本題に入る前に「次の一手」。
ちなみにこの対局(の棋譜)については及川六段よりブログ等への掲載許可を頂いております。
「次の一手」と言っても、ここで自分(DJカートン)が指した手を当てろ、という企画ではない──そもそもここで自分が指した手が最善手だったとは思っていない──ので、「俺ならこう指す」という手を考えてみて下さい。そしてもし良ければブログのコメント欄にその手を回答していただけると幸いです(一般的な?考えと自分の考えとの「ズレ」がわかるので)。なお、ここで自分が指した手(とその後の進行など)は後日掲載予定。
前回の記事をアップした直後に荷造り、チェックアウト、JRに乗って錦糸町駅に行きWINS錦糸町で中山大障害の馬券(予想は前日に済ませておいた)を購入、再びJRに乗って両国駅へ、駅前の○高屋で昼食を取って両国将棋囲碁センターに到着、と、20日の午前中はほぼノンストップの進行(笑)。
センターには既に12面の盤に初形が並べられていたが、今回の指導対局参加者の中に「マイ駒」とでもいうべきか、自分の駒(駒箱・駒袋つき)を持参された方がいたのには驚いた。その駒はNHK杯で使用される物と同じ仕様(書体)の彫り埋め駒だった(※1)ので、
「対局の中継でもあるのかな?」
と思わず天井を見上げたが、当然ながら(?)天井にカメラは設置されていなかった(笑)。
この駒は一時期将棋連盟の売店(オンラインショップ)でも扱っていた(15万円くらい)ので、これを持っている事自体は不思議でも何でもないのだが、その駒はよく見ると(自分はそこから遠い席に座っていたのでハッキリと見たわけではないのだが)成駒の文字(「と」や「竜」など)が表の文字とは別の色(紫?)になっていた(NHK杯で使われる駒は表も裏も文字の色は黒)。どうやら特注品らしい。
指導対局の多面指しと言うと大抵誰かは駒落ちの王道?と言える「二枚落ち」を指しているのだが(8月の森下九段の指導対局=3面指しでも二枚落ちの人はいた)、及川六段の指導対局(6面指し)は6人中自分を含めた4人が「飛車落ち」、二枚落ちはゼロだった。「こんな事もあるんだなぁ」と思いながら「お願いします」と頭を深く下げて対局開始、及川六段の初手△3四歩が指された。
鈴木環那女流二段の指導対は局自分の席から遠かった&自分の対局が始まっていたのでそこまで気にする余裕がなかったのだが、「振り駒」という言葉が聞こえてきたので平手で教わった方がいたようである(勿論ダメなんて事は言いません)。またセンターHPの写真で見る限りこちらは「二枚落ち」の指導対局があったようである(「二歩突っ切り」定跡が写っている写真があった)。
自分の対局は自分が居飛車党という事もあってか飛車落ち定跡の中でも特に有名な右四間飛車定跡を選んで進む(そして冒頭の局面に至る)が、自分以外の飛車落ちの対局をチラッと覗くと下手の駒組みはまさに「四者四様」。こういう事があるから将棋は面白いのだと思う(…どういうこっちゃ)。
以前ここで「これを聞かずに今回のリベンジマッチを語るなかれ」というような核心に迫った話を期待、なんて書いたが、 …ありました、そういう話が。ただどちらかと言えば「これを知っているとより大晦日(リベンジマッチ)を楽しめる」という類の話、というほうが正確かも知れない。例えば今回のリベンジマッチを行うに至った経緯とか。
当然ながらそれをここで書くわけにはいかない。ただもしかしたらニコ生内で島九段、あるいは森下九段本人からそれについては語られるかも知れないので、わざわざ自分が偉そうに書く意味はないと思うが(笑)、当日聞くのと事前に知っているのとではやはり見方というか「構え方」が違ってくると思う。
…今「森下九段本人から」と書いたが、今回の対局は「秒読み10分」なので、対局者本人が対局中(考慮時間中)にニコ生に出演する事も可能だろう、との事。対局者が対局中に大盤解説に出演するなんて前代未聞… いや、過去に1回(※2)あったはず。
そういう意味では今回のリベンジマッチは我々が想像しているものと随分と「趣」が違ったものになりそうである。
島九段は今回がニコ生初登場(本人がそう仰っている)となる。自分はその時間(1330まで)は普通に住之江に居るのだが…(苦笑)
「森下さんに頼まれたので」出演に踏み切った、との事だが(他の解説者も基本は森下九段の人選らしい)、出演の条件として
