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それって早い話「金儲けのための忖度」って事では。

待ちに待った?対局

11月9日放送のNHK杯将棋トーナメントは森下卓九段と深浦康市九段の故・花村元司九段門下の同門対決。個人的には2014年で一番見たかった対局である。
対局決定から随分待たされた(※1)一方で「結果だけわかっている対局」を見るというのも妙な感覚である。
…と、その前に、将棋連盟のHPでは10月中頃から「年度成績」「通算成績」が「未放映のテレビ対局は除く」とされ、通算成績から未放映のテレビ対局の結果を導き出す事ができなくなっている今回放送の対局も、対局翌日(10月7日)には両者の成績にカウントされていたが、前述の方式になると同時にその分が減算されていた(放送後に改めてカウントされている)。それだけ未放映対局の結果をネット上で言いふらす輩が横行している(事に対する防御策)のだろうか。

今回の解説は島朗九段。この対局の解説役は(森下九段と親しい)島九段か同じ花村門下の窪田義行六段以外はありえないと思った。これで棋譜読み上げが鈴木環那女流二段だったら「三役揃い踏み」だったのに、と残念に思っている人は全国の将棋ファンを探しても自分を含めて数名しかおるまい(笑)。

戦形は相掛かり。この両者の対局なら島九段の予測のように相矢倉が本命だったのでやや残念(そう思った人は自分以外にも大勢いると思う)。自分は居飛車党ながらあまり相掛かりに縁が無いので(※2)将棋の内容よりも島九段の解説(トーク?)のほうに注意が行きがち(笑)。

・「恩返し」について
森下九段は弟子の増田康宏新四段に修行時代から
「自分(師匠)を負かすのではなく自分を負かしている人達を負かすのが恩返しである」
と教えているという。世間では特に相撲界の影響からか前者を恩返しと考える風潮(?)が強いが、少し考えれば「将棋界では師匠も一選手」なので負かされて嬉しいなんて人はいないはずである(おそらく囲碁界とかもそうであろう)。自分もこの話を初めて聞いた時には
「何故こんな単純な理論すら解らなかった(相撲的な考えに洗脳?されていた)のだろう」
と感心したものである。

・森下九段の理想について
島九段は「森下九段の理想は相手がわからないうちに優位を築く」と仰っている。

「始めは処女の如く、後は脱兎の如し」という言葉がある。兵書「孫子」からの一文(原文では「始めは処女の如く敵人戸を開き、後は脱兎の如く敵拒ぐに及ばず」)である。
簡単に言えば「準備は相手に悟られないように、実行は短期間で一気に」、つまり「相手がわからないうちに優位を築け」と言っている(ようなものである)。ちなみにここで言う「処女」は未婚の(≒世慣れぬ、初々しい)女性、という意味であり、性交の経験がない女性という意味ではない(※3)。
森下九段は修行時代の記録料で「中国の思想シリーズ」「史記」などを買い揃えたので中国史に詳しいという。となるとその流れから「孫子」も読んでいる(精通している)に違いない…と思う森下九段の棋風の受け将棋、厳密には「攻防共に万全を築こうとする(ので相手が先攻して来る)」のも孫子の一文
「善く戦う者はまず勝つ可からざる(不敗の態勢)を為し以って敵の勝つ可く(隙)を待つ」
に則ったものではなかろうか。

・「森下システム」について
この話が出てきた時は
「それをここで言ってしまうかねぇ~」
と思った(笑)。この話は8月の「解説会」に参加した人だけの特権(?)だと思っていたのに(ちなみにこの日「箝口令」がしかれたのは別の話)。

「森下システムは50:50の状況を作る戦法である」
「森下システムは『序盤から良くできる戦法だ』と思っている棋士が多かったが実は大きな間違い」
「森下システムは強い人が指すのは非常に有効だが、そうでない人が指すと順当に負けてしまう

