

と言いたいんだな(6手目の「34桂」は22からの移動合で、ここで「34桂合」は打った事になる=早詰になるので不正解)、と自分は解釈した

ただ、そう解釈するとおかしな事が生じる。4月号ヤン詰の解答稿、その②について

26桂、同角、23銀、同馬、25金、44玉(逆王手)、45歩、同桂、35銀、同角、36桂迄11手。

7手目の45歩は「合駒を打った手」であるが、符号に「合」はついていなかった(これを確認するために4月号の到着を待っていた。…実に根性が悪い)

…先ほどの主張はどこに行った? と思った。もし「攻め方の着手に『合』は不要」と主張するなら「だったら玉方の着手にも『合』は不要」と言い返す事(あるいはその逆)が可能である。…「とても面倒な議論」に発展する未来しか見えない(笑)。いっその事解答で「45歩合」って書いてやろうとも考えた(が結局やらなかった。…やっときゃ良かったかも)。

 

…最後は完全に屁理屈であるが(笑)、こういう面倒な議論(屁理屈)が起きかねないのなら符号に「合」を付けない方がスッキリしているのでは、と自分は考える。一方で「『合』があった方が分かりやすい」という理屈にも一理あるので、最終的には「好み」になってしまう可能性もある。ただ、「『合』をつけない解答は不正解」などとほざき出したら「抗議書パート2」の登場である。

*1:喩えが古いって? ほっとけ(笑)。

*2:厳密には「歩打」も棋譜で登場し得るがそれは極めて特殊な話(「歩の直前に歩を打った」場合はそれが二歩=反則である事を示すために「○○歩打」と書く事になる)なのでここでは除外。

さすがに黙っていられない

全国大会はどうなるのか、続報が全く入ってこない。それどころか香龍会グループメールで「全国大会の開催に影響を及ぼす可能性のある」ニュース(詳しくは書けません)も飛び込んできた。…不安しかない。

 

詰パラ(4月号)の到着が(4月)4日」というのはさすがに大問題

だと思った。これが標準だというならともかく、以前は(北海道でも)先月中に届いていたものが「4日着」、要は「以前はできていた事」ができなくなっているのである。こちらは「ウィークエンドバラエティ日高晤郎ショーフォーエバー2022」を聴きながら解く予定だったのだが、それも見事にぶち壊されている。

このご時勢なのでいろいろ大変なんだろうな、と思わなくもないが、一方で

そういった事情は読者にしてみれば「全くもってどうでもいい事」

に過ぎず、昨今の遅配続きを「仕事の質の低下(誤植も以前より増えたように思う)あるいは「職務怠慢」と言われても文句は言えないと思う。仮に事情があるのなら諸々の事情*1を前提条件として(最悪でも1日に)読者に届けられるようスケジュールを逆算

すればいい話(というかそれが「プロの仕事」だろう)。ましてや詰将棋に携わっている人間だから「逆算」は得意なはず(無論皮肉。自分は逆算で作るのは苦手だけど)。

もしかしたら往年の詰パラ購読者には「寛容な人」が多いのかも(「本州は遅れが出ていない」ので文句を言う人がほとんどいない、という方が正確かも)知れないが、それって見方を変えると編集部が「読者に甘えている」あるいは「胡坐をかいている」と言ってよく、「寛容でない人」(例えば昨今の藤井フィーバーがきっかけで詰パラを知った「にわか」とか)だったら騒ぎ立てる人がいてもおかしくない(もっとも「にわか」は以前を知らない=「2日以降の到着でも問題ない」と思っている可能性の方が高いが)。

何よりも詰パラは他のパズル雑誌なんかとは違って「解答時間の不足」がいくらでも起こる(自分などは「ヤン詰・小学校・中学校」だけでも時間が足らん、と騒ぐ事がある)ので、遅配は読者にとって大問題というより「大迷惑」「大損害」である。それこそ以前考えた「賠償制度(遅配したらその分の誌代入帖)」を再考すべき問題かも。

 

この調子だと5月号は「6日到着」になる可能性が高く*2「GWを詰パラで過ごす」という計画をぶち壊される人が出てきそうである。それを防ぐためにも自分が悪者になって(?)告発記事を書いた次第。いっその事ツイッターで「詰パラ編集部の職務怠慢」を告発・拡散してやろうか、なんて事も考えたが、何故かツイッターでそういう事を書く」ための気力が湧かない(のでそちらは多分やらない)

なお関係者がこのブログ(記事)を読んでいる可能性はかなり低いので、近日中に編集部に「抗議書」を送付する予定。

*1:以前も書いたが今は「土日祝に郵便配達を行わない」ので1日の金曜日に届かないと最速でも4日まで届かない。

*2:一応「2日は平日」だが、この調子だと「2日に届く可能性もほとんどない」と悲観的にならざるを得ない。

BIGBOSSの考えはどこから?