「 」
を要求した、との事(これはまず間違いなく当日本人から語られると思う)。 …人によっては「何を馬鹿な」とか「意味ないじゃん」と思うかも知れないこの条件、自分には島九段の気持ちがわかる。何故なら自分がそういう立場だったら間違いなく同じ事を言う(条件を出す)だろうから(ちなみにその「条件」自体は全然難しいものではない)。
リベンジマッチの話に連動して、かはわからないが、過日行われた「電王戦タッグマッチ」についての話もされた。
ネット上では「つまらなかった」という意見が大勢を占めているようだが(自分もそう思う)、何より対局していたプロ棋士自身が「やっていてつまらない」と感じていたそうである。
森下九段はAブロック決勝(中村太地六段戦)で「お互いのCOMが止まってしまった」終盤の50手くらいが一番面白かった、と言うし、高橋道雄九段にいたっては
「 」
としみじみと呟いたそうである。そんな内容だから「電王戦タッグマッチ白紙撤回」なんて噂が立つのも不思議ではないと思う。 …しまった、この噂の真相を聞くのを忘れた!(笑) もっとも聞いても答えてくれたかわからないけど…
森下九段門下の増田康宏新四段の話も少し出た。
第41期棋王戦の予選の1回戦で島九段と当たる事になって
「ここはきつ~いお灸を据えてやって下さい」
という森下九段の言葉(3回ほど繰り返された)に会場爆笑。ちなみにこの対局が増田四段にとって「対プロ棋士」のデビュー戦となるそうである(※3)。
解説された対局は
いずれも総手数150手を超える熱戦で、特に終盤のねじり合いは自分レベルでは一度解説を聞いたくらいではわからない(説明できない…※4)のと、合間のトークがいつもながら非常に面白かった(それを記録するので手一杯だった…)ので、対局内容については割愛させていただく。ただ、お二方の「ここはこう指したほうが明快だったのでは」という順の解説を聞いていると
「何が起こるかわからないからプロ(人間同士)の対局は面白い」
という事がよくわかる(2局目は「後手必勝」と言えるような将棋がひっくり返ってしまった…※5)。これがCOM(タッグマッチを含む)だと終盤のミスがほとんどない=序盤で定まった形勢でそのまま終わってしまうので、よく言われる「棋譜の精度」を論議する以前に「出来レース」を見せつけられているような気分になってしまう。「最初のターンで8割~9割決まる」と言われるボートレースでも道中のデッドヒート・逆転劇はあると言うのに…
そういう話はひとまず置いておいて、今回の「トーク」の中から差し障りのなさそうな話(?)をいくつか抜粋。例によって対局の解説中に突然話が変わるので「大盤が全く(時に10分以上も)動かなくなる」のはしょっちゅう。しかしそれもこの解説会では『定跡』である(笑)。自分を含めてこの順位戦解説会の常連はそのあたりを十分に弁えているようである。
「人に恨まれたり憎まれたりするような事をするな」
しかしその時の対局相手が「不愉快な人」だとその気持ちが乗り切らない時でも
「こいつに負けるわけにはいかない」
とくすぶっていた心に火がついてしまう。普段なら諦めてしまうような局面でも粘ってやるという気にさせてしまう。そういう(自分にとってマイナスとなる)状況を作るな、という戒めだそうである。
「若い頃は順位戦の制度が憎くてしようがなかった」
業界に詳しい人なら分かると思うが、順位戦の昇級争いはそれこそ「1つ負けたら1年が終わる」事もあるくらい熾烈である。森下九段や島九段のようにC2でつらい経験をされた人にとっては特にその想いが強いのだろうと思う。
その一方でベテランになると「順位戦は既得権の塊」である事を切実に感じるという。同じ大棋戦でも竜王戦は「昇級もしやすいが落ちる時もあっという間」なので(羽生名人や渡辺二冠も竜王失冠の翌年度に2組に降級、という憂き目に遭うくらいである)、順位戦とは真逆の「既得権の欠片すらない棋戦」である、とも。
「改革しようにもどこから手をつけたらいいのかわからない」
ネット上では時折「順位戦の制度を変えるべきだ」というファン(?)の声を見かける。プロ間でも実際のところ順位戦の制度(の細かいところ)に不満?を持っている人は少なくないそうだが、理事である島九段をしてそう言わしめる、つまりそれくらい微妙な(外部の人間には計り知れない&うかつに手をつけると一気に崩壊しそうな)バランスで順位戦は成り立っているのだと思う。