…よくよく考えるとそういう戦法は他に無い、というよりそんな事を考える事自体がある意味おかしな事と言える。将棋の戦法・定跡を見るに、その全ては「自分を有利にする」という前提条件で開発・研究が進んでいる例えば「藤井システム」、穴熊に組まれる前に戦いを起こす=序盤から有利にしようという戦法の典型と言え、同じ「システム」という名称がついていながらその中身(概念)は全く別物である。
一体何をどうすればそのような戦法を考えるに至るのだろう、と思われるが、これは森下九段の修行時代のエピソードを知る(考える)と納得の行く話ではないか、と思う。
森下卓三段」の時代は今のような三段リーグが無く、二段以下と同様に例会の成績(9連勝か13勝4敗)で四段に昇段というシステムだった。そういうシステムなので三段だけでなく二段と香落ちで戦うという事もあった。そこで森下三段は「強い二段に(香落ちで)全く勝てなかった」という事で「生まれて初めて序盤の研究をした」という(何かの対談で「午前3時に起きて頭から水をかぶって目を覚まして勉強した」と仰っていたような記憶がある)。
とは言え、「香落ちというハンデ戦で序盤から優位にする」なんてのは物理的に不可能な話なので、「序盤を五分五分で乗り切って中終盤の勝負に持ち込む」ための研究をされた(それが実を結んで研究開始から半年ほどで見事9連勝で四段を勝ち取った)という。
この体験が森下システムの(というより森下九段の棋風の)基になっている、と考えれば合点が行かなくもない。世間では「序盤の大家」などと呼ばれる森下九段もその根底には「花村イズム」がある事が想像できるエピソードと言える。

・秒読みについて
森下九段は「9まで読まれるのを嫌う」「25秒まで読まれたらもう指さない(考慮時間を1分使う)」という。この辺のスタイルというか拘りは人それぞれだと思うが、自分は貧乏性(?)なのでついつい8や9まで使ってしまう。そして8や9まで読まれて指した手でいい手だった例がほとんどない(笑)。

・「将棋に無い手」という表現について
森下九段は時折このようなユーモア(?)を交えた表現を使う。中でも個人的にインパクトが強かったのは(プロだったら)対局料を没収される手」という表現。
自分が初めて聞いたのはNHKの将棋講座、その後NHK杯の解説などでも時折使っている。要は「途轍もなく悪い手」なのだが(基本的に序盤でしか使わないようだ)、そこを単純に「悪」という言葉を使わないのが森下流(?)なのだろう。

この手の「森下語録」を1冊の本にしたら面白いだろうな、なんて考えるのは自分くらいでしょう(笑)。

…肝心の将棋は島九段に「森下さん生涯の会心譜になるかも知れない」と言わしめるほどの形勢になる(結果だけ知っている自分は「何故この将棋が負けなの?」と思ってしまったほどである)が、そこから深浦九段の本領(粘り)が発揮される。
厳密にはそれでも森下九段のほうが良かったのかも知れないが、そこで「焦った」のか「手が広過ぎて迷った」のか「もっと良くできる」と思われたのか、下図の局面から△5六銀▲4四歩と進んだあたりからおかしくなる。中原誠十六世名人が
「パーでいいと思えばポカは出ない。バーディーを狙うからボギー以上を叩いて(ポカを指して)しまう」
とゴルフに喩えた話があるそうだがこの局面がまさにそういう状況だったように思われる。実際どのように考えていたかは将棋講座1月号を待つしかない(そのあたりに触れられていればいいのだが…)。
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133手目▲6七歩(合)を見て森下九段が投了。…嗚呼、来年も予選からか。
この対局(収録日)以降も1勝3敗と振るわない。もっとハッキリ言うなら「電王戦タッグマッチ2014」以降の成績が1勝7敗しかもその1勝を挙げた相手がやはり電王戦タッグマッチに出場した(森下九段と戦った)中村太地六段、と来たもんだ。
他の棋士はどうなのか知らないが(今度調べてみようと思う)、森下九段にとって電王戦タッグマッチは明らかに禍になっている(ようである)。

…その電王戦タッグマッチ(2016年から開始予定)がどうやら白紙撤回される、なんて噂があるらしいが、自分は基本的にこの手の噂は信じない質なので、何らかの正式発表があるまでは触れないでおこう。


※1…1回戦の収録日(5月19日?)から起算するとおよそ半年。

※2…勉強量(?)の軽減という意味で基本的に指さない(相手が志向して来ても△3四歩で拒否する)。なので24とかで横歩取らず(横歩取りの出だしで▲3四飛と取らずに▲2六飛と引く)を指されると非常に神経を使わされてしまう(という居飛車党のアマチュアは他にもいると思う)。

※3…本来は女性でも性交の経験が無い事を「童貞」と言うらしい(実際辞書で童貞の項を読むと「主に男性を指す」と書かれている)。それがいつの間にやら「未婚=(性交)未経験」というイメージから未経験の女性の事を処女と言う(男女で別の言葉を当てる)ようになったそうである。
だったら(未経験の)男も「処士(士官前の男性、という意味)」と言うべきだと思うのだが…