DJカートン.mmix

それって早い話「金儲けのための忖度」って事では。

戦略に通ずる者は戦術にも通ずる

…なんて格言があるのかはわからないが、歴史上中長期的な戦略を以って一勢力を築き上げた人というのはそのほとんどが局地的な戦術にも通ずる、言い換えるなら戦場での「小手先のテクニック」を操る事もできたように思う。

…だからと言ってそういう人たちが「小手先のテクニック」を多用していたかと言えば「NO」だろう。織田信長なんかはそういうイメージで(勘や思い付きで作戦を立てているように)見られる事が多いが、彼に関する文献(あまりに荒唐無稽なものは除く)を読む限り同時代に生きた他の誰よりも戦略を、つまり「自分が有利な状態で戦える状況」を(時に年単位の時間をかけて)構築する事を重視していたようである(というかそうでないと連戦連勝などできるわけがない)。他の「覇者」も同様だろう。

 

ではその「逆」はどうか。つまり「戦術に通ずる者は戦略にも通ずる」のか。言い換えるなら「小手先のテクニックを得意とする人が中長期的な展望を構築する」事はできる(得意な)のか。…数学の命題だと「『命題』とその『逆』の真偽は必ずとも一致するとは限らない」ので【*1】、それに倣うならば「戦略に通ずる者は戦術にも通ずる」が真であったとしても(多分真だろうけど)「戦術に通ずる者は戦略にも通ずる」も真だとは限らない、となるわけだが… 三国志を見ているとわかるが、戦術(≒用兵)に通ずる武将はたくさんいたが、その中で戦略にも通じていた人は非常に少ない。蜀だと実質諸葛亮だけだったし(早世した龐統・法正・馬良はどうだったのかはわからない)、呉についても以前も書いたが80年の歴史【*2】の中で「戦略家」と言える人は魯粛くらいしかいなかった(その前後に軍権を持っていた周瑜呂蒙などは戦略家とは言えなかった)ので、この論法は多分間違っていないと思う。

 

命題においては(最初の命題が真であれば)「対偶は真」である。…そういう話はとっくに忘れたという人は多そうなので簡単にまとめると、最初の命題を「AならばBである(戦略に通ずる者は戦術にも通ずる)」とすると

逆…BならばAである

⇒戦術に通ずる者は戦略にも通ずる

裏…AでなければBではない

⇒戦略に疎いものは戦術にも疎い

対偶…BでなければAではない

⇒戦術に疎いものは戦略にも疎い

…前述の例から逆は必ずしも真とは限らないし、「裏」も真とは限らない事は分かっている【*3】。一方で対偶は真になるので「戦術に疎いものは戦略にも疎い」は真になる。これを別の言い方をするなら「自分は戦術に通ずる事を証明できない人が戦略を論じても説得力がない」という事になる。

何だか自分がそれに当てはまっている(ように見られている)気がするので、何でもいいから「戦術にも通じている事を証明」しておこう、という気になった。…けど、一体何で証明したらいいのかなかなか思い浮かばない。…しばらく考えて思いついたのはこれだった。

 

以前「攻略評価でAを取るには最速・最短距離で進軍して何とかなるレベル」と書いた。だが単純に速度のみを考えてプレイを進めるとキャラが育たない(「経験評価」がランクダウンしてしまう)し、何より最終盤で大苦戦を強いられるので最終的に総ターン数が余計にかかるハメに──最悪な場合本来の意味通りの「詰み」に──なる。

実際のところは「最速」と言っても若干の余裕があるので、その余裕を利用して味方のレベルを可能な限り上げる(経験評価をAにする)必要がある。そのあたりをどのように折り合いをつけるか、そして「どこでどのように(短期間で効率良く)」自軍を強くするか、というのがこのゲームで要求される「戦術」である【*4】。もしこれが最近のゲームでよく見られる「NEW GAME+」*5があったらこんなに苦労する事もないのだが、それでオールAクリアしても何の自慢にも証明にもならない(笑)。

最初は様々なカップリング【*6】を楽しんでいたが、次第に速度を重視する…というか「無駄を省く」方針のプレイになり【*7】、それまでのプレイで集めた情報から極限まで(?)無駄を省いた行動を構築する。情報がなければ戦術を構築するのは不可能なので【*8】。そしてこれらの情報を基に「逆算」する事で「育成に回せるターン数」を算出し、それに則ってそれぞれの章を進行していく事になる。言うまでもないが具体的な攻略法をどこぞの攻略サイトとかを参照したのでは(戦術に通ずる事の証明にならないので)全く意味がない。

 

…この手の戦術は「100%そうなる」という確証がない場合を除いて「ある程度余力を残してゴールする」ように立てるのが兵法のセオリーである。最初から最後までギリギリのラインを攻める前提のプランは何かハプニングがあったら即ご破算なので不採用*9よって自分も「10ターン残し(リミットは『399ターン以内』なので大体『390ターン』)でゴールする」という前提で逆算。最初はレベルの方に不安があったが、「ターン数はともかく味方の成長は挽回する手立てがないわけではない」と随分楽観的(笑)。…実際終わってみるとターン数は377ターン(当初の見込みを10ターン以上も短縮しているではないか)、味方の合計レベルも下限+40レベルくらいで収まって(何とかなって)いた。しかも「村や民は全て救出する」という条件(以前も書いたが彼等を見殺しにしても評価には影響しないし、実際その可能性も考えていた)も満たした上でのオールA。

…これが名将の兵法なんだよ!

というのは言い過ぎ(笑)。とりあえず12月3日までに終えれたのは良かった(言うまでもなく某編集部に対する痛烈な皮肉)。

 

…ただ実際にやってみた感想は

「これは戦術とか兵法とか言うより『トリックプレー』だよな」

例えば敵の命中率が0(つまりこちらは絶対ダメージを受けない)である事をわかっての猪突は立派な(?)戦術だが、聖戦の系譜では「次にくる乱数が決まっている」ので、その乱数を先読みして【*10】いい結果になるように行動する、という事ができてしまう。ハッキリ言ってこんなのは戦術でも何でもない。しかしオールAを取ろうとするとそういった事(乱数調整とでも呼ぶべきか)を使わないと非常に困難である(ぶっちゃけ「不可能」と断言できるレベルかも知れない)。それどころかFEシリーズは「章の開始から数ターンで勝負が決まる」というシチュエーションが多いゲームなので、オールA狙いでなくても乱数頼みになってしまうケースが少なくない、と来たもんだ。「ゲーム」としては面白いのかも知れない(個人的にはゲームであってもあまり面白いとは思わない)が「実際の戦争」だったら笑い話にもならない(そんな状況を作り出した上層部の無能っぷりを恨むしかない)

ちなみにオールAでクリアする事による特典のようなものはないっぽい。一応真のエンディングらしきもの(追加のカットが数秒あるだけ…)はあるが、それを見るための条件は「総合評価がA」であり、4項目のうちどれか1つがBでもその条件は満たせる(Bが2つやCがあったらB止まり)ので、真のエンディングを見るだけだったらオールAにこだわる必要は皆無。ここは最も難易度が高い攻略評価をBでクリアする事(Aと比して150ターンの猶予有)を目指せば妙なトリックプレーに走らなくてもいいので幾分は「戦術してる」気分にはなるし、そもそも「全体の難易度が全然違う*11」。

 

ちなみにこの聖戦の系譜では「次にくる乱数が決まっている」事を逆用して

ゲーム開始からの行動を全て指定すれば誰がプレイしても同じ結果になる(オールAが取れる)

という芸当ができてしまう(他にも同じような事ができてしまうシリーズもあるらしいが…)この遊び方及びその手順の事をファンの間では「詰エムブレム」と呼ぶらしく、しかもその「詰め手順」を記した本まで出ていたとか。もっともその「手数」は大雑把な計算(所要ターン数×味方の人数+α)でも「およそ10万手くらい」になるし(その中には「意図的に乱数を進めるために『闘技場で故意に負ける』」なんて「手」も含まれる)、そもそも大前提として

(自分で発見した『詰め手順』ならともかく)そんな方法でクリアして何の意味があるんだ?

