先日久々に落語を聴きに行ってきた。17日の「権太楼・枝光二人会」。桂枝光が主宰する平成開新亭は今年で18周年だという。18年前=2005年は何をしてたかなぁ…と振り返る。…思い出せない(笑)。
落語に詳しい(多くの演目を聴いた事がある)人ならわかるかと思うが、噺の中に出てくる人物の半分くらいは「アホ」である。…アホならまだいいが「ヤバい」奴も少なくない。
「ヤバい」奴に該当するのは主に「酔っ払い」か「クソガキ」。この日の演目だと「住吉駕籠【*1】」に前者が、「真田小僧【*2】」に後者が出てくるし【*3】、他にもこいつらが出てくる噺は少なくない。
落語に出てくる酔っ払いは大抵の場合現実社会でいうところの「モンスターカスタマー」であり、クソガキの方はこのまま成長したら九分九厘「屁理屈大王」か「犯罪者【*4】」のどちらか(どちらであっても有益ではない存在)になるだろうな、という「腐れ外道」【*5】。もし自分がこの手のクソガキが出てくる噺(真田小僧もそうだし、それ以外でも「初天神」とか)を演じるとしたら策(?)を弄して駄々をこねてきたところを
やかましいわ、このクソガキゃ!!
と出せる限りの大声で怒鳴り飛ばす【*6】かも知れない。
どちらも「現実社会にいたら迷惑この上ない」存在であり(迷惑どころか下手すりゃ犯罪者である)、言ってみれば「フィクションだから許される」存在であり聴いている方も「フィクションだと分かっているから笑える」のだと思う。…ただ自分はこの手の人間、特に後者は「フィクションでも存在を許せない」ので、こういうクソガキが出てくる噺はフィクションだと分かっていても聴いていて腹が立ってくるし(勿論噺家のせいではない)、どんなに頑張っても上手く演じる事ができないと思う。…でもこの手クソガキが出てくる噺は多くが前座噺、つまり「入門して最初(の方)に覚える噺」だと思うので、極論すると自分は「(前座噺もまともにできんのか、と)師匠から破門されかねない」性格なのかも知れない。…別に噺家になりたいわけじゃないけど。
*1:江戸落語だと「蜘蛛駕籠」。出てくる地名以外は基本的に同じ噺。
*2:クソガキが父親から占めて「六文」を巻き上げる事を真田家の家紋「六文銭」にかけている事、また親がクソガキを真田幸村と比べる話をするところから『真田』小僧、という題名らしいが、話し手によっては真田幸村のくだりは省いてしまう事もある。
*4:真田小僧(を全部演じた時)のラストは「六文銭って何?」とか言って親がそれを表すために出した六文を「並べるふりをしてその金を盗んで逃げていく」、というサゲである。
*5:勿論落語に出てくる子供にはこういったクソガキとは雲泥の差である「子供らしい」子供もいる。
*6:そう叫んだ後に「…と殴り殺してやりたくなるようなクソガキですが、ここで彼を殴り殺したら話が進まなくなってしまうので・・・」という感じで話を戻す、なんて演出をしそう。