DJカートン.mmix

それって早い話「金儲けのための忖度」って事では。

動画から連想した事

前回の記事に合わせて動画をアップした時にふと
「そう言えば最近は変な(悪質な)画像や動画を上げる輩が多いよなぁ」
と思った。つい最近も「店舗の冷蔵庫の中に入る」「夜中の線路に横たわる」などの奇行愚行の写真をアップする、というニュースが世間を騒がしたし(「騒がしている」と進行形で書くほうが正確か?)、タイミングがいいのか悪いのか前回の記事をアップした前後に動画サイト上では「爪楊枝男」が世間を騒がせていた(※1)。
…そういう輩に対して自分は呆れ果てて「言葉が出ない」と言うか「論評するのも馬鹿馬鹿しい(それこそ「それが仕事であっても」)と思う」のだが、それにしても最近頓にこういう輩を見かけるのは何故なのだろう、と思った方は自分以外にもいると思われる。「目立ちたがり」というのは今も昔もいるが、そのやり口が最近はどんどん幼稚化・下劣化しているとでも言うか…
例えばそれがきっかけで収入・仕事・名声といったものが得られると言うのなら理解できなくもないが、少なくともその手の画像・動画が「金を産む」とはとても思えない最近見かける(と言っても見かけるようになって優に10年以上は過ぎているが)「わずか数千円数万円のためにコンビニ強盗」という事件も(奪われた金額を考えると)相当割に合わないことをするよなぁ」とか思うのだが、同じ犯罪でも「割の悪さ」はコンビニ強盗等の比ではない(?)のである。

そう考えているとたまたま前述の事件を放映した番組で「その手の行為が横行する理由」の話があった彼等がそういった愚行に及ぶのは

「最近の若者は『人気がある』事が最高のステータスである」

思っている、というより「刷り込まれている」から、だという。
では何故最近の若者は「人気がステータス」なのか? 最近の学校教育で時折見られる「優劣付けの廃止」有名な(?)例だと「運動会の徒競走で手をつないで全員並んでゴールする(順位をつけない)」とか「学芸会で『主役』を作らない」とか。そういう意図的に「平等」を押し付けた教育が浸透した結果、子供達は

「人気(コミュニケーション能力)」という学校教育に影響されない(?)能力・特性でクラス間や同級生間に序列付け──スクールカーストと言うらしい──を作ってしまう

そしてこれが原因で(社会に出た後も)人気がある事がステータス」という価値観が浸透してしまうのだと言う。

別に人気が欲しいと思うのは悪いことではないと思うのだが、彼等の場合そこに「モラル」とか「羞恥心」とかいう要素が欠落しているのが度し難い。それについての説明はなかったが、おそらくスクールカースト」による差別やいじめがあまりに強烈なために今の若者世代の中では「人気」というステータスの価値が必要以上に高騰(?)しているそれこそ

「他人を傷つけてでも人気は得ないといけない」みたいな間違った価値観が浸透してしまっている

のかも知れない。言うなればこれも「ゆとり教育」の弊害というか副産物とでもなるのだろうか。
ここまで説明されれば彼等が前述のような奇行愚行に走る理由が想像できる。つまり彼等は「人気(注目)を集めるのに必死(?)」なのである。そういう行為に走る理由の一端が本人以外にあると思うと何だか哀れでもあるが、だからと言って同情する気にはなれない(何せやっているのは「犯罪」だから)
そう考えると(「人気」の価値が高騰しすぎないように)学業や運動などで厳然と格付けを作った(優劣をつけた)ほうが、もっと言うなら「クラスの全員が何かしらの要素でトップに立てる」くらい沢山の格付け要素を作ったほうがいいのではないか例えば「将棋や囲碁が強い事」という格付け(教育)の一部門が自分の学生時代にあったら今頃はもう少しまともな(?)性格に育っていたと思うのだが…(苦笑)
ちなみに最近耳にする「最近の若者がトイレで食事をする」と言うのも同様の理屈で、
一人で食事をしている(所を見られる)→友達がいない(と思われる)→人気がない(と思われる)のが恥(あるいは悪)
という考え(思い込み)からの行動だという。

…自分はどうだろう。自分がこのブログを立ち上げたのは一言で言うなら「(仕事の)きっかけ作り」なので現時点で効果はほとんどない、それ以前にそういう内容にも見えないが…)、どうせなら人気はあったほうがいいとは思うのだが、「あり過ぎ」も考えものだと思っている。
仮に今自分(あるいはこのブログ)に10,000人のファン(?)がついたとして、その全員が「自分を支持してくれる人(※2)」だったらいいのだが、悲しいことに(?)絶対そうはならないのが「不特定多数の人間の集団」というやつである(全員を洗脳すれば話は別かも知れないが…)。つまり10,000人のうちの何割かは「一時の話題」で食いついた人とか、酷いものになると「出る杭を叩く機会をうかがう為に寄り添っている」輩もいたりするパレートの法則(※3)」に倣うならそういった「見せかけのファン」は全体の8割にも及ぶという。
もっとも自分は子供の頃から今に至るまで「人気のあるほうではなかった」し、
「8割の人間に嫌われても残り2割の人間を大切にしていきたい」
というとある方の言葉に感銘を受けた人間なので、支持率が低いことに対する不安も不満もない──言い換えるなら「人気」という要素にさほどの価値観を抱いていない──が、自分は非常に打たれ弱い性格なので(笑)ファンが多くついた事による不穏分子の「絶対数」に耐えられるか、という不安はある。だからと言って2,000人の「上客」を大切にするためには残った8,000人を「排除」するというわけにもいかない(※4)。現在は読者の絶対数が少ない(※5)ので不穏分子の数も気にならないが、この先どうなるかはわからない(想像できない)。

…それにしてもたかだか1本のゲーム動画から「柄でもない」話に進展してしまったものである(笑)。


※1…18日の7時半頃にJR米原駅で身柄を確保された。「警察は無能」とか大言を吐いた割には随分あっさりと捕まったものである。

※2…必ずしも自分の作品を批評する人=支持しない人、ではなく、賛否両論問わず最低限の礼節を持って(呼び捨て、タメ口などを使わずに)接してくれる人が「支持者」。

※3…イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが提唱した
「全体の数値の8割は全体を構成するうちの2割の要素が生み出している」
という説。例えば
「ビジネスの総売上のうち8割は全顧客のうちの2割(の上客)が生み出している」
ので、これに倣うなら「不特定多数のファンのうち『真のファン』は2割しかいない」という図式が成り立つ。他にも
「一つの業界の平均年収(例えばプロ野球だったら2014年の年俸平均は約3700万円)を超えている人は全体の2割」
「売上のうち8割は全商品銘柄のうち2割のものが生み出している(自動車メーカーがわかりやすい喩え)」
などがこの法則に当てはまる。

※4…働き蟻の集団のうち実際に「働いている」のは全体の2割ほどで、「働いている2割」と「怠けている8割」とでそれぞれ別グループに分けるとそれぞれのグループ内で「2:8」が出現する(前者のうちの8割が「怠け」、後者のうちの2割が「働き蟻」になる)、という実験結果があるそうである。
つまりどうでもいい(?)8割の客を「排除」すると残った2割の上客が「2:8」に分かれてしまう事になる。

※5…現在は基本的に「(詰将棋おもちゃ箱経由で)将棋に興味のある人」がほとんどなので。