DJカートン.mmix

それって早い話「金儲けのための忖度」って事では。

詰将棋の名作をひもとく

作品が1作パズル誌に載ったくらいでブログの閲覧数が突然増えたりはしない。
 
…ぼやくのはこのくらいにしておいて(?)、今日の話は「詰将棋の名作」。
名作の基準は詰将棋に限らず人それぞれで、詰将棋の場合は「初形」「手順」「手数」「詰上がりの形」などが基準になる。人によっては「詰パラでの誤答率」を基準にする人もいると思う。
例えば詰パラ89年3月号に掲載された行き詰まり氏作の下図の作品。
詰キストにとってはあまりに有名な(?)作品なのだが、つい最近の週刊将棋(5月1日号)にも掲載されたので詰キストでない方でも見た事がある、という方もいると思う。
 
イメージ 1
この問題はたったの3手詰め(つまり王手を2回すれば詰む)なのだが、当時の解答者(詰パラに解答を送った人)183人中98人が誤答、誤答率53.55%というとんでもない作品。
これが将棋初心者が解答した結果というのならまだしも、この問題を解いた人(詰パラの読者)のほとんどは詰将棋を解く事に関しては完全に玄人裸足の人たち。その方々が挑戦した結果が誤答率53.55%なのでである。
正解は… あえて書かないでおきましょう。「引っ掛け問題」と言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、玄人衆が寄ってたかって(?)誤答しまくったという事実には違いなく、この作品はその年の看寿賞を受賞している(3手詰めの作品としては史上初にして現時点では唯一。5手詰めの作品が受賞したケースもない)。
 
この作品もある意味「名作」には違いないのだが、今回は詰将棋史上名作と呼ばれる作品の中でも「その作品(正解手順)を見て衝撃を受けた人が多い」と思われる2作品を紹介したい。
 
まずはこの作品。将棋をかじった事のある人ならほぼ全員が一度は見た事があるであろう詰将棋
古く(江戸時代)からある作品だが作者が不明で、そういう作品は「古作物(こさくもの)」と呼ばれる。
 
イメージ 7
 
文献によっては馬の位置が違ったり(2五や1六、反対側の7四、8五、9六にいる事もある)、5三の金が別の駒(銀やと金になっている場合もあるが、基本的に同じ作品である。
ある程度将棋を指せる人なら(それこそ町道場で7級とか8級とかいう人でも)一瞬で答えが分かってしまう詰将棋だが、将棋を覚えて間もない初心者がこの詰将棋を解こうとするととりあえずはいろいろな王手を試みる
例えば▲3三馬や▲2四馬と馬で王手したり、▲5二銀と打ち込んだり▲6一馬と銀を取ってみたり… しかし、
・▲3三馬(2四馬)には△4二歩と合駒すると詰まない。
・▲5二銀と打つのは△同銀右と取られると詰まない(△同銀左だと▲3三馬で詰むが)。
・▲6一馬と取るのは△同玉、以下▲6二銀△7二玉▲7三銀打△8三玉と逃げられてしまう。
…では一体どうすればいいのか。正解は▲5二馬とタダで取られるところに飛び込む手
 
イメージ 9
 
これに対する応手は2つある(どちらかの銀で取る)が、△同銀左と4一の銀で取った場合は▲4二銀、△同銀右と6一の銀で取った場合は▲6二銀と打てばピッタリ詰む(図は△同銀左と取った場合)。
 
イメージ 8
 
初心者のうちはこの詰将棋の▲5二馬のような大駒をタダで捨てるという手がなかなか思い浮かばないもので、それ故にこの詰将棋をなかなか解く事ができないし、解いた(答えを知った)時に
「将棋にはこういう手があるのか!」
という感動を覚えたり、そのまま将棋の世界にのめり込んだりもするのである。後にプロ棋士になった人でも(将棋を覚えて間もなくの頃は)この問題がなかなか解けずに悩んだ、という方もいるそうである。
 
以上は主に初心者が感動を受ける作品。もう一つは有段者(奨励会クラス)の人が感銘(というより衝撃)を受ける事の多い作品。
以前に少し書いた伊藤看寿による「将棋図巧」の第一番(最初の問題)である。
 