自分は日ハムファンではないので開幕投手がドラ8であろうと登録名を「BIGBOSS」にしようと正直どうでもいいのだが、開幕投手を巡るBIGBOSSの発言については興味がある。

いい投手を3、4番手に持っていったら、相手の投手は3、4番手。勝ちをもらえる

…正確な発言は忘れたが(気になる方は調べて下さい)大体こんな感じの事を言っている。

自分が興味を持ったのは今から2500年くらい前に同じ事を考えた人がいたから。中国の戦国時代の武将「孫臏(そんぴん)がその人。

当時は競馬が流行っていた。ただ競馬と言っても今のような競馬ではなく、「2人の馬主がそれぞれ3頭ずつ出し合い、1対1による三番勝負の結果で勝敗を決める」というもの。つまり「馬主同士の賭け」である。孫臏が仕えた斉国の将軍田忌(でんき)もこれに参加したが、その時孫臏はこう助言する。

相手が最高の馬を出してきた時はこちらは最低の馬を出し、相手が二番目の馬を出してきた時にこちらは最高の馬を出しましょう

つまり序列でいうと「1-3」「2-1」「3-2」(右が田忌)という組み合わせで戦う事になり、序列が上の方が勝つとすると「田忌の2勝1敗」になる事が濃厚。実際そのとおりの結果となって田忌は大金を手にして喜んだ、と言われる。

 

…今回のBIGBOSSの考えと原理は同じではないか。

BIGBOSSが孫臏の話を知っていたのかは分からない。奇想天外な事をやりまくっている人だが同時に理詰めで繊細なところも見せるので、他の人と違って(単なる閃き・気まぐれではなく)孫臏の話を参考にしての投手起用」という可能性を否定できないのである。もしかしたら旧師である故・野村克也氏の考えがベース(氏も「こういう事をしそう」な人物というイメージ。もしかしたら何度も実践していた?)という可能性もあるが。

この「孫臏流」(あえて「BIGBOSS流」とは呼ばない事にしましょう)が功を奏するかは分からない。そもそも野球は「投手だけで行うゲームではない」ので、投手の序列だけで勝敗が決まるわけではない。一方でプロ野球は「全部勝たないといけない」わけではないので、こういった「相手のエースに自分のエースをぶつけない」、今風に言えば「捨てゲー」を設けるというのも立派な戦略だと思う(前述の孫臏の話も「全部勝たなくてもよい」という事をわかっているから故の作戦と言える)。それに相手がエースでも「全力で全員がつぶしにいけば勝ちを取れる(これもBIGBOSSの発言)可能性はある=負けると決まったわけではないので。もしこの「孫臏流」が上手く機能するようであれば日本球界全体に波及する可能性もあるし、ダメならそれっきりだし。

 

以下おまけ。

三国志に詳しい人(自称でも可)だったら

北伐に出た諸葛亮が退却する時に「野営した場所の『竈』の数を徐々に増やしていって」魏の(疑心暗鬼を誘って)追撃を食い止めた

という話を知っていると思われるが、この作戦も元々は孫臏の策略が基となっている。

撤退する斉軍を魏(勿論三国時代の魏ではない)軍が追撃してくる。そこで孫臏は「野営した場所の『竈』の数を徐々に減らしていって」こちらは兵の脱走が相次いでいるように見せかける。それを見た魏の龐涓(ほうけん、孫臏にしてみればかつて自分を陥れた「仇敵」)は足の速い騎兵のみで急追を仕掛けるが、待ち構えていた伏兵に大量の矢を浴びせられて戦死した(進退窮まって自殺したとも言われる)。この戦いは「馬陵の戦い」と呼ばれる。

諸葛亮は追ってくる相手が司馬懿「馬陵の戦いの故事は知っているという前提で」孫臏の作戦をアレンジする事で「心理の裏の裏(の裏?)」をついて追撃を食い止めた、というくだりである。…よく知られる諸葛亮の退却エピソードに「空城の計」とか「死せる孔明生ける仲達を走らす*1とかがあるが、あまりに話が出来過ぎているのでどこまで本当なのかは非常に怪しいつまり

