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それって早い話「金儲けのための忖度」って事では。

桂雀松改メ三代目桂文之助襲名披露公演

先日20日に題名のイベントを見に東京まで行ってきた。
「それって何?」と思った方もいるかも知れない。漢字ばかりずらずらと並んでいると分かりにくいので途中にスペースを入れてみる。
桂雀松 改メ 三代目 桂文之助 襲名披露公演
「『桂』とあるから落語?」と思った方もいるかも知れない。…正解です。

自分は落語を聞くのが好きである。きっかけは学校行事で見た寄席(だと思う)。その時の主任(※1)は三遊亭小遊三(敬称略、以下同様)だった事はよく覚えている(演目は忘れた…)。
それ以来自分は機会があると落語をよく聴くようになる例えば飛行機(特に理由がない限りJAL)に乗ると機内放送は落語(JAL名人会)しか聞かない最近はNHKで毎週日曜14時から(2013年4月以降。それまで何度か時間帯が変更されている)放送されている日本の話芸」を欠かさず見ている(ただし落語以外の放送の回は見ない)。
本当は寄席とかにも行きたいのだが、なかなか自分の都合とかみ合わない…

その日本の話芸でたまたま知った噺家が「桂雀松(かつら じゃくまつ)」。
噺家は大抵の場合高座に上がると「しばらくの間お付き合い願います」と挨拶するのだが、雀松はその後に
「毎度申し上げるようですが、お付き合い願うと申しましても、皆様方と結婚を前提としてお付き合いするわけではございませんので、一つ安心して聴いていただこうと思います」
と続ける(のが定番)。そしてコミカルでアップテンポな(?)語り口。その時の演目は「替り目(かわりめ)」(『替わり目』と書かれる場合もある。雀松の得意演目の一つ)。
それまで「桂雀松」という噺家を(「替り目」という噺も)知らなかったが、この放送を聴いて一発でほれ込んで(?)しまった

桂雀松(三代目桂文之助)という落語家について簡単に説明。
1974年(兵庫県立兵庫高等学校3年の夏休み)に二代目桂枝雀に入門が許され(※2)、翌年3月高校卒業後に正式に入門。南光、雀三郎に次ぐ三番弟子となる。
「雀松」という名前は船弁慶の「雀のお松」にちなんで大師匠の三代目桂米朝命名(※3)。
ニックネームは彼の大きい頭を象徴した「あたまっちゃん(枝雀が命名)」。
「入門する(内弟子になる)に際し彼の大きな頭が通れるように枝雀宅の玄関の拡張工事が行われたなんて伝説があるとかないとか。
2003年3月、噺家として史上初となる「気象予報士」の資格を取得。これを活かしてつかみで「前線」の話をする事がある。
「…え? 雀が止まってる所? それは電線でございます」(…すみません、パクリました

最近だとネット上に色々な落語(の動画)が落ちている(?)のだが、どういうわけか桂雀松の落語はあまり落ちていない最近でなくとも落語のCD・DVDはいろいろ出ているのだが、どういうわけか桂雀松のものは見かけないあまり知名度が高くないのかな、などと考えたりもした。
それなら高座を見に行こう、と思っても(雀松に限らず)上方の噺家は基本的に関西圏でしか寄席をやっていないので、交通費なんかを考えるとちょっとねぇ…(本当に「ほれた」のかよ、と突っ込まれそうだが…
ちなみに前述の「替り目」は録画して今日までに優に100回は聞いている(笑)。

そんな折、桂雀松が2013年10月に83年ぶりの復活となる「桂文之助」の三代目を襲名する、というニュースが入ってくる(発表があったのは2012年12月)。
…が、そう言われても今ひとつピンと来ない(苦笑)。調べると初代桂文之助は初代桂文枝門下の「四天王」の一人(※4)で上方の大名跡、という事くらいしかわからない。
襲名披露公演を全国(と言ってもほとんど西日本)で行う事も発表され、「これは是非とも行かねば」と公演日時の発表を心待ちに。
…で、今年の夏頃に発表された予定と会社の休みをすり合わせた結果、行けそうなのは唯一の東日本(東京)公演の日のみであった東京公演の3日前(11月17日)に前述の日本の話芸に「三代目桂文之助」として出演されたのは偶然でしょう(演目は「口入屋」)。もちろん録画して何度も聴いています(笑)。

本当は帰宅直後にでも書くべき話だった(日が経つと公演の内容を忘れてしまう)のですが、帰宅直後に疲労で爆睡&翌日にひいた風邪のせいで今日まで書けませんでした…
なので一部うろ覚えの(実際の公演内容と違う)可能性がある事を御了承下さい。

自分は前日から東京入り。事のついで(?)で音ゲーが縁で知り合った知人と会ったのだが、こちらは完全にプライベートなのでその話は書けません。
当日、迷いながらも開演5分前に何とか会場の「渋谷区文化総合センター大和田」に到着実際は渋谷駅西口から徒歩5分ほどという場所だったのだが、自分は違う改札口から出て延々と彷徨う有様。やっぱり自分のような田舎者にとって東京は迷路である(ちゃんと場所調べておけよ…
出演者は前々から発表されており、東京公演の出演者は桂雀喜(文之助の兄弟子桂雀三郎の弟子、今回の口上の司会も務めた)、桂南光笑福亭鶴瓶三遊亭円楽桂ざこば、そして桂文之助の6名(演者順に記載)。

