GW以降は詰将棋よりもジグソーパズルを解いている時間の方が多いように思う。
ジグソーパズルは「外周部分を先に作る」のが定石(?)であるが、
…超上級者は外周分を最後に組み立てる。…わけがない(笑)。もっともジグソーパズルは時に「外周以外の特徴的なパーツ(例えば「顔」とか「文字」とか)」の方が組みやすい事もある(このゲームの絵はそういうのが多い)ので、外周部分にこだわらない方が早く完成させられる事も少なくない。とりあえずこういうゲーム(実物ではないジグソーパズル)の利点は
・場所を取らない
・ピースを紛失するリスクがない(笑)
の2点に尽きる。それこそ通勤中の車内でもできるので詰パラの遅配などどうでも良くなってしまう(言うまでもなく皮肉。こういう事を書くから編集部が増長?するのかも知れない…)。
6月号の「おもちゃ箱だより」にてCSC(「コンピュータ将棋選手権」。長いので勝手に略します)の話に触れている。COM将棋には全然興味がない、というのは今も昔も(多分未来も)変わらないが、「4.選手権の感想」の内容についてはいろいろと思う事があった。
・決勝では平均手数が200手近くになり将棋というゲームはミスをしないとなかなか終わらないゲーム
「将棋の平均手数は110~120手くらい」という理論で生きてきた人からすると隔世の感(?)がある結果だが、見方(考え方)を考えると「別に不思議なことでもない」と思う。
…どういう意味か。「真剣の試合」を想像すると分かりやすいかも知れない。つまり剣道の試合とかと違って「負けたら(斬られたら)死ぬ」という前提条件がある。そういう前提条件の下では素人はともかく達人、剣豪レベル同士の戦いだったら「不用意に動いたら斬られる」事が分かっているだろうし、「不用意に動いたら斬られる」事を承知の上で無理矢理攻めるバカはいない。そうなると達人同士の試合は「お互いが構えたまま長時間動かない」というシーンが十分に起こり得る。
将棋もおそらくは似たようなもので、「最善手(COMの場合『もっとも評価値の高い局面』)はパス(に類する手)」という局面はいくらでもあるのだと思う。最近の角換わりの三点手待ち【*1】なんかを見ているとその思いは更に強くなる。また攻めるにしても決定機が見つかる(≒相手がミスをする)までは細かい動きにとどめる、なんて事が続けば将棋というゲームの平均手数が伸びても不思議ではないよな、と思う。…何だかんだ言って「人間はミスしてしまう」からなぁ。
・運営上320手で引分けのルールになっています
…そんなルールがある事をこの時初めて知ったわけだが、「手数による打ち切り」は以前から時折見かけるルール(?)だし、何よりプロの公式戦でも数年前に「500手ルール」が制定されたくらい。
だが、その後に続く「不利な側が粘って320手に持ち込むのも、本来の将棋とは目的が違うので、違和感を感じる人が多そうです」という指摘はもろ手を叩いて「その通り!」と叫びたくなる。
以前も書いたような気がするが自分は「天下一将棋会【*2】」で200手引き分け(成績の上では「両者負け」=連勝が止まる)に持ち込まれた(歩を打つ→捨てる、を繰り返していたので明らかに「狙ってやっていた」)事があり、実質「このゲームをやらなくなった最大の理由」と言える。
将棋に限らず「(新しい)ルールのせいで方針が大きく変わってしまう」事は主にスポーツで見かける。例えば柔道で「攻めないと『指導』を喰らう」というのも、
本来ならこちらからはあまり攻めたくない(前述の「剣の試合」と同じ理屈)けど「ルールだから仕方なく攻めている」
と思っている柔道家は絶対にいるはずである。素人の自分が見てもこのルールは「柔道という競技の本質から相当乖離している」ようにしか見えないので。それと同じ事が将棋でも起きるのである。
・将棋を観て楽しむというニーズに対応できているかというと、ちょっと疑問に感じた次第
こういう考えは将棋以外でもよくある話だが、これに対する自分の答えは決まっている。「将棋が観客に合わせる」のではなく「観客が将棋に合わせる」、言い換えるなら「観客に対する教育が必要」だと思っている。
例えば前述の「剣の試合」。普通に考えたら「お互いが構えたまま長時間動かない」というシーンを見ていて面白いと感じる人はまずいない。それこそ柔道のような「攻めないと『指導』を喰らう」というルールの方が動きが激しいので見ていて面白いはず。しかし前述の理由から最高峰の試合というのは得てして「お互いが構えたまま長時間動かない」といった事が「理論的に」起こり得る。
…つまり、
最高峰の試合というのは「スポーツを見るような感覚で」観戦しても楽しめない(そもそも「誰かに見てもらう」という行為=要は「興行」に向いていない?)
と言える。だから人間同士にせよCOM同士にせよ「これまで(スポーツ観戦みたいな)とは全く別の感覚で見ないと楽しめない」という事を競技の側から教えないといけないし、観客の側もそれを自覚しないといけない。それこそ
「手数(対局時間)が長過ぎて見ていてつまらん」とか言うのは将棋というゲームの本質から考えると「将棋の観戦方法を根本的に間違っている」
とさえ言える【*3】。もっとも将棋とかの場合は「動かない時間帯」があっても解説やらなんやらで「間を持たせる」事が可能だが、剣の試合とかだと「動かない時間帯」だと思ったらその数秒後に終わっている、という可能性もあるため「間を持たせる」事も難しい。
一方でABEMA将棋はルールといい演出といい「見せる事」を前提に考えられている(と思う)ので、「スポーツを観戦する感覚が深く染み込んでいる」現代人に受けがいいのだと思う。…多分。自分は考えが古いのでついて行けないけど(笑)。