現在住んでいる部屋(正確には建物の全部屋)で2日ほどネット回線が不通になる、というトラブルに巻き込まれた。そのせいでブログを書けない時間ができてしまった(※1)。
最近はやたらと『IoT(Internet of Things、平たく言えば「世の中の様々なものをインターネットを介して操作・制御する事」)』という言葉(概念)が流行っているみたいだが、いざ今回のようなトラブルが起きると場合によっては「その人のライフラインが断たれる」事態にもなりかねないのでは、と思った。ただでさえ今は「ネット環境がある事を前提とした社会」になっているというのに。
ましてや普通の(?)ライフライン、例えば水とか電気とか言ったものは「備蓄」が可能だが、インターネット回線の「備蓄」なんて聞いたことがない(非常事態用の「予備の回線」を用意しておく、という手はなくもないが、よほど余裕のある人や企業でない限り非現実的だと思う)。生活におけるネットの支配率が高いほど「通常のライフラインを断たれるより深刻な事態」になると思う。
つまり「IoT」を導入するのにもっとも大事な事は「長期に回線が途絶えた時の備え」、別の言い方をするなら「それ(IoT)がなくても生活できる環境」ではないか、と思う。
…たった2日の「ネット無し生活」でいろいろ考えさせられた(?)ものである。
前回も書いたように浜松市内での上映がないので浜松からJRで磐田駅(※2)→磐田駅から遠鉄バスで「TOHOシネマズららぽーと磐田」へ。途中いろは坂のような道を上っていく時は「一体どこに行くのだろう…」と思った(小高い丘の上にあるのでどこかで坂を登らないといけない)。
平日に行ったのでそんなに混雑はなかった。客層は年配の人が多かった。そりゃ亡くなられたのが20年近く前の事なので若い将棋ファンの中には「名前すら知らない(最近になって初めて名前を聞いた)」なんて人がいても不思議ではない。
…将棋が絡む作品を見る時に「ダウトを探しながら見てしまう」のは自分でも度し難い悪癖である(笑)。この映画は部分的に事実を基にしたフィクション(どこがそうなのかは伏せておく)が混じっているのでそれはダウトに含まないとして…
…見つけてしまった(笑)。「実際のプロの対局では絶対にあり得ない事」が。詳しい事はまだ書けないが、もしかしたらこのダウトは答えだけを示しても将棋界にあまり詳しくない人にはそれがダウトであるという事がわからないかも知れない。
そういう話はこのくらいにしておいて(笑)、村山九段に限らず「余命わずかという人を題材とした話」というのは時折見かけるが、こういう話を書く(映画などにする)のは非常に難しいように思う。何故なら「作家はその人の立場を体験できない(想像するしかない)」から。病状によっては「擬似体験」できるものもあるが(例えば24時間目隠しをする事で「目の見えない人」の疑似体験ができる)、「余命」というのは今流行りのVR(ヴァーチャルリアリティ)を使ったって再現できない(笑)。
もちろん伝聞や想像で書ける部分もあるだろうが、やはり体験者でないと理解(表現)できない部分も多いと思う。先ほどの話ではないが「突然ネット環境を断たれた生活」は「物心ついた頃からネットが空気のように存在している人」には想像がつかないかも知れない(同様に自分にはそういう人がそういう事態に陥った時にどういう反応・行動に出るか、という想像もできない)。
もっとも「何が何でも現実に忠実」なのもかえってリアリティやダイナミズムに欠ける、という事もあるようなので(※3)、変な言い方になるが「完璧ではない脚本(や演出)」のほうが観客受けする、という事なのかも知れない。この作品もあえて部分的にフィクションを交えた事で村山九段の人物像がわかりやすく表現できた、と言えなくもない。…原作を読んでいない自分が言えた事ではないかも知れませんが(笑)。
現役中に病気で亡くなった棋士の「亡くなる直前」の対局には時折名局・名手が出てくる。例えば大山康晴十五世名人の「▲6七金」、花村元司九段の「△1七銀」、真部一男九段の「幻の△4二角」… 村山九段だと癌摘出手術(※4)直後の順位戦B1の丸山忠久七段(当時)戦を挙げられる事が多い。この将棋は終局が翌1時43分、173手の激闘の末敗れたが(この期の丸山七段は「史上初のB級1組全勝」を果たしている)、病苦に耐えながらの将棋とは思えないほどの激闘・名局として語り継がれている。
…偶然にしては出来過ぎている、と感じた人もいるかも知れない。普通に考えたら名局・名手以前に「将棋を」指せるような状態ではないのだから。だからと言って「将棋の神様が下りてきた」というのも違うような気がする。ここに名前を出した棋士は「死」というものを目前にして(※5)改めて「自分の命の意味」と向き合い、それは「棋士として最高の将棋を指す事」という同じ答えにたどり着いた結果ではないか、と思う。…自分なんかが書くと非常に安っぽい話になってしまいますが(笑)。
最近は映画に関連したグッズを上映している映画館で販売している。聖の青春だとストラップ(本人揮毫の扇子のミニチュアが付いている)やブックマーク、そしてハンカチ。
大きさは約45cm四方でこのように実際に通常サイズの駒を並べて将棋を指せるサイズになっている(※6)。この手のグッズは実用性が考慮されていない(ハンカチにしても「色落ち・色移りしやすい」)事が多いが、このハンカチはなかなか「使いで」があると思う。例えば詰将棋の会合とかで… 当然ながら駒は付属していませんが(笑)。
…布盤を馬鹿にしてはいけません。かの升田幸三実力制第4代名人も「夜は音を立てないように布盤を使って研究をしていた」と言いますから。
※1…以前はメモ帳(テキストファイル)に下書き→記事作成ページに貼り付け→細かい手直し、という手順で書いていたのだが、最近は記事作成ページの自動保存機能を使っている。…作成前だったら以前のやり方に戻せば(「記事の作成」に限って言えば)問題なかったのだが、間の悪い事に(?)半分ほど書いたあたりでの回線ダウンだったために…
※3…詳しい事は忘れてしまったが、かつて時代劇で剣道の有段者が殺陣の演出を(細部にまでこだわって)担当したらかえって視聴者に分かりにくくなってしまった、なんて事があったらしい。
※4…当初村山九段は「子供が作れなくなる」と言って手術を拒否していたが、同様の(膀胱癌の摘出)手術を受けた経験のある男性と会って体験談を聞いた事で手術を決断したという。…これもやはり「体験者」の言葉の重みだと思う。もし医師や両親の説得だけだったら「●ンタマ取った事のない奴に何が分かる!」とキレていたかも知れない(映画内での村山九段の言動を見るとそんな気がした)。
※5…花村九段が癌の告知を受けたのは「△1七銀」の後(この対局の4日後に突然倒れ、搬送された先の病院で知らされた)だが、その少し前に雪道で転んで腕を骨折した、などの事象から花村九段の「直感」は既に自分の体の異変を感じ取っていたのではないか、と思われる。