となる。詰キスト(詰パラ読者)だったら今月の詰パラ「短編コンクールを全問柿木で解いて解答を投稿する奴をどう思うか?」という問いの答えがそのまま「他力の詰エムブレムでクリアした人への感想」になると思う(のでそれ以上の説明は不要だろう)。

 

…このはてなブログはここ最近で「記事の有料販売」ができるようになったので、やろうと思えば聖戦の系譜「詰め手順」をそれで売る事もできるのだが、…当時ならともかく今更需要はない──あったとしても検索すれば無料の「詰め手順」が多分どこかに落ちている──だろうからこの企画は没。相応の金をもらえる事が「100%確実」だったらやるかも知れないけど…

*1:たまに聞く「逆もまた真なり」というのは一体いつ、誰が言い出したのだろう…

*2:便宜上孫策が江東に基盤を築いた200年くらいから呉が滅んだ280年までとする。

*3:「逆」と「裏」は「対偶の関係」なので真偽が一致する。

*4:「戦略」ではない。この場合の戦略は「総ターン数のリミットを増やす」などの有利な前提条件を構築する事である(喩えるなら「当初の予定から+100日分の食糧を確保する」ようなもので、それは戦術の範疇ではない。もっとも「戦術」シミュレーションゲームのFEシリーズでそれは不可能な話だが)。

*5:クリア時の一部データ(キャラのレベルや持ち物など)を引き継いで2周目以降をプレイできるモードの通称(ゲームによって名称は様々)。FEシリーズでも一部のシリーズでは採用されている模様(詳しい事は知らん)。ちなみに自分の記憶にある限りで同様の機能がある最古のゲームは同じ任天堂がリリースした「リンクの冒険」だと思う。

*6:誰と誰を恋人同士に(カップリング)するかで生まれる子供の能力に差が出る(基本は両親の能力や特徴を引き継ぐ)。魔法使い系のキャラの親が所謂「脳筋」だったりすると子供の魔力が伸び悩む、なんて事は普通に起きる。

*7:このゲームは「クリア回数でオープニングデモが増える」ので、どうせなら早く周回できる方がいい、という結論になる。ただしそれでも名将(?)の矜持として「村や民は全て救出する」「誰も死なせない」などは絶対条件。

*8:特に敵の行動AIに関して。一応「大原則のようなもの」に則った行動をするが、たまに場面特有の奇妙な行動を取る事があるし、FEシリーズは概して「突然別方面から敵が出てくる」事が多いゲームなので先回りするためにも情報は必須である。

*9:ただ聖戦の系譜を含む一部の作品に関しては「それができてしまう」。詳しくは後述。

*10:特にSwitchだと「巻き戻し」で簡単に?乱数の先読みができてしまう。オリジナルでも「毎ターンの開始時にセーブできる」のでそこからトライ&エラーは比較的容易にできてしまう。他のシリーズはほとんどが「章の初めでしかセーブできない(一時中断用の簡易セーブはあるけど)」のでこのような芸当や所謂「リセマラ」なんかは基本的に不可能。

*11:より安全で確実な戦術を取れるし、味方を強化する時間が確保できるので前述の「章の開始から数ターン」が運ゲーになる可能性が下がる。もっとも序盤(3章くらいまで)は「味方を強化できるスポットがない」のであまり影響がないのだが。

期待の力士を見ていて考える「一騎打ち」の概念

大相撲九州場所にて活躍し、来場所の新入幕が濃厚視されている【*1大の里関二所ノ関部屋)について、デビューした当初から自分は許褚に似てるなぁ」と思って見てきた。

 

許褚(きょちょ、字は仲康)は三国志の時代に出てくる武将で長年曹操に(その死後は曹丕曹叡にも)仕えていた。史料によると「身長8尺(184cmくらい)、胴回りが10囲(120cmくらい)という巨漢だったようで【*2】、武勇も人並外れていたという。実際にどういう顔だったかなんてのはわかるわけがない(メディアによっても全然違う)が、「真・三國無双」シリーズの「人懐っこい?」許褚と比べるとどことなく似ているような気がする。ついでに言うと体格も(力士なので)そんなに相違があるとは思えないし(ちなみに大の里関の身長は公称193cm)、武勇(≒相撲の強さ)も人並み以上に優れていそうである。…誰も彼を「許褚に似ている」と言わないのはどちらか(世間か自分か)の感覚がおかしいのだろうか。

その許褚の武勇を物語るエピソードは少なくない。中でも特筆すべきは曹操馬超が戦った「潼関(どうかん)の戦い」馬超軍の追撃を受けた曹操を舟に乗せると左手で馬の鞍を持って敵の矢を防ぎ、右手で舟を漕ぎながら舟によじ登ろうとする敵兵を斬り払って曹操を対岸へ逃がした(正史にも記述がある)というからある意味化け物である。その後もこの戦いでは多くの敵兵を打ち倒し、馬超とは半日にわたる(途中から許褚が上半身裸になって)一騎打ちを演じたりもしている。…のだが、どうやらこの馬超との一騎打ちというのは演義の創作のようである(後に張飛との一騎打ちで打ち負かされて兵糧を奪われる、というのも同様)。

そもそも正史だと記録に残っている一騎打ちというのは「孫策vs太史慈」「関羽vs顔良くらいしか見当たらない*3】。一騎打ちというのはある意味三国志の「華」のような場面だが、正史を読むと実際はほとんど行われていなかったようにも見える。呂布なんか一騎打ちどころか「1vs2典韋・許褚)とか「1vs3張飛関羽劉備ハンデ戦(?)で戦うシーンが有名だがあれも全部フィクション。そもそも「反董卓連合軍との戦い」が正史と演義とで相当差異があり、正史だと呂布はこの戦いではほとんど出番がなく、関羽張飛の活躍もない華雄を討ったのは正史だと孫堅)…という以前にそもそも彼等は連合軍に参加すらしていなかった(その頃の劉備公孫瓚の伝手を頼って平原国相の地位【*4】に就いていた)ようである。

また前述の「潼関の戦い」についても戦場での邂逅があったわけではなく、曹操馬超が対話をしている時に曹操の傍らで許褚がずっとにらみを利かせていた(馬超がひるんでいるようだった)という。両者の一騎打ちはこのシーンを面白そうに改編したもの、と見るのが妥当だろう。演義での許褚は初登場時に典韋と一騎打ちをしている(それを見た曹操は「あれほどの男、殺すには惜しい」と罠を仕掛けて捕らえ、配下にしている)が、正史だと「自警団(みたいなもの)の長を務めていたが、曹操が淮南・汝南を支配した時に帰順した」となっており、やはり一騎打ちをした形跡は見られない。一方で正史だと「片手で牛の尻尾を掴んで引きずった」との記述もあるが、それはそれで本当にそんな事ができたのかは疑問が残る(一口に牛と言ってもサイズは様々だろうから日本人が想像するような乳牛肉牛よりも小さい牛だったら本当に引きずったのかも知れない。…それでも常人離れした怪力なのは間違いないが)。

 

しかし、正史に記述がなかったからと言って軽々に「当時は一騎打ちがレアだった」と決めつけるのも正しい考察とは言えない。実際のところは「単に記録に残っていない」だけで、案外結構な数の一騎打ち(またはそれに近いもの)があったのではないだろうか。