羅貫中は退却する場面でも「孔明様(笑)は神の如き智謀を使いなした」ように捏造した

可能性はかなり高い【*2】。

ちなみに孫臏は前述の馬陵の戦いを最後に歴史の表舞台から姿を消し(「恩人の田忌が他国へ亡命したから」「仇敵を葬る事ができて満足したから」など様々な理由が考えられる)、その後どうなったのかは不明。後世に「孫臏兵法」と呼ばれる兵法書*3を著したとも言われるがこちらも真偽は定かではない。

 

…今日も見事に話が脱線した(笑)兆しとしては悪くない(…どういうこっちゃ)。

*1:原文だと「死せる諸葛生ける仲達を走らす」となっているが、いつの間にか「死せる孔明」の方が定着しているのはこれも羅貫中の功績?なのかも知れない。

*2:史書によると「空城の計」は本当に行っている、「死せる孔明・・・」は蜀軍の迎撃態勢を見て司馬懿が退いたのは事実でも「木像を用いた」のはフィクション。「竈」の話は不明。

*3:このブログに度々登場する「孫子」とは別物。「孫臏兵法」が発見されたのは1972年4月と比較的最近の事(それまでは「孫子=孫臏の著作」という説が根強かったが、「孫臏兵法」の発見でその説は否定されたという。この記事を書いているのはそれからほぼジャスト半世紀、というのは完全な偶然)。

やはりこの快挙の事は書かないといけない

遠藤エミがボートレース史上初となる女子選手のSG優勝。

「馬<舟」の人間としてはやっぱりこの事に触れないと、と思っても、何をどう書いていいのかよくわからない。

世の中には「(女子のSG制覇は)永遠に無理」などと宣っている輩も少なくないようだが、そいつらの「イカレた予想」は見事に外れた。…ざまぁみろ。

自分は「もっと女子が場数を踏めば」=「混合G Ⅰ(周年記念とか)への斡旋が増えれば」十分実現可能と言ってきたが、その「ステップ」を踏まずに今回の快挙である(遠藤はこれまで全く混合GⅠへの斡旋がなかったわけではないが)。モーターが完璧だった、という見方もあるが、節イチ級のモーターでも優勝できなかった選手は男女問わずいくらでもいたので、モーターだけで今回の快挙が為されたわけではない。

 

今回の快挙による「今後」を考えてみる。

1.女子の年間獲得賞金ランキング

大きなトラブルがなければ今年の賞金女王は99.999999999%【*1】遠藤エミで間違いない(他の女子選手がSGを獲ったら事情は変わる)。同時に女子年間獲得賞金の最高額(確か6000万強?)も更新濃厚。

2.年末のQC(今年は住之江)

上記の通り賞金女王は99.999999999%確定なので正直盛り上がりに欠ける可能性もある。

3.今後の女子の斡旋

過去に「混合GⅠ優勝無しでSG優勝」をやってのけた選手がいないわけでもないが、やはり上記のように場数を踏ませた方が「2人目」の誕生確率はグッと上がると思うし、何より今回のような事があると「女子選手の獲得賞金の著しい不均衡」が起きる。そのバランスを取るためにもGⅠへの女子選手の斡旋はもっと増やすべきである。「GⅠに女子を呼ぶとレースの質が下がる」なんてアホな事を考えている奴もいるのかも知れないが、こうして「女子だってSGやGⅠ(2013年の平山智加の事)を勝てる」事が実証された事で「GⅠに女子を呼んでレースの質が下がる事はない」という事も実証されたと思う。

いっその事、ルールなり不文律なりで「GⅠへの女子選手の斡旋の義務化」を決めてもいいように思う。全てのレースで、というのは難しい(LC直前の開催とかだったら難しい以前に「ほぼ不可能」である)が、「過去1年の混合GⅠ(周年記念、ダイヤモンドカップ高松宮記念、地区選手権)女子の斡旋の平均が2.00人以下だったレース場は次年度のSG・プレミアムGⅠを開催する事ができない」くらいやっちゃってもいいように思う。