イメージ 10
 
あまりに複雑な(?)初形なので見るのも嫌になるという方もいるかも知れないが、別に「これを解いてください」というわけではないので、観賞の素材だと思ってお付き合いいただきたい(※1)。
ちなみに青文字で書いたのが正解手順。
 
初手は▲5四銀。ほかにそれっぽい王手として▲6六歩があるが、△同龍▲5四銀△7六玉で逃れ(△7五玉だと▲8四角成△8六玉▲6六龍で詰むのだが)。
▲5四銀には△7五玉と逃げ(△7六玉は▲6七龍以下早詰)、▲8七桂△8六玉(△7六玉は▲7七歩以下)。
ここで▲9五角成は△7六玉で打ち歩詰めになるので、▲6六龍と捨てて△同龍と取らせ▲9五角成△7六玉▲7七歩△同龍と取ってもらうことで打ち歩詰めを回避。以下▲同馬△8五玉で下の図。
ここまでは有段者なら比較的容易にたどりつけるようである(…自分はここまでもたどりつけなかったが)。
 
イメージ 11
 
問題はこの局面での次の手。
▲9五馬は△7六玉で▲7七馬△8五玉は千日手。▲3五飛は△7五歩くらいの合駒で逃れ。
▲8四飛は一見手筋で、以下△同玉▲9五馬△8三玉▲9二金△同歩▲8四歩△9二玉▲8一銀△9一玉▲8二と△同玉▲7二金△9一玉。ここで▲9二歩が打てればいいのだが打ち歩詰め
 
イメージ 12
 
将棋には「打ち歩詰めに詰みあり」という格言があって、打ち歩詰めになる場合は遡って手順を工夫すれば詰む事が多いのだが、今回の場合は▲8四飛以下はほぼ一直線で手順を工夫する余地がない。つまり▲8四飛は正解手順ではなさそうである。
 
さて、一体どうしたものか。故・米長邦雄永世棋聖は修行時代にこの局面(13手目、2つ上の局面)で1週間悩んだ、と著書に書かれているが、確かにここでの次の一手は既に答えを知っている自分が見ても相当深い読みかある種のひらめきがないと出てこない手だと思う。
 
…ここで読者を悩ませても意味がないので(笑)さっさと正解を書く。
次の一手▲1五飛である。
 
イメージ 13
 
もしこの局面を将棋初心者が見たらこれが詰将棋である事を忘れて「王手角取り!」と▲1五飛と打つかも知れないしかしこれは詰将棋なのである程度将棋を指せる人ならそんな駒得を目指すような手は普通考えないところがこの詰将棋ではこのような一見して初心者丸出しのような手が正解なのである。
一言で言うなら「小錦問答(※2)」の一手である。
この▲1五飛に対し、
・△8四玉は▲9五馬△8三玉▲8二金△同歩▲8五飛△9二玉▲8二飛成まで。
・△7五歩の合駒は▲9五馬△7六玉▲1六飛(王手角取りに打った効果が出る)△6六香▲8五角まで。
・△7五金(上記手順最後の▲8五角を取れるように)は▲同飛△同香▲9五馬△7六玉▲7七金まで。
・△7五香と移動して7四に逃げられるようにするのが詰将棋でよくある手筋だが、▲9五玉△7四玉▲9六馬以下(手順がややこしいので割愛するが)早詰&駒余りで詰む。
…ではこの局面での最善の応手はと言うと△2五飛である。
 
イメージ 2
 
この飛車は前述の最終手▲8五角を△同飛と取れるようにしつつ、▲同飛△同角▲9五馬△7六玉に▲7七飛とは打てない(△6六玉と逃げられる)、というからくりの一手である。
しかし、他に迫る手段がないのでここは▲2五同飛と取り、△同角▲9五馬△7六玉。そこでもう一度▲2六飛と王手角取りに打つ。ここでも△3六飛と飛車で合駒するのが最善。
 
イメージ 3
 
この飛車も先ほどのように(厳密には少し違うが説明すると複雑なので割愛)横の利きを受けに利かそうという手。ここも他に手がないので▲同飛と取り、△同角▲7七馬△8五玉▲3五飛△4五飛(先ほどの△2五飛と同じ理由)▲同飛△同角▲9五馬△7六玉▲4六飛△5六飛▲同飛△同角▲7七馬△8五玉で下の図。
 