その根拠(?)として、当時の武将には「自ら陣頭に立って突撃する人が少なくなかった」という事。いつの時代でも大将が最後尾でふんぞり返っているよりも最前線(に近い場所)にいる方が兵が奮い立つ、というのがあるし、正史でもそういう描写は結構ある(もっとも孫堅などはそれが原因で討死した可能性もあるのだが)。また当時の兵士(つまり漢民族の平均身長は当時の食糧事情とか黄巾の乱のような民衆蜂起が起きるくらいだから「良かった」わけがないからかなり低かった可能性が高く*5そんな中で集団の小競り合いをするくらいなら(それこそ「無双シリーズ」のように)デカい大将がゴツい武器を振り回しながら突進する方が「効率的」だった(よほど訓練された兵士でもなければ恐れをなして逃げ出す)ように思う。現代で喩えるなら「小学校高学年くらいの集団に向かってブルーザー・ブロディがチェーンを振り回しながら突進する」ようなものだろうか(喩えが古すぎるわ)。…現代でそんな事をやったらこの上なくシュールな図式になってしまうが、当時の戦はそんなのが多かったと思われる【*6】。そして双方の大将が先頭に立って武器を振り回していたら当然大将同士の邂逅(つまり一騎打ち)も頻繁に起きていただろう。前述の孫策vs太史慈」「関羽vs顔良」もその流れの中で発生したものっぽく、少なくとも「我は○○だ、いざ尋常に勝負せよ」と最初から一騎打ちに持ち込もうとした戦いはほとんどなかったのではなかろうか。ぶっちゃけそうやって名乗り出てきた相手には「皆で矢を射かける」方が合理的だし【*7】。

 

そもそも正史だと(他人の『伝』の中に)一瞬名前が出てくるだけでその後の動向などは不明」という人物が多く(そういう人は生没年や死因だけでなく「字も不明」というのがほとんど)そういう武将が記録に残っていない一騎打ちをしていた可能性は普通にあり得る。例えば袁術配下の武将紀霊もその一人で演義だと関羽と一騎打ちして互角に渡り合った」となっている(けど後に張飛に瞬殺されているので強さがイマイチわからない)が、正史だと劉備を倒すために出兵した、くらいの記述しかない【*8】。劉備が蜀を取る過程で配下になった厳顔・呉蘭雷銅も同様で、厳顔は張飛に捕らえられた時のやり取り(毅然とした態度に張飛が感服した)しか残っておらず【*9】、後2人は漢中攻略戦で名前が出てきたかと思うといきなり戦死しており、出自が全くもってわからない(「元劉璋配下」であったかどうかの記述からしてない)。馬超の従兄弟の馬岱諸葛亮の死後に魏延を討った」としか書かれていないし、張飛の子の張苞に至っては「長子苞、早夭」と漢字5文字(長男の張苞は早くに死んだ)の記述があるのみ。ハッキリしているのは張遵という息子(蜀が滅ぶ際に戦死)がいたので「少なくともそれくらいの年までは生きていた」事くらい。これらの武将(三國志シリーズだといずれも武力が高めの設定になっている)が正史の記述にないところで一騎打ちをしていた可能性もないとは言えない*10

 

ただその一方で三国が台頭する頃には「兵の訓練度も上がってきている*11だろうから、「ゴツイ大将が陣頭で強そうな武器を振り回す」という戦いも減っていった可能性がある。そうなると「やはり一騎打ちは(特に赤壁の戦い以降は)レアだった」という結論にもなる(正史に記載がある一騎打ちも三国が台頭する前の話だし)。

 

…結局のところ「結論は出ない」話になってしまった。

*1:気合の入った相撲ファンなら御存知だろうが、来場所の番付は本場所終了から3日以内に実施される「番付編成会議」で決まるが一部の「事前準備が必要な番付(横綱大関十両。後2つは「再昇進」も含む)」以外は正式発表までは「家族に話すのもNG」なトップシークレット(だと行司がインタビューで答えていた)なので部外者としては999.999‰確実な事象でも「決定」と書くのはヤバい(あらぬ疑いをかけられる可能性がある)。…のだが、実際は一部のマスコミは事前に知っているという(正式な番付発表日時とほぼ同時に報道しているので。さすがに「フライング発表」したら問題になりそうだが)。

*2:ただ「横山三国志」だと許褚は比較的スリムな(同僚の典韋の方が恰幅がいい)デザインになっている。同じく肥満体だったと言われる董卓(誰かが死体のヘソに松明を挿したら数日間燃え続けた、なんて逸話がある)についても所謂中肉中背なスタイルになっており、「横山光輝はデブを書くのが苦手(嫌い)だった?」なんて邪推をしたくなる。

*3:演義だと文醜関羽が一騎打ちで倒した事になっているがそちらはフィクション(どうやら顔良を倒した時点で関羽曹操の陣を去っていたらしい)。

*4:中国各地の「郡」の中で『王(皇帝の一族)』が統治する郡は「国」と呼び、その『王』の代わりに政務などを行う人を『相』と呼んだ(王がいない「郡」を統治したのが「太守」)。つまり「太守」と「相」は事実上同じ(現代日本だと都道府県の知事みたいな)役職である。

*5:日本の戦国時代の男性平均身長が157cmくらいだったと言うので、おそらくそれ以下だったと思われる。

*6:呂布の容姿は一説には身長9尺(2m以上)と言われているが、呂布の出身地は今で言う内モンゴル自治区にあたるので「漢民族以外(モンゴル系)の血が濃く入っていた」可能性が高く、それ故規格外のデカさ&強さにも説得力があると言える(もしかしたら常軌を逸したような裏切り行為も遊牧民の血が為せる業?だったのかも知れない)。

*7:演義だと張魯麾下にいた頃の馬超張飛を挑発して一騎打ちを挑んでいる(それを利用して「諸葛亮の策で」馬超を配下にしている)が、正史だと張飛との一騎打ちも諸葛亮の策もないまま馬超が自ら劉備に帰順している。

*8:両者の間に呂布が入り「私の射た矢があそこに立てた戟に当たったら『天意』だと思って戦いをやめよ」と仲裁しようとした(そして見事矢を当てて休戦させた)シーン。如何にも作り話の匂いしかしないエピソードだが正史や裴注にも記述がある。

*9:「老将」のイメージが強い彼だが正史にはそのような記載はなく(おそらくは「劉焉(劉璋の父)の時代から仕えていた」事から、呉三代に仕えた程普や黄蓋のような古老の宿将、というイメージなのかも知れない)、後に黄忠と組んで戦ったというのもフィクション。

*10:馬岱は「魏延を討った」事から相応の武勇を持ち合わせていそうだし、少なくともその時期まで(馬超と一緒に劉備に下ったとしたら「蜀の武将として最低でも20年くらい」)は生きていたわけだから一騎打ちをする機会は何度もあったように思われる。

*11:別の見方をするなら「兵の鍛錬を怠るような国は生き残っていない」。

「法律上舟券を買えない人」の真相?

以前「法律上舟券を買えない人」の話を書いたが、先日野田昇吾(埼玉西武ライオンズの投手からボートレーサーに転身した選手)のインタビュー記事を見てトンデモナイ(?)事実が発覚した。

 

3親等まではレース場に入れないんです。

 

…これが部外者のネット民の発言だったら全く信用しないが、現役のレーサーがこう言うのだから嘘ではないだろう。

ともあれ世俗に言われている噂の一部が本当である事は判明したが、以前も書いたようにモーターボート競走法」にはそんな規則はどこにも書いていない。…じゃあ何故ダメなのか? …視点を変えて(?)考えるとアッサリと(というか呆気なく?)理由が推測できる。つまり

一般財団法人日本モーターボート競走会」の内規

「3親等まではレース場に入れないんです。」と決まっているのだろう、と。一般企業で言うなら会社ごとに「社則」というのがある(一方で労働基準法などの「国が定めた法律」も守らないといけない)のと理屈としては同じ事だろう。なので「3親等以内の人がレース場に入る行為」は「法律では」裁かれないが「競走会の内規によって」裁かれる、という事になる(どんなペナルティになるのかは知らないが)。

…そうなると「レーサーの家族は舟券を買えない」というのも内規によって決められている可能性が極めて高い。しかしこちらも3親等なのかそれとも違うのか、はわからない(もしかしたら公営競技ごとに投票不可の範囲が違う可能性だってある)。…気になるところだが、この手の「内規」なんてのは部外者が知るのは相当に困難な事なので自分の知識では「ハッキリとした事はわからん」のである。

 

