DJカートン.mmix

他人に完璧を要求するのは質の悪い潔癖症のようなものだ。

渾名は無礼?

通勤中の車内で詰パラを読んでいる(詰将棋を解いている)時にもっとも思考の邪魔になる要素はクラクションでも急ブレーキでもなく、「○いん!」という着信音である、と思うようになった(当然ながら自分の電話から発せられる着信音ではない)。

 

6日の対局で藤井聡太二冠が敗れ、連勝が19で止まった。…正直結果についてはどうでもいい(それこそ「八冠取りたきゃ勝手に取れ」というような感じである)のだが、自分が気になった、というか気に障ったのは「地球代表」という文言がネット上を飛び交っている事。ファンなら多分知っているであろう深浦康市九段のニックネーム(?)であるが(由来は聞いた事があったと思うが覚えていない)、自分はこの手のニックネームが好きになれない。正確に言うなら将棋(プロ棋士)に限らず「ネット発祥のニックネームが嫌い」。将棋界でその走りとなったのは「ひふみん」だろうか。

「ネット発祥のニックネーム」というのは概して「無礼に聞こえる」ものが多いように感じる(あくまで個人的な印象)。おそらくは「本人に直接会わずに感じた印象」から誰かが名付けたのだろうが、そのニックネームを「本人を目の前にしても同じ印象を抱ける・堂々とその名で呼べるのか?」と考えた時に「これはアカン(無礼)やろ」と思えるものが少なくない。深浦九段の「地球代表」もどこか人を小馬鹿にしたようなニュアンス、とでもいうのか少なくとも「褒め言葉」のようには聞こえない(あくまで「自分は」)。もっともそういった「無礼に聞こえるニックネーム」にも本人が容認、あるいは公認のニックネームもあったりするが、たとえそうであっても自分は棋士を(ネット発祥の)ニックネームで呼ぶ気にはなれない。

 

自分は「ニックネームを付けられるのが嫌い」である。幼少期に賜った(?)渾名にロクなものがなかったので、その後も一見普通の(?)渾名でも「何か裏があるのでは?」と勘繰る(=渾名を忌避する)習性がついてしまっている。…別にニックネームなんてなくても不便じゃないし、そもそも「DJカートン」というペンネームがニックネームのようなものだし。

…でも考えてみると古代の中国とかでは「ニックネームで呼ぶのが当たり前」「名前で呼ぶのは無礼」だったんだよな、と考えてしまう。今の中国にはない制度だが、当時の中国(などの漢字圏)では成人すると「姓+名」に「字(あざな、言わばニックネームのようなもの)」がついて通常は「字」「姓+字(『諸葛孔明』など)」「姓+役職(『劉豫州』など)」「字とは別の渾名*1」などで呼ぶのがルールだった【*2】。

時代によっては「避諱(ひき)」と言って、当人の名だけでなく祖先の名にあたる漢字の使用を避けた*3】とか、特に皇帝の名にあたる漢字に関しては日常生活でも使う事を憚った例も少なくない【*4】。…もしかしたら当時の人は親しい人でも名を知らない、なんて事があったのではないだろうか。

他にもイタリアでは(他のヨーロッパ圏でも?)「マックス・ビアッジ」「フランキー・デットーリ」みたいに渾名(本名を縮めたもの、前者は「マッシミリアーノ」、後者は「ランフランコ」)が公式に認められている(公式の文書とかで普通に使われる)事もあるし、どうやら自分のように「渾名に負のイメージを抱く人」の方が少数派なのかも知れない。…むしろ望むところ(笑)。

*1:関羽はその風貌から『髯殿』、典韋はかつて存在した豪傑の名から『悪来』、など。

*2:…にも関わらず、劉備は度々他人(臣下でない人)を名で、しかも「名だけ」で呼んでいた(例えば呂布を「布」という感じ。これは相当無礼な呼び方らしい)とも言われている。

*3:例えば諸葛亮の子孫が「亮」の字を名や字に使うのを避ける、という感じ。諸葛亮の子孫にそういうルールが実在するかは知りませんが。

*4:例えば前漢に「相邦」という役職名(宰相とほぼ同じ)を漢の高祖劉邦の諱を避けて「相国」と改名したり、西晋の時代には司馬師司馬懿の長男、西晋を建国した司馬炎の伯父にあたり「景帝」と諡号)の諱を避けるため「軍師」を「軍司」と呼んだ、とか。また蜀の武将「呉懿」についても正史では司馬懿の諱を避けて「呉壱」と表記されている。