最近PC(特にネット関連)が更に重くなったせいかそれにまつわる作業、つまりブログ書きも含めてなかなかやる気が起きなくなっている。だから9月1日に9月号が届いた、という話が今頃になっている。…かなりヤバい状況かも知れない。
新しいPCを買おうにしてもいろいろな意味で時機が悪い。まず来年2月末の鳴門旅行で金がかかる(特に飛行機が羽田経由の乗り継ぎなので往復で4便必要になる)し、Windows11についても「嫌な話」が相次いでいる今のタイミングで(メインPCを)買い替えるのは多分にリスクが高い(断言)。それこそWindows12(仮)が出るまで騙し騙し使う方がマシ、という可能性もある(実際XPを騙し騙し使った後一気に10まですっ飛ばしたわけだし)。
とりあえずパラを一通り流して見て、「人口知能」という誤字(38ページ)はある意味見飽きた。AIが普及している現代ゆえによく見かける誤字かも知れない。
個人的な見解として、AIという概念が(日本で)世に広く知れ渡るきっかけになったのはファミコンの「ドラゴンクエストⅣ」ではないかと思っている。第5章(ファミコン版では最終章)では戦闘時勇者以外に命令を出す事はできず(リメイク版では可能に)、「作戦」に応じた行動をそれぞれが取る。その行動パターンは戦闘を繰り返す事でより最適なものを選択するよう「学習」していく、…というのが売りだった(と記憶している)が、正直なところ「AIが学習している気配が全く感じられない(効かないのに同じ呪文を連射する事が多い)」。なので自分は呪文を使わないキャラ(ライアンとアリーナの打撃)+回復役で「いのちだいじに」、以外の編成を使った記憶がほとんどない(全員揃うまではともかくとして)。…AIを信用できない、と言う人の何割かはこの時のトラウマ(?)のせいなのかも知れない。
当時は「学習するAI」として話題になった(?)気もするが、必ずしも「学習するのがAI」と限ったわけではなく、例えばRPGの敵行動パターン(完全ランダムではなく状況に応じて行動が決まっているもの)もAIと呼ばれているし(主に開発側で)、そういう意味ではファミコンの本将棋だって立派にAIである。…だとしたら「ザナック」のAIはファミコンの中でもかなり秀逸なAIだったのかも知れない【*1】
何はともあれ、AIを使うにしても「AIに使われる」のだけは忌避しないといけない。「(前略)三盃は酒人を飲む」というが、AIも使い(頼り)過ぎると「自分」がどこにもいなくなってしまう、ひいては「いなくても問題ない人間」になってしまうに違いない。