「親等」というのはそれを日常的に扱う人(役所の人とか弁護士とか)でもない限り誰がいくつなのか分からない、という人はいると思う。自分は「0」として、まず配偶者を「1」だと勘違いしてしまう事もある。配偶者は「0」直系の親や子は1世代ごとに1増えるので「3親等」は「曾祖父母」「曾孫」にあたる。また兄弟姉妹は「1」ではなく「2」(以上、赤文字は自分がしていた勘違い)。なので甥や姪、伯(叔)父や伯(叔)母までが「3」になる、つまり「アウト」。従兄弟だと「4」になるので「セーフ」。姻族(配偶者の家族)の扱いまでは分からなかったが多分親族と同じ扱いではなかろうか。

…ふと思うのだが、3親等の職業を把握していない人というのは結構いるのではないだろうか(ぶっちゃけ自分は全然知らないし)。特に親子や兄弟の関係が「連絡先も知らない」くらい険悪だったら孫や甥の職業なんてまず知りようがない。しかしそんな関係でも「法律上は3親等以内」なのでその人がレース場に行ったり舟券を買ったりすると選手自身が「内規違反」になってしまう(可能性が高い)そのあたりはどのようになっているのかは非常に気になる。何せ「意図的に違反(入場や投票)を行って選手を内規違反(出場停止とか)に追いやれる」わけだから、そんな不穏分子がいたらとてもレースどころではない。まさかレーサーを続けるためにそいつを抹殺する、というわけにもいかないだろうし(70年間で「その手のトラブル」はほとんどなかったようなので何らかの手は打っていそうだけど)…

彩棋会2023年11月

札幌に初雪が舞った日に彩棋会(雪は日の出の頃には止んでいたが)。前回の彩棋会でナポリンは売っているけどシトロンってあまり売っていないよね」という話があったので、自分はそのシトロン(1.5ℓPET)を持参した(確かにあまり見かけない。ドラッグストアだとたまにある)。

「持参」というと、「自分が盤駒を持参すると(北村氏が用意した)盤駒が余る」けど「持参しなかった場合その盤駒が足りない」という事がよく起きる。今回は後者(参加者9人)だった。…今度からは極力盤駒を持参しよう、とこの日は言ったけど数日後には忘れていそうだ(笑)。

作品展に載せる作品を検討して次回の課題を決めて以下雑談、というのはいつも通りの流れ。次回の課題は「都詰」。昔あった「都新聞(今は合併されて東京新聞)」に都詰の作品が載っていた事があったとか何とかいう話(うろ覚えです)からこの課題に決まったっぽい。ちなみに案の定というか、「ヤン詰に作品出すならこっち(彩棋会)にも作品作ってくれよ」と皮肉を言われた(笑)。その拙作、意外と…(ヒントになる可能性があるのでこれ以上書けない)

それを聞いた自分は適当に駒を配置する。ポリシーは「初形に自玉が55にいる⇒双方の玉が動いて最終的に玉方の玉が55で詰め上がる」。…原理としては不可能ではなさそうなので【*1】、原理図みたいのを並べてみたところ他の参加者の「何か」に引っかかったのだろう、本格的な検討が始まってしまった。この日は「柿木があったら多分作れる」という結論(?)になったが(気が付くと盤面に20枚くらい駒が並んでいた)、世の中には自分がシャレで(?)言ったモチーフをあっさりと形にしてしまう強者が沢山いるので、次回の彩棋会でどうなっているかちょっとは楽しみ。

彩棋会の話題の中に「参加回数上位者」「作品展掲載数上位者」の話。自分はこっちに戻ってきて(=令和になって)からの参加なので当然少ないわけだが、「作品掲載数」は「道外からの参加である岩本氏が2位タイ」という奇想天外な(?)データが残っている。それも課題に合致した立体曲詰をいくつも作っているのだから…

2次会には6人参加。エルプラザの目の前にある居酒屋にて。「もし札幌で全国大会をやったら2次会はここでできるかな?」という話が出てきた(50人くらいは入れそうなので「貸し切りにすればできそう」という結論に)。「生牡蠣1個100円(+税)」と暖簾が出ていた(北海道だと道東の厚岸あたりが有名な漁場)が、「何かあっても自己責任」という事で*2手を出す人はいなかった。自分は子供の頃にカキフライを食べて「あたった」事がある(カキフライであたった、なんて相当「ハズレ」だったのだろう、という話になった)ので、それ以来「貝類全般」が怖くて食べられない。シーフードヌードルに入っているホタテはギリギリセーフだが生のホタテ、みそ汁のアサリやシジミなどの定番料理は全部ダメ。もっとも牡蠣がなくても定番の海鮮料理には事欠かないのだけど。

岩本氏は最終の飛行機に間に合わせるために18時くらいに「〆の海鮮茶漬け(喩えではなく本当にそういう名前)をかきこんで退席された。この茶漬けに関して店とちょっとトラブル(?)があったのだが、佐藤氏が「道外から来ている方だから最後まで楽しんでもらいたいので」と店側を説き伏せて(?)いる。…結果としてそれで良かったと思う。

今でこそ発覚したら大問題になっているが、かつては「未成年での飲酒」はそんなに珍しくもなく、また今よりは随分と寛容だったようにも思う…という話にもなった(将棋とは全然関係ないな)。「成人は18歳なのに何故酒は20歳なんだ?」とまるでどこぞの酔っ払いみたいな話にもなってみたり、その流れで自分が「レースの前日にアホみたいに飲んで(正確には『飲まされて』)レース当日の朝にゲーゲー吐いた」というエピソードを披露したりもした(若かったんだなぁ…)。2次会のさなかに竜王戦が決着しているが自分は全く興味なし。

 

今回も道外から3名の参加があったという事で、彩棋会への参加を促す(こっちに来たらこんな旨いものが食えますよ、という)アピールも引き続き。一方で自分は「こっちから道外の会合に参加するプラン」も出してみたり。…もっとも自分の場合「ボートレースがメインで会合はおまけ」という事になりそうだが、可能性としては以前の記事にも書いた「5月の多摩川オールスター」「10月の戸田ダービー」「7月の全国大会」のどれかだろう。ただし前2つは「最終日の前日(土曜日)に詰工房が開催される」という条件付きで(これを書いている時点では24年4月までしか決まっていなかった)。また全国大会に関しては現時点で情報(場所はおろか開催日時についても)が全く出ておらず、「それだったら7月じゃなく(少しは涼しかろう)9月の3連休にやったらどうだ?」「あるいは11月初旬の3連休(3日が日曜日なので4日は振替休日)は?」という話も出てきた。後者だとダービーの翌週になる。…長期滞在は予算的に苦しいよなぁ、ってやる気なのかい(笑)また「香龍会に」参加するとしたら、という話もしていて、これも以前書いたが「午前の丘珠発なら13時くらいに中村生涯学習センターに到着できる」「日帰りはかなりハード(多分中座する事になる)なのでどこかで1泊」。ホテルは名古屋市内で探すより隣の市で探す方が(往復の交通費を含めても)安上がりだったりする。香龍会の日時が決まれば早割で安く往復できるので…(この日の3人はそれぞれ「日帰り」「前泊」「後泊」とパターンがバラバラだった)

 

次回は来年3月(細かい日時は未確定)、作品展課題は「都詰」。

…自分はその前にエルプラザで落語会(15日、「権太楼たっぷりの会」)。何回エルプラザに行けば気が済むのだろう(笑)。

*1:後で思い出したが、パラの中学校に「その反対」、つまり初形で玉方の玉が55にいる⇒詰め上がりでは自玉が55(相手玉は自玉の初形位置)にいる、という(確か作品のタイトルが「下剋上」)作品があったと思う。

*2:店のメニューにも「最善の注意は払っていますが、『それでも何が起こるか分からない』のでご理解の上でご注文下さい」と注意書きがあったくらい。

消える資格

自分はレーシングカートの国際ライセンスを保有している。…レースにはもう10年以上出ていないので持っていても使い道は全くと言っていいほどないのだが、保有者はそんなに多くないものなので【*1】、言わば「ネタ」として毎年更新してきた。その国際ライセンス、2025年から更新には所定のレース出場実績が必要になった。つまり