例えば今から20年以上前に「降級点を『4人に1人』にする(現状は5人に1人)」という案が出たそうだが、当時の若手棋士が猛反対したのが棋界に広がって結局は御破算になった、という話があったそうである。
「そんな事をしたら世界(囲碁界)が殺伐とするぞ」
「自分が10代20代の頃は『普及を考えた事が1秒もなかった』。とにかく目先の1勝が全てだった」
この言葉の「自分」は森下九段の事。今は「東竜門」「西遊棋」という若手棋士の主催によるイベント(普及活動)が盛んだが、当時の若手にはそういう感覚が希薄だったという。そんな状況を危惧したのが故・米長邦雄永世棋聖の
「お前らは先人の遺産を食い潰しているだけだ」
という言葉かも知れない。
「自分が指すと勝率6割、他人が指すと勝率2割」
随分昔に聞いた話になるが、例えば柔道の技。「背負い投げ」などの見た目は派手でわかりやすい大技でも、それを綺麗に決めるにあたってはちょっと見ただけではわからない実に細かい「コツ」(力の使い方とか相手の崩し方とか)があり、そして同じ技でもその「コツ」は人によって随分と違う(その先生の所でないと教われない「コツ」がいくつもある)という。
角交換振り飛車も同様で、見た目(基本的な駒組み)はわかりやすい(?)一方で、その裏には藤井九段にしかわからない細かい「コツ」──それこそ「秘伝」と言ってしまってもいいかも知れない──があるんだ、という事を言いたいのではないか、と思う。
他にもこういうところにはとても書けないようなオフレコな話を交えて当初の終了予定だった1630を「予定通り」(笑)1800頃まで延長された解説会、その最後には「森下卓九段サイン本争奪ジャンケン大会」(勝手に命名)が行われた。
提供されたのは「矢倉をマスター」が3冊。参加者の数人──その中には自分が含まれる──は既にこの本をサイン付きで持っているとの事だが、今回はその人たちも参加で、という形になった。
…なんと自分が勝ち残ってしまった(笑)。冷ややかな視線を浴びたわけではないが、非常に申し訳ない気分になったのは否定しません。そんな罪深い?事があったから帰りのJRが止まった(ダイヤが乱れた、前回記事を参照)のかも知れない(笑)。
…中山大障害の馬券(見事に撃沈)とどちらが当たってほしかったか、って? それは難しい質問ですねぇ…(笑)
以前鈴木環那女流二段に自分が使っている財布について
「可愛い財布ですね」
と言われた事があるが、この日の帰りしなには自分が使っている「旅行カバンの○○○」についても聞かれた。
…そんな事を言われた(聞かれた)事なんて今までなかったので非常に驚いた&戸惑った。島九段は鈴木女流二段の事を「実に細やかな気配りができる方」と仰る事が多いが、こういう事があるとそれを再認識させられる。
「○○○って何?」って? 別に何でもいいじゃありませんか(笑)。
※1…その駒が写っている写真が両国将棋囲碁センターのHPに掲載されています。
そのページには自分の対局姿も写っているのだが、こうして見ると
「自分も対局中に妙な仕草をしているんだな」
と思い知らされてしまう(こういう写真でもない限り自分の対局姿を第三者目線で見る事はないので)。
※2…2005年の瀬川晶司アマのプロ編入試験で試験官を務めた神吉宏充六段(当時、当日はピンク色のスーツ上下を着用していた)が対局中に階下で行われていた大盤解説に「出演」して現局面についてのコメントをした、という事があった。
※4…後ろ2局は名人戦棋譜速報でコメント付きで棋譜を見れるが、3局目の最終盤、1筋の端歩の有無(による先手玉の詰むや詰まざるや、詳しくは同対局の最終手のコメントを参照)なんかはそこで改めて棋譜を見ても自分には難しすぎてよくわからない(他人に説明できない)。
※5…後手玉が俗にいう「銀Z(斜め後ろに利く角・銀以外なら何枚渡しても詰まない状態)」の形からあえて△7七銀と放り込む(銀を相手に渡す)という心理的に指しにくい手を逃しての逆転(控え室の検討では「銀1枚だけ」なら渡しても詰まないので後手勝ち)だった、という。
COMには「心理的に指しにくい」なんて要素はありませんからねぇ。