DJカートン.mmix

他人に完璧を要求するのは質の悪い潔癖症のようなものだ。

不慮の事故から25年。

新年あけましておめでとうございます。

…え、違うって?(笑) 元号が変わった(しかも天皇陛下崩御に伴う改元ではない)のだから「新年」「あけましておめでとう」でいいんじゃないですか。

…そういうわけで(?)2019年5月1日をもって日本は新しい元号「令和」となったわけだが、この5月1日という日はモータースポーツファンにとって忘れられない日でもある(文中敬称略)。

1994年5月1日、F1サンマリノGP(※1)決勝、アイルトン・セナイモラサーキット(この呼び名は通称で正式名称は「アウトドローモ・インテルナツィオナーレ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ」。…長い)のタンブレロコーナーを曲がり切れず(ステアリングシャフトが折れてハンドル操作が利かなくなった、とも言われている)コンクリートウォールに高速で激突、マシンが大破するクラッシュが発生(レースは直後に中断)。大破したマシンのパーツがヘルメットを貫通して頭部に致命傷を与えていた。それでも事故現場で緊急の救護が行われ、その後医療用ヘリコプターで病院に搬送されたが、その甲斐もなくセナは天に召された(※2)。セナは国葬で葬られ、その様子はブラジルのテレビで生中継された。ブラジル国民は悲しみに包まれ、「セナに会いに行く」と言って後追い自殺(というのかな?)をした人も出たとか

このレースはF1史上に残る──「最悪」と言ってもいいかも知れない──「悪夢の週末」として語り継がれている。まず金曜日の予選1日目(当時は予選が金・土の2日制だった)走行中にルーベンス・バリチェロが縁石に乗り上げてマシンが大ジャンプして金網に激突する、という大事故が発生鼻骨骨折という大怪我を負うが命に別状はなかった。
続く土曜日、予選2日目にローランド・ラッツェンバーガーヴィルヌーヴコーナー(タンブレロコーナーの次にある高速右コーナー)を曲がり切れずにコンクリートウォールに高速で激突してマシンが大破、という大事故が発生。頸椎骨折、内臓破裂などでほぼ即死だった、と言われている。この事故でラッツェンバーガーが死亡したと聞いた時セナは泣き崩れて床に倒れ込んだ、と伝えられている。また翌日に大破したセナのマシンには(ラッツェンバーガーの祖国)オーストリアの国旗が搭載されていた(レース後に追悼の念を込めて掲げようとしていた)という。
日曜日、レース決勝当日。スタート時にエンストしてしまったマシンに後続のマシンが追突し大破、マシンのパーツの一部が観客席前のフェンスを飛び越えて観客が負傷する、という事態に。この事故により(破損したマシン等の撤去の為)セーフティカーが導入、5周を先導した後6周目からレース再開。…あの事故はその次の周回(つまり7周目)に起きた。
中断されたレースの再開後、レース終盤でピットでタイヤ交換を行ったマシンからリヤタイヤが外れ、他チームのピットクルーを直撃して負傷者が出る、という事故も起きている(当時はピットロードでの制限速度がなかったので「外れたタイヤ」もものすごいスピードで飛んで行ったという)。
…このように1つだけでも珍しい事故が立て続けに発生している。もしこの世に悪魔とか死神とかが実在するとしたら間違いなくあの日あの場所にいたに違いない(※3)。

セナの事故によってそれ以外の事故の事、特にラッツェンバーガーの事故死の印象が弱くなってしまった(※4)が、この週末の惨劇は当時を知る関係者やファンにとって決して忘れられない出来事である。自分もこの事故の様子をテレビで見ていて(※5)かなりショックを受けた記憶がある。
そしてこの事故から5月1日で25年である。今F1に乗っているドライバーの中には「この事故の時まだ生まれていない」人も増えてきた。時間というものはあっという間に過ぎていくものなんだ、という事を痛切に(?)感じる出来事である。

P.S. この記事は4月27日(香龍会に出発する前)には書き上がっていた(1ヶ月くらい前から「5月1日はこの記事を」と決めて書いていた)ので、「この記事を書いていたがために香龍会参加録が遅れているわけではないので御了承のほどを(笑)。


※1…F1は「1国につき1年1開催」が原則であるが、イタリアでは1981年~2006年まで本家(?)のイタリアGP(モンツァ)以外にもサンマリノ共和国から「名前を拝借する」形で2開催を行っていた(1980年は「イモラサーキットで」イタリアGPが開催された)。このような「隣国や地域名をGP名に使って1年に2回開催」は時折行われており、日本でも2004年・2005年に「パシフィックGP」としてTIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)でF1が開催され、本家(?)の「日本GP(鈴鹿サーキット)」と合わせて日本で年間2レースが行われた。

※2…公式にはクラッシュ直後に「脳死」したと見られる時刻=5月1日14時17分(イタリア現地時間)が死亡時刻とされているらしい。

※3…ドイツGPの開催地ホッケンハイムの「旧コース」(コースの大半が森の中を走り抜ける1周7km弱のコース)だった頃はホッケンハイムの森には魔物が棲む」とか言われていた記憶がある(雨中のレースで死亡事故が発生した事がある)。

※4…ラッツェンバーガーは前年まで日本をメインにレース活動をしていたため、日本のレース関係者にはその扱いの差を疎ましく思う人が少なくなかった。例えば後にF1ワールドチャンピオンになったジャック・ヴィルヌーヴ(1992年の全日本F3参戦時に知り合ったという)は

「ローランドとは親友だったが、セナとは会ったことすらない。何故親友を無視して赤の他人の死を悲しまなければならないのか」

とほとんど憤りのレベルのコメントをしている。

※5…F1中継の前に放送されていたスポーツニュース番組(タイトル忘れた)で現地の様子が緊急生中継された(当時の地上波中継は24時頃から「直前=日本時間で21時~23時くらいに行われたレース映像を放送時間に合わせて編集されたもの」が放送されていた)。