国際ライセンスのペーパードライバー(?)が認められなくなる

のである。

カートライセンスのシステムは何度か変更されている。ごく最近だと2022年にそれまでは「国際A・B・C・リストリクテッド(制限付き)・ジュニア(14歳以下)」の区分が「国際E・F(14歳)・G(13歳以下)に変更されている。つまりそれまでのABCがEの1つに一元化されたわけだが、JAFの資料によると「1995年までは『国際セニア』『国際ジュニア』の区分だった」ので、27年前の区分に戻ったようなものである。また国際ライセンスの更新も所定の出場実績がない場合(日本の場合)「国内A」まででしか更新申請できなかったのだが、いつの頃からか「国際Cに限っては出場実績なしでも更新申請ができる」ようになった、言うなれば「国際ライセンスのペーパードライバー」になる事ができた(ので自分はカートをやめた後でも「国際C」の更新を続けられた)わけだが、それも事実上昔の状態に戻る事になる。

 

前述のように「ネタ」とは言え日本人では500人くらいしか所有していないレアな(?)資格だった(勿論履歴書にも書いてきた)わけで、上記の通知を受けたときには

これがなくなったら今以上に『ただの人』なってしまう(「国内A」ではネタにもならない)

という悲壮感(?)に包まれたものである。JAFとしては「ライセンスを発給するほど赤字になるとは思えない*2ので、「国際ライセンスのペーパードライバー」は(カートでなくても)むしろ歓迎すべき存在のように思えるが、国際ライセンスに関する要綱はCIK国際カート委員会、要はカート競技の世界的元締め)が決めたものが世界共通のルールになるので、「余計な決定しやがって」とJAF(や他の国のカート競技を統括する団体)は思っているかも知れない。…そう言えば「資格とは金の亡者が金儲けのために作り出したもの」なんて事を言った人がいたような(…誰だっけ?)。

無論「所定の出場実績」を満たせば今後も国際ライセンスを所持する事はできるのだが、自分にはレースに出るための金も時間もないし、仮に両方あったとしても「体がついていけない」。中には40代~50代でも第一線で走っている人もたまにいるが【*3】、10年以上のブランクがある自分にそんな芸当はまず無理ですから。

 

カートをやっていたおかげで自分はモータースポーツの見方が「普通のファン」とはちょっと違うのかも知れない。例えば今のF1で行われている「スプリントレース」、土曜日に100kmほどの距離を走る決勝とは別のレースだが、カートの場合「予選もレース」が当たり前なので【*4】、「コース上での抜きにくさ」を除けば全く違和感を感じないし(もっともその「コース上での抜きにくさ」故に不評だったりするようだが)、一時問題になったチームオーダー(エースドライバーにチームメイトが順位を譲る、とか)も、ヨーロッパでは「チームオーダーはカートのチーム内にもある(言い換えるなら「レースの世界にはどのカテゴリーでも『ドライバーの序列』が空気のように存在する」)という話を知っていた自分は「これがヨーロッパのやり方なんだよなぁ」と妙に納得しながら(半分以上は「呆れながら」)見ていたものである。

 

…とりあえず自分が「国際レーサー(?)」でいられるのは来年いっぱいまでのようである。自分は別に「資格マニア」ではないが、やっぱり何だか寂しいなぁ… もしかしたらまたライセンスの更新条件が変わる可能性もあるが、その頃にはおそらくライセンスを更新していない(「国内A」を持ち続けるつもりはない)だろうし、下手すりゃ生きていないかも知れないし(笑)。

*1:JAFの資料によると2022年のカート国際ライセンスの発給数(=保有者)はジュニアも含めて549人。

*2:国際Eの新規・更新料は年間8,400円、国内Aだと3,600円(どちらも税込)。事務手続きの手間に差がある(国際ライセンス所持者のリストをCIKに提出しないといけない、とか)かも知れないが、それでも「国際Eライセンスを申請してくれた方がJAFは儲かる」ように思われる。

*3:日本では「カートの神様」と呼ばれた李好彦という人が50歳くらいまで全日本の最上級クラスで走っていた記憶がある。ちなみにこの人はレーシングドライバー国本雄資の伯父にあたる。

*4:レースの規模にもよるが、国際レースだと予選のグリッドを決める「タイムトライアル(方式はよく変更される)」→「予選レースが3レース」→その総合成績を基に「準決勝」→「決勝」(シリーズ戦の場合「決勝1」→「決勝2」)、と1つの大会で「5レース」走る事が多い。

詰パラ11月号

詰パラの1つのコーナーが「(日付が)1桁」のうちに全部解けた時「まだ(解答を送る日数に)余裕があるな」とのんびりして、気が付くと29日とか30日になってしまい「あ、解答送ってねぇ」と慌てて解答を書く。…多分自分以外でもそういう経験をした人は少なくないはず。…こういう事は得てして「やらかす人はしょっちゅうやらかす」「やらない人は全くやらない(さっさと済ませる、という習慣が身についているから)と両極端だったりする。特に「幼稚園」「保育園」「ヤン詰」はメール解答ができない*1ので月末が土日だったりするとかなりピンチ。ポスト投函では締め切りに間に合わない可能性があるので(ぶっちゃけ郵便局の人間やシステムを完全には信用していない、という事)自分の場合札幌中央郵便局(札幌駅の近く、要は土日でも開いている郵便局まで持ち込んで消印が間に合う事を確かめる、という行為を年に数回やっている。…実に非効率である(笑)

 

11月号が届いたのは1日。…まぁギリギリ許せるリミットである。

拙作が「彩棋会作品展」以外に掲載されたのはいつ以来だろう。…確か「香龍会作品展(333回記念、2019年の3月号くらい?)」、結局会合の作品展かい(笑)それも除外すると本当にいつだったか覚えていない(もしかしたらそれ以降に何かが載った可能性もあるし)…札幌に帰って来てからは本当に詰将棋を作る余裕がない、と思っている。詳しい事情はプライベートなのでここで書くわけにはいかないが。

解答募集期間なので当然ながら作品(手順)に関するコメントは控える。今度の彩棋会(の2次会)で酒に紛れてベラベラ喋ってしまうかも知れないが(笑)。

 

今度の彩棋会は(パラにも載っているが)11日の開催、道外からは少なくとも2名の参加が既に決まっているようである。…さっさと丘珠空港の滑走路を延長して本州からのアクセスを良くしやがれ、と思ったり(一応2030年を目標に延長される計画があるが)。当日の自分は「昼飯にさんぱち(11日はサービスデーで安い)を食った後に会場入り、将棋に関するネタはほとんど持ち合わせていないので8月の津の思い出話とかがメイン、そして2次会で食べまくって飲みまくる」となりそうだ。…一体何しに行くのだろう(笑)。

 

…また将棋パズル雑談で誌代が入帖されている。これで何回目の当選だろう(確か中学校の解答でも1回当たっている)。購読歴の長い人だと「そんな事いちいち覚えていない」という人が多そうだが自分もその域に突入したようである(一応「督促状」が届く月から逆算できそうだが、直近でその督促状が来た月を覚えていない…)。反対に「20年以上購読(毎月欠かさず解答)しているが一度も当たった事がない」という人もいそうだし。

将棋パズル雑談も先日のエスコンフィールドの観戦チケットも「実は応募者数があまり多くなかった?」という可能性がある(前者は解答者25人に対して2人=「当選確率8%」だったので間違いなく少ないとわかる)が、昨年当たった「アレ(彩棋会の2次会に参加した人は知っている)は間違いなくもっと低確率(推定1000分の1くらい)だろうから、相変わらず妙なところで自分は運を使っている(笑)

