藤井聡太七段に「待った」を疑わせるような行為があった、とかで俄かに盛り上がって(?)いる。
問題の局面は下図。
実際の着手は△8九飛であるが、その前に△8六桂と指そうとしてやめている。記事本文には
残り時間の少なかった終盤、藤井は持ち駒の「桂馬」を指そうとしたが、すぐに戻して「飛車」を着手した。
とあり、また中継のコメントにも
藤井がかなり慌てた手つきで飛車を打った。その前に8六に何か駒を打とうとしてやめたようにも見えたが。
とある。
1.手番の藤井聡太七段は駒台から桂馬を掴んで「△8六桂」と着手した
2.その時「一瞬指が駒から離れた」(ように見えた)
3.その直後何かに気づいたように(※1)桂馬を盤から取り上げすぐに「△8九飛」と着手した
…問題となっているのは2.の「一瞬でも指が駒から離れた」後に別の手を指している、という事。ルールでは「駒から指が離れた時点で着手完了と見なす(言い換えると「離れていなければ手を変える事ができる」)」ので本来なら「待った」に当たるはずである。
…なのだが、この件を議論するにあたっては「多くのプロ棋士が持っている『癖』」について把握しないといけないと思う。
癖1.着手を終えた後、その駒を指で軽く触れて駒の向きを直す。今回の藤井聡太七段の所作もこれであろうが、これをやるとどうしても「指が駒から一瞬(以上)離れてしまう」事が多い。
癖2.A地点からB地点へ駒を成る時、まずA→Bへその駒をスライドさせた後、そこで駒を持ち上げて駒を裏返して着手する。この時に「指が駒から一瞬離れてしまう」事がある。
癖2.はその直前の手「▲9五角成」を例に言うと
・(龍を自分の駒台に置いて)6二の角を9五に(生角のまま)スライドさせる
・そこで「一瞬指を離して」角を持ち直し馬に成る
という事である(ちなみにこの時の増田康宏六段はそういう所作ではなく、「先に角を裏返して」▲9五角成を指している)。
…一見今回の件と関係ない事のようにも見えるが、この所作は捉えようによっては「▲9五角不成」と指したものを「▲9五角成」と変えた、つまり「待った」をした、というようにも解釈ができてしまう、つまり今回の「疑惑」と同じような指摘をされる可能性があるのである。
…しかし、自分が知る限りではこの癖2.の所作について「待ったではないのか?」というクレームがあった、という話は1つも聞いた事がない。この所作はNHK杯や銀河戦で1年に何回も見られるので、もしクレームがあったら今頃もっと騒がれているはずだから。実際はどう解釈されているのかわからないが、おそらく癖2.の「一瞬指が離れる」というのは「着手までの一連の所作の中の動作」として問題ないと見なされているのかも知れない。
…だが、仮にそうだとしても今回の藤井聡太七段の所作はとても「着手までの一連の所作の中の動作」とは見えない。つまり「△8九飛と着手する」所作の中に「△8六桂と着手しようとしてやめる」という動作が含まれているわけがないのである。だとするとやはりたとえそれが大多数の棋士の癖であっても「一瞬でも指が離れた」という事実(だと思う)を重視した判断が下るべきではないか、と思う。今回は「ルール違反ではない(マナーの問題)」という判断が下されたが、2005年の銀河戦で今回と酷似した所作を行った加藤一二三九段は「罰金(対局料没収)」と「次期銀河戦への出場停止」というペナルティを科されているわけだし、いかに人気・実力ともに兼ね備えた棋士であっても違反に対する「忖度」があってはならないと思う。
…ただ、「増田派」の自分の口からそれを強く言うのはどうも憚られるのだけど(笑)。
それにしても「待った」疑惑をかけられたのが「新旧の最年少棋士」というのは偶然だろうか。…自分はそうではないように思う。将棋を指す方ならそのほとんどが一度は
「着手が終わって駒から指が離れた直後にその手が悪手である事に気が付く」
という事を経験した事があると思う。我々凡人でも1秒以内に気づく(事がある)くらいだから、史上最年少でプロ棋士になるような大天才となると指が離れるか離れないかというタイミングで、悪意のある言い方をするなら「『まだ指は離れていない』という主張が利くタイミング」で気づくのかも知れない。…もっともこの両者は頻繁に(?)「着手後にその駒を指で軽く触れて向きを直す」癖があり、それをやっている(本人は「まだ着手が完了していない」と思っている)間に悪手である事に気づく→今回の騒動の要因となっているのかも知れない。
…一見して何が起きているのかわからなかった(笑)。
先手玉は既に一段目にまで「イン」しているが、周りに守り駒(特にと金)がほとんどいない。一方の後手玉はまだ4段目、入玉までにはまだ遠い感じである。森下九段はここから▲8二桂成△3六龍▲4五銀に「△同龍」! 点数勝負ではなく一段目まで「イン」した先手玉を詰ましに行こうという、何とも豪儀な一手である。確か森下九段のA級1期目にも似たような将棋があった記憶があるのだが…
結果としては詰まなかったが、その過程で「3:1」だった大駒の数がいつの間にか「1:3」に逆転、点数も「20:34」にまで開いている(※3)。その後も自陣の駒を順次敵陣に逃がし、午前1時56分(他の対局はその2時間以上前に全部終了している)、24点確保を望めなくなった門倉五段が332手で投了。…お疲れ様です。
※1…「何か」というのはおそらく△8六桂を▲同馬と取ったら△8九飛と王手馬取りをかけるつもりだったと思われるが、▲8六同馬と取った手が王手なので飛車を打つ事ができない、という事に気づいたのだと思われる。