「杉森建の仕事」を読んでいると不意に
「彼女(クインティ)達を携帯の待受画面にしたい」
という気持ちになった。そこで、その気持ちに従って(?)寝る時間を惜しんで「加工作業」を始めてしまう(笑)。具体的には好きな絵をスキャナーで撮って倍率その他を調整して… 結果として携帯の待受だけでなく「PCの壁紙」も作ってしまった。
「個人での利用」なので法律(著作権)上の問題はない…はず(ここでその出来栄え?を披露するのは「個人での利用」の範囲を超えてしまう可能性があるのでできない)。
「…こりゃまた見事に暴走しているなぁ」
と自分でも思う(笑)。
この話を杉森先生が知ったらどういう顔をするのでしょう…(苦笑)
もしこれで自分に絵心(そういう技術)があったらもっといろいろな事をやっていただろうな…
先日の東京優駿(第81回日本ダービー)は皇太子さまがご観戦されたが、「優勝馬(ワンアンドオンリー)」「騎手(横山典弘騎手)」「馬主(前田幸治氏)」の3人(?)の誕生日が全て2月23日でしかも皇太子さまのそれと同日、という事で話題になっている、のだが…
皇太子さまは貴賓室のベランダに立ち、約14万人の観客と一緒にファンファーレに手拍子された。
・・・(以下略。ニュース記事から抜粋)
自分はレースの結果や偶然の一致ではなく、
「皇太子さまが観客と一緒にファンファーレに手拍子された」
という事に少なからずショックを受けている。
GⅠのファンファーレに合わせて観客が手拍子を打つ。競馬ファンにしてみればお馴染みの、人によっては「当たり前の光景」と思われるかも知れないが、この光景(行為)は世界的に見るとかなり異質で異様な光景だと言う。
馬というのは音に敏感な生き物なので、突然の大きな音に反応して入れ込んでしまう(興奮してペースを乱す)事がある。それを防ぐために競走馬は「メンコ」という耳を覆う馬具を着けることが多い(※1)が、それでも外からの音を完全に遮断するのは無理である。
そんな中でのスタート前の数万人の手拍子である。馬にいいわけがない。つまり競馬の理想(レースの公正性の確保)で言うならこの手の手拍子や歓声は間違いなく「アウト」である。中でも東京優駿(や優駿牝馬、ジャパンカップ)が行われる東京芝2400mのスタート地点はスタンドのすぐ前&コースのほぼ中央。もっとも手拍子や歓声の被害(?)を受けやすいレースである。
近年「ジャパンカップに海外の有力どころが参戦しない」事が問題視(?)されているが、海外の陣営がジャパンカップを敬遠する(同じ遠征だったら同時期の香港国際競走を選ぶ)理由のひとつとしてこの「スタート前の歓声・手拍子」があるらしい。つまり「本来ならあるはずのない手拍子(ヨーロッパの競馬にはそもそもスタート時のファンファーレがない)」でその馬の力を出し切れずに終わる可能性を嫌っている、と言うのである。
日本国内でもあの手拍子をやめて欲しいと思っている関係者は少なくないと思うのだが、「それも競馬を構成する要素(そこで勝ってこそ王者)」と考えているか、「今更どうにもならないのでそれ(手拍子による入れ込み)を前提にして馬を仕上げている」(要は半ば諦めている)のかも知れない。
言ってしまえば「ファンの教育」「ファンのモラル」の問題になるのだろうが(例えばゴルフでショット時に手拍子を打つ人はいない)、あるいは「ファンファーレが手拍子を打ちやすい曲である」事も要因かも知れない。
もしこれがJ・GⅠ(障害のGⅠ)のファンファーレのような「テンポが早い上にリズムが取りにくい曲」だったらまた違っていたのかも知れない。なのでジャパンカップ専用の、あるいは海外の馬が参戦してきたレースでは「手拍子を打ちにくいファンファーレ」を導入する(思い切って「ファンファーレなし」でもいいかも知れない)、なんてのはどうだろう。 …ま、あんまり変わらないと思うけど(笑)。
…しかし、このような事を気にする(ファンファーレにあわせた手拍子に苦言を呈する)ファンはおそらく稀である。特にあまり競馬を知らない人だと「そうやってレースを盛り上げるものなんだ」と思って周りに合わせて(つられて?)手拍子をしてしまうのもある意味仕方ないと言える(※2)。(その気持ちを忖度するのは非常に僭越だが)おそらく皇太子さまも同じように思われたのかも知れない。