*1:小学校は10月号からメール解答が可能になっている。やはり望む声が多かったようだ(自分も7月号の解答に「メール解答できるようにして」と書いた)。

来年の遠征計画もそろそろ考えようか…

札幌駅の地下の電子広告塔。…こういう広告(上は2か月前)を出すのだったら札幌にもBTS作れよ、と何度でも思ってしまう(いろいろとクリアしないといけない問題はあるのかも知れないが)。何せ今札幌は建設ラッシュ(?)で、ここ最近でもいくつも新しいビルができている(それもWINS札幌の近く=敗者復活戦?を目論む客を呼び込めそう)のだから。

「いろいろやらかして」2年弱SG出場停止を喰らっていた峰竜太がSG復帰戦となったダービーで「通算100優勝」「全24場優勝」をやってのけた。これらの記録自体は過去に達成者が何人もいるのだが、「2つ同時に」「SGの優勝で」決めたというのは多分初だと思う。…こういうのを見ていると峰竜太の姿が藤井聡太と被って見えてしまう(つまり「見ていて気分が悪くなる」。自分はあまり彼が好きではないので…)。

 

…そういう時に無理にビッグイベント(SG)ばかりを見る必要がない、というのもボートレースのいいところだと思う。SG開催期間というのは選考に漏れた銘柄級選手が「裏番組」に出ている事が少なくない*1】ので、「峰が嫌いなら会長瓜生正義選手会長を見ればいいじゃない」みたいな楽しみ方ができる。もっとも今年のダービーのように「メインがナイター」だと「何だかんだ言って結局は見てしまう」のだけど…

ちなみに下の画像のシーンもダービーの裏番組の1つ(日曜日の多摩川12R)。4号艇がこんなに反っくり返った(思わず「危ねぇ!」と叫んだ)ところから転覆も落水もせずに競走に復帰している(最下位ではあるが無事完走した)ので「彼女は不死身か?」とか思ってしまった(画像は公式チャンネルから引用、4号艇に乗っていたのは櫻本あゆみ)。

 

ボートレースはレース開催中のスタンド内で何かしらのイベント(主にトークショー)を行う事が多い。近年はC19の影響でほとんど行われていなかったが、今年あたりから少しずつ増えている(選手の入待ち出待ちやサイン会などは今でも禁止だが…)。今節のダービーは4日目(金曜日)に三遊亭好楽落語会」が行われている。レース場で落語会というのは以前も(確か「林家木久扇落語会」が)あったような気がするが、(試運転の)エンジンの音が聞こえる中での落語会というのもなかなか異質(?)だと思う。他にも開催日のスタンド内で将棋の席上対局プロレスをやったりもしているので、あとやるとしたら…

 

来年の「遠征計画」もボチボチ考え出してはいるのだが、来年は今年のように「即決」できない(即決できるシーズンの方が珍しいのかも知れないが)候補はいくつかあるが、

LC福岡。まだ行った事は無いが滅茶苦茶遠い。旅費も(遠い分)高くつきそうだし死ぬほど暑そうだし。

QC蒲郡何度も行っているので「今更感」が強い(それに年末の旅行は旅費が高くつく上に「豪雪で飛行機が欠航」という可能性もある)。

詰将棋全国大会の開催時期にボートレース甲子園、これは(全国大会に行った場合は)会場で中継を見ればいいだろうから事実上除外(そもそも津は今年初踏破したし)。

多摩川BAすぐ近くで東京優駿を走っているにも関わらずここでやるという競走会の勝負根性には恐れ入るが(笑)、それによって往復の電車が面倒な事になりそうではある【*2】。…最終日の12R(優勝戦)は来場者全員でスタートの瞬間「行っくよ~!」って叫ぶ*3のかな? というか、今年のQCも含めて「競走に支障がない」のなら是非やってほしい、とか思っている。自分はやらないけど(笑)。…時期的についでに詰工房に参加、という可能性も少しはある(開催が月末の土曜日なら)。

戸田BD。戸田は未踏破だが目当ての選手が出るかどうか、という問題が【*4】。また会社の事情で10月は休みが取りづらい(取れない、ではないが)天皇賞(秋)と同日開催だが交通機関への影響はあまりなさそう。こちらもついでに詰工房、という可能性はある(条件は同上)。時期的にbeatmaniaIIDXの32がリリースされていそう(31は今月18日リリースされた)なので前後に地方行脚もあり…かも?

・新設される「スピードクイーンメモリアル」…の開催は2025年(の2月、浜名湖(笑)…むしろ来年はパスしてここに絞る、という選択肢もありそうだし。

 

…どれも決め手に欠ける。「現地で会いましょう」と言ってくれる人(先着1名)がいたらそこに決まる可能性が高いのだが、そんな酔狂な人がいるとも思えないし(笑)。

*1:普段の周年記念だと「開催中」「次開催」2節104名のA1級がそこに集まるが、SGだとその中の(少なくとも)52人は選考に漏れる計算になる。例えば今回のダービーの裏番組のびわこGⅢには松井繁服部幸男瓜生正義と3人のGP覇者が顔を揃えている(服部は前述の「通算100優勝」「全24場優勝」を既に達成済)。

*2:東京競馬場から「府中本町→西国分寺-(武蔵境で多摩川帰りの人が合流)→新宿・東京方面」というルートで帰る人がどれだけいるのか分からないので予測しにくい(東京優駿当日はその後に目黒記念が行われるので他の日と比べて客が被りそうな気がする)。以前は南門から出て「是政-(競艇場前)→武蔵境→(以下同)」というルートもあったようだが、東京競馬場の南門が閉鎖されたため現在このルートは使えない。

*3:「意味」が分からない人は多摩川の優勝戦(いつでもいい)の実況またはリプレイを見て下さい。

*4:出場選手確定は8月1日。誰が出れそうか(出場ボーダーとその近辺の選手の勝率の推移)は有志でまとめているサイトがあるのでそちらで確認する事は可能ではある。選考期間のラストにオーシャンカップがある(SGは勝率が+2点なのでダービー勝率を大きく上積みできるチャンスである)のでここが目イチの勝負駆け、という選手も毎年出てくる。…感覚的に5月末(残り2カ月)の時点で勝率7.00では逆転出場はほぼ不可能な印象。

なぜあの人は○○が弱いのか?

家族がよく「ドクターX」(の再放送)を見ている。正直自分はあまり興味がなかったが、つられて(?)見てしまう。

大門未知子(←普通に予測変換で出てくる)の「私、失敗しないので」はサラッと聞くと傲岸不遜にしか聞こえないが、ドラマをよく見ていると大門は「手術を100%成功させるための入念な準備」を怠っていない。他の医者やAI(!)が導き出した病名を頭からは信用せず、患者の言動などをよく観察して「あらゆる(他の病状の)可能性」を疑い、時にはカルテとにらめっこしながら「どうやったら100%の手術ができるか」を考えて徹夜もしたりする。ドラマでは患者(カルテ)を見ると片っ端から「私に切らせて!」と言いまくっているように見えるが、何でもかんでも「切らせて」ではなく、多分彼女でも治せない(治す自信のない)患者に対してまで「私に切らせて」とは言っていないと思う(そういう患者は非常に稀有な存在なのでそういうシーンを見ないだけ?)。…そうやって考えるとドクターXって「ゴルゴ13」とどことなく共通点があるような気がしなくもない【*1】。

 

自分は医療の話はほとんど分からないのでそっち方面に突っ込むのはほぼ不可能だが【*2】、あの作品の中でどうにも腑に落ちない箇所が1つある。それは

 

大門未知子が異様に麻雀が弱い事

 

作品中に麻雀を打つシーンがよくある(場所は雀荘ではなく「神原名医紹介所」)。「三麻なのに萬子の2~8を使っている」ところは「ダウト!」と言いたくなるがとりあえずそれは置いておく(笑)。

 

私生活のだらしない奴が麻雀で強者にはなり得ない

 

は麻雀に対する持論である(むしろ「真理」かも知れない。異論は認めない)。彼女は「食い気に弱い」という面はあるが、前述のように「100%」にするための努力は一切惜しまないし、(そういうシーンは見た記憶がないが)暇があったら医学に関する本とかを読みまくって勉強していると思う。つまり「私生活がだらしない」とは到底思えないわけで、あれだけ手術(患者)に対して真摯に向き合える人が麻雀がめちゃくちゃ弱い、というのがどうにも腑に落ちない、というか極論するなら「あり得ない」作品内に出てくる「派閥や権力抗争に勤しむ」他の医者ならともかく…