イメージ 4
 
この局面と12手目の局面の違いがわかるだろうか。
…24手かけて後手の角が1六→5六に瞬間移動(?)している。ただ一箇所の違いであるが、これがこの詰将棋では大きな意味を持つ。
ここで前述の▲8四飛を決行する。以下△同玉▲9五馬△8三玉▲8二金△同歩▲7五桂△同香(△同銀は▲7三馬△9二玉▲8二馬まで)▲8四歩△9二玉▲8一銀△9一玉▲8二と△同玉▲7二金△9一玉
そこで先ほどだったら▲9二歩が打ち歩詰めだったが、今回の場合は一連の手順で玉方の角を5六に呼び寄せた事で▲9二歩△同角と取ってもらえる、つまり打ち歩詰めを回避できるのである(直前に▲7五桂△同香として角の利きを通したのも重要)。
 
イメージ 5
 
ここまで来れば後はそれほど難しくない。△9二同角以下は▲同銀成△同玉▲7四角△9一玉▲8二金△同玉▲8三歩成△7一玉▲6二馬△同玉▲6三銀成△6一玉▲7二と△5一玉▲5二成銀までの69手詰め、がこの詰将棋の正解である。
 
イメージ 6
 
最後はちょっと気取って「成銀」の文字を作ってみました。…が、出来が今ひとつっぽいのでもう二度とやらないと思います(笑)。
 
この詰将棋が後世の人間に感銘を与えるのは、かくも遠大で緻密で華麗な構想を持った作品が今から200年以上も前に作られたという事、しかもこれを作った時に伊藤看寿はまだ10代だったという事である(※3)。
実際に内藤國雄九段は12歳の時にこの作品に魅せられて詰将棋創作を始めたと言われるし、この作品(あるいは「将棋図巧」全作品)に感銘を受けてより将棋(詰将棋創作)にはまった、という逸話はよく聞く。
 
…このように、詰将棋には後世の人に多大な影響を与える作品がままあるのだが、一方の(?)ナンプレで「見る人を唸らせた作品」というのは聞いた事がない。
例えば何年か前に「世界で一番難しいナンプレ」なんてのが発表されたが、それを見て「感動した」という人を少なくとも自分は見た事も聞いた事もない(※4)。…もっとも、歴史の深さが全然違うパズルを同列で比較してもあまり意味がないのだが(苦笑)。
 
(※1)…奨励会からプロ棋士を目指そう、と志している人はそうも言っていられないが(以前も書いたように将棋図巧を解くのがプロになるための条件のようなものだから)。
 
(※2)…「小錦問答」というのは筆者の造語。
①大相撲の事を全然知らない人、②大相撲の事をそこそこ知っている人、③大相撲に滅茶苦茶詳しい人、に
小錦横綱になったか?」と質問をすると、
①「有名な人(力士)だから横綱になったんじゃない?(つまり「なった」)」と答える。
②「小錦大関までしか昇進していない」と答える。中には「自分が横綱になれないのは人種差別だからだ」という当時の発言(実際は本人ではなく付き人が言った事らしい)を得々と語る人がいるかも知れない。
③「初代の小錦は第17代横綱になっている」と答える。
…という感じの答えが返って来る。
正解は③の人が言う理由で「なった」が正しい(タレントに転身した大関小錦は6代目の小錦にあたる)。ちょっとした意地悪問題だが、この事から
「中途半端に持っている知識(常識)が先入観・固定観念となって正解にたどり着けない問題」
の事を「小錦問答」と呼ぶことにしている。…まぁ、このブログくらいでしか使わないと思いますがね(笑)。
 
(※3)…実際にこの第一番を作った時期はよくわかっていない(「将棋図巧」を献上したのは36歳の時)が、伊藤看寿は「13歳の時に600手を超える作品を作っている」と言われるので、10代でこの作品を作った可能性は十分に考えられる。
 
(※4)…検索すれば見つかるので問題図は割愛するが、普通に解こうとすると数字が2つしか埋まらず、そこから先はどうやって解けばいいのかまるで見当がつかない(複雑な理論をいくつも積み重ねて可能性を一つずつ消していかないと解けない?)ので、「遠大な構想に感動」する前に「それ以上マスが埋まらず諦める」人の方が圧倒的に多いと思われる。