…「何故誰も止めなかった(事前に説明しておかなかった)のだろう」、と思う。この報道がきっかけでますます日本の競馬が異質なものに見られてしまう可能性がある、なんてのはさすがに考え過ぎですか(笑)。
…辛気臭い話(?)はこのくらいにして、最後に同日放送のNHK杯について。
戦形は手損のない角換わり。解説の森下九段は「正統角換わり」という表現をされたが、ネット中継などでは「純正角換わり」「0手損角換わり」などと表現される事もある。要は「1手損角換わり」と区別できていればいいのである。
出だしにちょっとした変化球。初手から▲7六歩△8四歩▲2六歩△3二金▲7八金△8五歩▲7七角△3四歩▲8八銀。通常の角換わり定跡手順ではここで△7七角成▲同銀と角交換して△4二銀… と続くのだが、塚田九段は角を換えずに△4二銀。先手から▲2二角成と交換させようという手。
実際先手の飯塚七段は▲2二角成と換えたが(ここで換えないと後手に△3三銀などで角換わりを避けられてしまう)、先手の角は8八から7七→2二と2段階で移動している、つまり2手損している…ように見える。しかし、後手の金も3二から2二→3二と2手掛けて元の位置に戻っているので、結果として手の損得は±0で落ち着く(通常の手順より総手数は2手伸びる)。仮に後手が3二金と戻さなければまるまる2手得となるのだが、先手が棒銀などで端から攻めて来ない限り2二金の形が生きる事はまずない(※3)。
この手順の意味は… 自分には全く分からない。何せプロ棋士間でも「(この手順の)意味がよくわからない」と言われるそうなので。今回はNHK杯の解説(あまり時間がない)という事でこのあたりの変化は簡単に済まされたが、もしこれが「順位戦解説会」だったらこの手だけで10分以上は話が続きそうである(笑)。
戦形は23年前の竜王戦七番勝負で自身が指した形(ただし9筋の端歩の突き合いあり)という事で、当時の対局の指し手なども交えた解説が続く。
「羽生名人は解説者が解説しやすい形を選んで指す」
なんて都市伝説(?)があるが、もしかして(角換わりの後手番は珍しい)塚田九段も…?
「棋士の方はみんな自分の指した将棋を全部覚えてらっしゃるんですね」
という清水女流六段の問い(そう思っているファンは多い)に森下九段は
「それは神話です」
とキッパリ否定。
「大事な将棋(勝負の度合いだけではなく、定跡の将棋という意味)、大事な局面は覚えていると思うのですけど、全部覚えているというのはコンピュータではありませんから…」
「将棋にも絶対知らなければいけない変化から知っておいたほうがいい変化、それから知らなくてもほとんど関係ない変化といろいろあるんですよ。ですから、絶対覚えておくべき変化は忘れないんですけど、まぁ覚えておいたほうが多少得かなとか、まして覚えてなくても関係ないでしょう、という変化はやっぱり忘れますね」
皆さんも「重要な事」「印象の強い事」などは20年以上前の事でもはっきり覚えている事があると思う。自分も3日前の仕事の内容を思い出せない一方で「杉森建の仕事」に収録された「コミック・クインティ」の中で「連載時とセリフが変わっている」箇所を発見したくらいである(※4)。コンピュータのように全ての記憶を均等に平等に、とはいかないのが人間である。
全体の感想を述べると、ここ数年の森下九段の解説の中ではかなり「難しい」解説だったと思う。これは角換わり腰掛け銀という「定跡を知らずに指すと一番酷い目に遭う戦法」のせいかも知れないが。
※2…自分も初めてGⅠを現地観戦した時はそういうものだと思って周りと一緒に手拍子をしましたが(笑)、2回目以降の現地観戦では周りがどれだけ盛り上がっていようとファンファーレに合わせた手拍子はしなくなりました。
※3…壁形で玉の動ける範囲が狭くなるし、先手としては後に▲2二歩と打って後手陣を乱す手がある(自分から1手と一歩を使わずとも向こうから形を乱してくれている)ので、2二金の形はかえって「お手伝い」になってしまう可能性もある。
※4…自分の記憶では「120頁の1番左下のコマ」「136頁の最後のコマ」のセリフが変わっている(実物を確認していないので保障はないです…)。
…何故こんな事(20年以上も前の漫画のコマのセリフ)を覚えているのだろう、と自分でも不思議に思うのだが、とりあえず「彼女達への思いの強さ」という事にしておいてください(笑)。