 

好意的に(?)解釈すれば「麻雀を打っている時の大門未知子は言わば『抜け殻』のような状態」なのかも知れない【*3】。…が、負けたら負けたで子供のように悔しがるし、「麻雀を打つ患者の言動から真の病状を見抜いた」事もあるので、その注意力・観察力をもってすれば仲間内の麻雀なんかで負けるとは思えない、それどころか○リーグとかでも互角以上にわたりあえそうである。もっとも彼女は興味のない(手術に関係ない)事は「いたしません」の一言でバッサリと切り捨てるので、麻雀への努力(?)も「いたしません」に属する事なのかも知れない【*4】。

…そしてこういうドラマを見ていると「手術は受けたくない」という気持ちにさせられる。自分の執刀医が作品に登場するような「自分の事(メンツとかプライドとか)しか考えていない奴」だったら、と考えると手術なんて受けたくねぇよな、と(笑)。気胸で手術した時の医師はいい先生だったけど、そもそも手術なんてのは健康だったらする必要がないので「手術をしないで済む」、早い話が「健康な体で生きれる」のが理想なのは言うまでもない。…のだが自分の場合は発病の要因が…(以下略)

*1:ゴルゴも「100%」依頼を成功させるために入念な準備を怠らない(それどころか時に「報酬以上の経費をつぎ込む」事もある)し、できない事は「できない」とハッキリ断るシーンがあった記憶がある。

*2:作品中の「症例」は原則として「過去に実例があったものを使っている」らしいので、某ラノベのように「演出重視で書いて実は理論上あり得ない」という事はないらしい。

*3:銀河英雄伝説ヤン・ウェンリーが「(三次元)チェスが好きだけど滅茶苦茶弱い」事について、ユリアン・ミンツは「ゲームをやっている最中に他の事を考えている事が多いようだ」と日記に認めている。もしかしたら大門未知子もその類、つまり「麻雀を打っている最中も手術や患者の事を考えている」のかも知れない。実際ドラマでは「西北をポンしている相手に対して平然と南まで切る(そして大四喜に振り込む)」、つまり「麻雀を打てる人なら誰でも気がつく事」にすら気づいていない風なので。

*4:ちなみに「致しません」と漢字で書くと「至らせる」「引き寄せる」などの意味になり(例えば「思いを致す」「不徳の致すところ」)、「する」の謙譲語・丁寧語ではなくなってしまう。彼女の「いたしません」は「~しない」の意味なので漢字で書く(字幕でもほとんどが漢字で「致しません」になっている)のは厳密にはダウト。実際公式文書でも「お願い致します」と漢字で書いたらアウト(要修正)、という事はある。

VSストレス

「この病気はストレスが原因なので、その大元を断たない事には何度でも再発しますよ」

「じゃあ藤井聡太をこの世から消してください

 

…もしこれが(医者と患者の)実際のやり取りだったら医者は困惑するしかないし、アネクドートだったとしても1μも笑えない*1だが藤井聡太がタイトルを奪取するごとに自分の体調がおかしくなっていくのは決して偶然ではないと思っている。例えば(以前にも書いた)気胸が再発したかも知れないと感じたのは藤井聡太竜王名人」が誕生した時とほぼ一致している。それこそ冗談抜きで藤井聡太がこの世から消えたら自分は100歳以上生きれるんじゃないか?」とさえ思ってしまう。…もっともそんな事をしてまで100歳も生きたいとは思わないが【*2】、藤井聡太のせいで「最大の親不孝」をしてしまう、というのも御免被りたいものである。

 

会社の上司や先輩のせいでストレスというのはいくらでも事例がある(自分も何度も経験がある)が、「向うは全く面識のない人間」の存在がストレスになる、というのはある意味異様だと思う。でもこうして「ストレスの大元」になっている(少なくとも今の職場でストレスらしいものを感じた事は無い、それどころか「これまでの人生の中で最大級のストレスを感じている」とさえ思っている)のだからしようがない。つまり自分はいろいろな意味で異様なのである(笑)。

…それにしてもいつからそんな風になったのだろう。藤井聡太が世に出てきた当初はそんな風に思わなかったのに、気が付くと(多分29連勝するより前に)「ストレスの根源」になっていた。そもそも「奴さん(今時こんな三人称を使う人も珍しい)がどれだけ連勝しようが自分の生活には何の支障も出ない」のに何故ストレスの根源になるのか? それこそ「世界の秩序を破壊しようとしている3人(敢えて名は出さない)」の存在以上にストレスを感じるのは何故か? …まぁそれだけ(それこそ「拾わなくてもいいノイズまで拾ってしまう」ような)繊細で感受性豊かな人間だから、という事にしておこう(笑)。

*1:この後医者が「だったらさっさと死んでください(その医者は藤井聡太の大ファンだった)」とでも返したらまた違うかも知れないが…

*2:むしろ中途半端に(?)100年生きるくらいなら(不可能な話だが)500歳くらい生きて「(おそらくは今以上に酷いであろう)時代の生き証人」になりたい、と思う。

キラキラネームが生まれる理由を考えたら三国志の時代に飛んでしまった

今年の6月に成立した改正戸籍法、そのネームプレートの下には「キラキラネーム規制法」と書かれているらしい。

こういう法ができる事自体が日本人の知性かモラル(多分両方)が衰えている証左なのかと思うのだが【*1】、そのキラキラネームが出てくる理由の一つに「同じ名前はクラスに2人もいらない」という理由でのいじめや嫌がらせ(20世紀の時点で結構あったそうだ)が原因ではないか、という気がしなくもない。つまりその手の「傷」を負った人が人の親となった時に「絶対に他人と重複しない名前」を考えて、熟考しているうちに「後遺症」で思考が変な方向に飛んでしまって結果としてキラキラネームになってしまった、という可能性は意外とあるかも知れない。…まぁキラキラネームの大半は親のIQの低さ故の産物なのかも知れないが、かたや「名前が被る」という理由でいじめを受けたと思えば今度は「珍しい名前」という理由でいじめを受ける… 一体この国はどうなっているのだろうか?

その手の(名前を口実にした)いじめ、嫌がらせはあって小学校低学年まで、という印象だが(さすがに3年生くらいにもなってそういう事を言う奴は想像がしにくい)、大人になってもその手の難癖をつける人というのはいるらしい。

 

三国志に登場する呉の重臣魯粛主の孫権劉備との同盟を提案し、自らその交渉役となって劉備の陣営に赴く。その諸葛亮の活躍もあって同盟は成立し、呉は曹操の大軍を赤壁で討ち果たす。その後両国の間には諍いも起きる事があったがそんな中でも魯粛劉備との友好関係を保つよう孫権に進言し続ける。しかし彼は217年に40代半ばで夭折【*2】、その後いくらも経たないうちに孫権曹操(立案したのは司馬懿の連衡策にはまって関羽討伐の兵を興す事になるが、もし魯粛が生きていたらそのような誘いに乗らないよう強硬に孫権を諫めたであろうし、荊州のパワーバランスも史実とは全く違うものになっていた可能性が高い。

魯粛劉備と事を構えるのは曹操を利するだけ」という事、つまり「合従」という概念を理解していた戦略家、政治家だったと言える【*3】。彼の後を継いだ呂蒙は「士別れて三日すれば、即ち更に刮目して相待すべし」と答えるような人物であったが、その本質は「戦術家」の領域を越えていなかったようである(普通に考えて短期間で詰め込んだ学問で戦略眼を養うのは非常に難しいと思う)し、前任の周瑜にしても政治家としての才はともかく魯粛のような「合従」という考え方は持っていなかったようなので、魯粛はまさに「呉で随一の視野を持った戦略家・政治家」だったと言える。元々は地方の豪族の出であるが、若い頃から公平謹厳、文武両道、困っている人には私財を惜しみなく分け与え、特に周瑜が援助を求めてきた時には「蔵1つまるごとあげた」という逸話があるような人であった。