実は寄席を直に見る(聞く)のは前述の「学校寄席」以来。それこそ何年前の話か忘れてしまうくらい昔の話ましてや襲名披露公演(口上)なんてのは初めてである。
その「口上」は主役の文之助を差し置いて(?)言いたい放題やりたい放題(笑)。特にこばと鶴瓶の掛け合い(ほとんど口喧嘩?)はそれが一つの演目(と言うよりコント)であるかのようだった。
もっとも「差し置いて」と言っても、「披露」される本人は基本的に何もしゃべらない(頭を下げて両手を突いて舞台最前列のあたりをジーっと見つめている。途中自分と目が合ったような気もする…のが襲名披露口上の「スタンダード」らしい(違っていたらすみません)。さすがに本人(文之助)の話をほとんどせずに出演者同士の皮肉を言い合うのはスタンダードではないと思うが…(笑)
ちなみに鶴瓶はドラマ「半沢直樹」で使った「ネジ」を披露(?)していた(※5)。

落語は口上に出演した6名が1席ずつ(公演によっては口上のみ、落語のみ、の出演者もいる)。
…恥ずかしい事に(?)その6席全てが初めて聴く話。桂南光が演じた「いたりきたり」(※6)とかは創作落語なので仕方ないとしても、三遊亭円楽が演じた「猫の皿」や桂文之助が演じた「片棒」すら初めて聴くだなんて落語ファンとして失格かも知れない(笑)。
しかし、落語というのは予備知識なしでいきなり聴いても楽しめる(予備知識が必要な場合は大抵「枕」として説明してくれる)ものだと思う。最近のバラエティは予備知識(主に最近の流行)を知らないと意味不明なものが多すぎて…

笑点メンバーは笑点に出演する時とそれ以外(普段の高座など)では全くキャラが違う
なんて事を耳にする。笑点に限らずテレビ番組(最近はネット動画も含まれる?)でのイメージというのはとかく印象に残りやすいものであるが、今回出演した三遊亭円楽笑点で見せる「腹黒」のイメージはなく(※7)、口上も落語も(自分が言うのもおこがましいかも知れないが)「研ぎ澄まされた端正さ」を感じさせるものであった。

公演は滞りなく進み、いよいよ主任の桂文之助が壇上へ。後ろの方から「待ってました!」の掛け声が何度か飛ぶ。この日のために色々と段取りを組んでいた(文字通り「待ってました」)ので、いっその事自分も声を掛けようか、なんて考えていたが躊躇してしまった(笑)。
今回も前述の「挨拶」で始まる。何回も同じ事(ギャグ?)を言われると飽きる、なんて人もいるかも知れないが、自分の場合はこの挨拶(つかみ)を聴く事で
「これから『文之助ワールド(?)』が始まるんだな」
という安心感みたいなものが湧く。ちなみに文之助の「つかみ」は3段階(?)に分かれていのだが(前述の「前線」の話もその一つ)、テレビだと放送時間の都合その他でその一部がカットされる事が多い。自分が文之助のつかみの完全版(?)を聴いたのは今回の披露公演が初めて。
演目は先ほども書いたように「片棒」。吝嗇(りんしょく、=ケチ)で名の知れている大商人が「もし自分が死んだら葬式をどのようにするか」を3人の息子に聞く、という噺。

…ありきたりだが、「とても楽しかった」「また文之助の高座に行きたい」という感想しか書きようがない。こういう芸事と言うのは実際にその場で見て(聴いて)もらわないとその面白さが伝えられない。まさに「百聞は一見にしかず」である。
…しかし、先にも書いたが基本的に文之助の高座は関西圏なのが(金銭的に)つらい。何かついでの用事(ボートレース住之江か尼崎…?)でもあれば喜んで(?)行くのだが…(苦笑)


※1…最後の演者。「トリ」と言う方が一般的だが、語源が語源(ギャラを「取る」から)なのでここではあえて「主任」と表現します。

※2…中学卒業と同時に桂枝雀に弟子入りを懇願するも、「高校を卒業してからでも遅くない」と一度断られている。

※3…枝雀から「また弟子をとることにしました」と切り出された時に「船弁慶」の話で盛り上がっていたから、だと言う。
正式入門する前にもかかわらず名付けられており、しかもその直後(まだ入門前)に「雀の会(枝雀一門の勉強会)」の前座として出演している。

※4…他の3人は
初代桂文三(後の二代目文枝)→現在の桂文三は五代目
二代目桂文都(後の二代目月亭文都)→現在は七代目月亭文都
初代桂文團治→四代目没後空き名跡
二代目文之助は初代文之助門下だが、三代目文之助は遡ると初代文團治にたどりつく。

※5…自分はこのドラマを見ていないのでこの「ネジ」がどういう代物なのか分からない。
この「ネジ」は襲名披露公演初日(10月6日、大阪)にも持ってきていたようで、その時はざこばによって客席に投げ入れ(捨て?)られたらしい(東京ではそういう事はなかった)。

※6…枝雀が作った落語で南光曰く「枝雀自身生涯で3回しかやった事がない」とか。

※7…笑点では特に桂歌丸と円楽が「やり合う」シーン(そこから生まれる「二人は犬猿の仲」というイメージ)が有名だが、その発端は若手時代にネタに困っていた円楽に歌丸が「自分の事をネタにしてもいいから」とアドバイスした事から。
実際は二人会などでの共演も多く、特に6代目襲名時には(既に亡くなられていた5代目圓楽に代わって)その後見人を引き受けるなど自分には父が3人いる(実父・師匠の5代目圓楽歌丸)」と言わしめるほどの間柄。