そして何より

SGを勝った遠藤エミが「(今までのような)女子戦メインの斡旋」なんてファンが納得しない

ように思う(一応?4月の戸田GⅠには斡旋が入っているが)。ちなみに遠藤エミの今後のSGは

BA…「直前SG優勝者」の枠で出場【*2

GC…「選考期間内のSG優勝戦完走」という優先出場権で出場

OC…昨年のLC・LCCで優勝しているので出場はほぼ確定

BM…びわこと浜名湖の担当がめくらでなければ(笑)出場濃厚【*3

BD…不明

CC…ほぼ確定

GP…シリーズはほぼ確定、今後次第では女子初の「聖戦士」に

来年のBC…「前年度優勝者」で優先出場

4.業界全体

過日の峰竜太の一件*4」で業界のイメージ&売上ダウンが予想される中での今回の快挙はまさに(ボートレースだけに?)「救い船」かも知れないが、ボートに限らず「奇跡」を当てにして成長・回復(瞬間風速的なものは除く)した業界は聞いた事がない。

…こんな書き方をすると今回の優勝が奇跡だと言っているようにも見えるが勿論そうではなく、「放っておいても快挙を為すような『天才』が生まれる(のを期待する)のは「奇跡(を期待する)」と全くの同意語である。現状では男子はともかく(「場数」が不足している)女子がSGや混合GⅠで優勝するのは「奇跡」の従兄弟くらいの出来事と言える。

現状の選手の男女比率は大体6:1なので、この数字だけで言ったら「毎年1回は女子がSG優勝」しても不思議ではない、乱暴な言い方をするなら「毎年1回くらいは女子がSGを優勝するのが正常」とも言える。その「正常」な状態に近づけるようにする事(「何を言いたいか」は何度も書いているので割愛)が業界の更なる発展につながる…と勝手に思ってみる。

 

今回のレース結果についての個人的な感想はと言うと

あ、勝ったのか…

…実にそっけない、というか「心から歓迎していない」。世間には感動して泣いた人もいただろうが、自分は涙が出なかった。快挙である事は間違いないしそれを否定する気は全くないが、「かなり涙もろい」自分が全く泣かなかったのは

「遠藤エミはそこまで好きな選手じゃない」「成し遂げたのが自分の『推し』の選手でなかった」という極めて個人的な感情

ゆえだと思う。もしこれが自分の『推し』選手だったら間違いなく号泣案件である。…誰が『推し』かなんて野暮な事は聞かんといて(笑)。

*1:半導体の素材であるシリコンの純度(9が11個あるので「イレブンナイン」とも呼ばれる)にかけてみた。…あまり意味はない(笑)。

*2:ファン投票は「男女比率」制度で「女子の予備2番手」だった

*3:直前SG優勝者→開催場以外の23場から2名ずつの推薦→主催者が5名推薦、という流れなので。

*4:「選手自身が主催するインターネット上の個人的なゲームイベントで、交流を避けなければならないレースの予想を行っている者とネット上で接触するなど、選手自身のルールに対する理解不足により、ボートレースの信頼を失墜させた。」事による4か月の出場停止(詳細については詳しく書いている記事とかを検索してください…)。

名古屋の対局場

なんでも名古屋に将棋公式戦の対局場ができるとか。

トヨタ自動車がしゃしゃり出てきた事の協力の下で駅前の「ミッドランドスクエア」の25階(!)に最大で7局を行える対局場(名称はまだ決まっていないらしい)が開設される、との事。

…香龍会とかでも「いずれはできるんじゃないの」なんて話も出ていた(自分は「名古屋タワーの中にでも作ればいいんじゃないの?」とか言っていた)が、その予想どおりに(しかも予想より早く)実現してしまった。

…のはいいのだが、それを報じる記事に

板谷一門の悲願

という一文を添えているものは一つもなかった(藤井聡太の名前ばかりが踊っていた)のを見ると

愚かな…

と思ってしまう。まぁ実際は「将棋会館」という形式ではないトヨタのオフィス内に設けられる)ので「悲願」というと誇張になってしまうかも知れないが、個人的にはもう少しそこを(「速報」レベルの記事で板谷一門の事は書ききれない、という事情を考慮したとしても)強調しても良かったと思う。何しろ藤井聡太自身が他ならぬ「板谷一門」なのだから。

※後日加筆…東スポの記事は「板谷一門の悲願」という単語を使っていた。

 

今はともかくこの対局場が「名古屋将棋会館(仮)」実現に向けての足掛かりとなる可能性もないとは言えない(むしろダイレクトに会館創設を目指すより実現しやすいように思う)もしそうなったら今度こそ間違いなく「板谷一門の悲願成就」となるが、その時も板谷一門の悲願」という一文を添えない愚かなマスコミは絶対いるに違いない。