…だが、三国志演義で知られる魯粛の人物像正史と比べるとどこか「情けない」人物に描かれている。演義でも主に劉備との橋渡し役であるが、やる事成す事全て諸葛亮にはいいようにあしらわれ、周瑜からは「お主には外交官の才能がない」と詰られる始末【*4】。後に荊州の領有で関羽と対談した「単刀赴会」でも関羽  というより諸葛亮が用意した台本に」という方が正確だろう  言い包められて「ぐうの音も出ない」状態であったが、正史では逆に魯粛関羽を論破して『関羽の方がぐうの音も出ない』状態であった【*5】。途中で(これも諸葛亮の策の一環として)周倉が対談に割り込むシーン、これは正史にもあるが、正史の場合言葉に詰まった関羽を援護するためにしゃしゃり出てきた(けど魯粛には全く効かなかった)だけで、その意味合いも全く正反対に書き換えられている*6

魯粛は既出の魏延周瑜と違って「諸葛亮に楯突いた」といった要素がない。にも拘わらず何故演義魯粛はこのようなキャラ付けにされたのだろうか。自分が考えつく理由は2つ。

 

1.諸葛亮と同レベルの戦略眼・政略眼を持っている事が気に食わなかった

羅貫中にとって孔明様(笑)は神に等しい存在であり、(武芸のような専門外分野を除けば)彼を上回るのは無論、「同レベルの存在がいる事」すら許し難い事だった可能性が高い。例えば北伐で相対した司馬懿にしても、演義で読む限り「知恵比べは諸葛亮の方が少し上だった」という風に読める。それと同様で魯粛も政治家や外交官としての能力を「諸葛亮より下」のレベルに貶められた可能性が高い。なお、魯粛周瑜と同様に「天下二分の計」に類するものを孫権に献じているが、それを理由とするなら「同罪」になっていてもおかしくない甘寧に対してその手の脚色が見られないのでこの献策が人格を貶められた原因とは考えにくい【*7】。

 

2.魯粛の字が劉備の叔父と同じ「子敬」である事を不遜だと思った

…多くの人から「何だそりゃ?」とツッコまれそうな理由だが、正史と演義系の両方を読むと(言い換えると「羅貫中の手口」を知ってしまうと)これが「全くあり得ない話」とは断言できなくなる。

同時代に孟達という人物がいた。元は益州劉璋に仕え、同僚の法正や張松と共に劉備を蜀に迎え入れようと画策。後に劉備に仕え「その後いろいろある」わけだがそこはいったん置いておくとして、この孟達正史によると元々の字は「子敬」であったが、劉備に仕えるようになってからは劉備の叔父と同じ字を避けるため」に*8字を「子度」と改めている。

一方で演義だと孟達の字は初登場時から「子慶」となっており(途中で変えた、という様子は見られない)、最初から「子敬」という字を避けたように思われる【*9】。演義だと孟達関羽からの援軍要請を断って見殺しにした張本人」のような扱いで、そのような奴に「子敬」という立派な(?)字などつけられるか、と考えたのかも知れない。

前述のように魯粛劉備諸葛亮に害を成した存在とは言えない(むしろ友好的な存在である)。しかしやはり「子敬」という字は不遜だ、という理由人格や能力を歪められてしまった…という可能性を完全には否定できないのである。他の作者ならともかく。

あくまで可能性ではあるが、「同じ名前(字)が2人いるから」という理由で難癖をつける人間というのは500年以上、もしかしたら1800年以上も前からいた事になる。…人間(とか国)というのは意外に成長しないものなんだなぁ。

 

ちなみに前述の孟達だが、正史と演義とでは関羽孟達(と劉封)に援軍を要請した時期が違う」。演義(世間によく知られているタイミング)だと関羽が麦城に落ち延びてまさに絶体絶命、というタイミングであるが、正史だと荊州が落ちるより前、樊城攻略のための増援要請、となっている。主君を何度も変える節操のない奴劉璋劉備曹丕→蜀に出戻り…しようとして司馬懿に討たれる)という印象が強い彼だが、冷静に考えて関羽の死の責任を押し付けられる(九分九厘殺される)と察したら逃げようと考えても別に不思議ではない*10ましてや(援軍を断った時期が)演義のタイミングならともかく、正史のタイミングで孟達の罪を問おうとするのは完全に「とりあえず誰かを犯人にしておけ」のレベルである。

孟達は魏に亡命した一方で劉封は逃げずに出頭した(正確には「先に魏に亡命した孟達に攻められ、成すすべなく逃げ帰った」が、劉備は完全にプッツン状態(いつの言葉だ…)、諸葛亮も彼を擁護せず*11当の劉封死に際し「こんな事になるなら孟達と一緒に逃げていればよかった」と漏らしたという。

そういう意味では孟達もある意味「羅貫中の毒牙にかかった一人」なのかも知れない。その要因は関羽の援軍を断ったから」なのか「字が『子敬』だったから」なのか…

*1:政府はマイナンバーカードの円滑な利用のため、とか謳っているらしいが、ああいうのに固執している時点で政治家(というか自民党)に知性もモラルも感じられない(というか「裏に金絡みの『何か』がある」ようにしか見えない)。

*2:「真・三國無双8 Empires」では「218年に始まるシナリオ」で魯粛が生きている(しかもゲーム中で見れる人物事典でも魯粛が「217年没」である事を確認できる)。…このシリーズでは時折こういう「ダウト」が見られる(例えば「兄」が生まれていない年に「弟」が登場している、とか)。

*3:もっとも単に「親劉備派」というわけではなく、孫権の覇業のための最善策、言わば諸葛亮の天下三分の計と同じような考えを持っていた、というのが正確だろうか。ちなみに合従・連衡という概念が生まれたのは中国の春秋戦国時代

*4:「蔵1つまるごと」の支援をもらった人物にそんな言い方はないだろう、と思う。つまりこんなところでも「周瑜の人格が密かに貶められている」という事になる?

*5:三国志平話(演義より前にあった三国志を基とした小説)だと魯粛はこの場で関羽を抹殺しようとした、とあるが、魯粛の戦略方針から見たら「まずありえない話」。この三国志平話には演義以上に荒唐無稽なエピソードが多いようだ。

*6:そもそも周倉は正史にその名が登場せず、このシーンのこの男にいろいろ肉付けして出来上がったキャラ、と見るのが妥当だろう。

*7:甘寧は「諸葛亮劉備との接点がほとんどなかった」ので脚色する必要性を感じなかった(甘寧以外にも同条件に該当する人物は概ね正史に準ずる人物描写となっている)のかも知れないし、実は甘寧も天下二分の計を献じていたという事を「羅貫中が見落とした」だけ、という(周瑜魯粛と違って甘寧は武官のイメージ、しかも元水賊という事で「あまり頭が良くない」みたいに決めつけていた)可能性もあるが…

*8:特に関羽からはその字のせいでいろいろな嫌がらせを受けていた、とも言われる。

*9:そう言えば張飛の字は正史だと「益徳」なのに世間では演義での「翼徳」の方がはるかに浸透している。…どこから「翼徳」という字が出てきたのかハッキリした理由がよくわからん(張飛が単騎で曹操軍を食い止めた長坂橋があったとされる場所に立つ石碑にも「張徳横矛処」と書かれているとか)。

*10:例えば周倉のように「関羽に命を捧げた」とかいう人ならともかく(実際周倉や王甫は関羽の死を知って間もなく殉死している)、好きでもない(というか嫌がらせを受けた?)奴と心中なんてのは賢い人間の選択肢ではないと思う。

*11:演義だと「劉封孟達からの降伏勧告の書状を破り捨てた上で使者を斬り捨てた」事を理由に処刑を思い直すよう進言しているが、正史だとその反対で「彼の存在は世継ぎ問題に支障が出るから」と、関羽の件を口実とばかりに「積極的に処刑を勧めている」。