文中敬称略で。
柳家権太楼(現在は3代目)という噺家について簡単に説明すると「手堅いネタでも会場を笑いの渦に包む爆笑王」(グランシップの広報誌より抜粋)。一般社団法人落語協会(※1)の常任理事や監事を歴任し、NHKの日曜朝に放送している「演芸図鑑」のナビゲーター=司会進行役(※2)を務めた事もある。出囃子は「金毘羅舟舟(こんぴらふねふね、略して『金毘羅』と言う場合もある)。…そう言えば以前ボートレース丸亀に行った時の事、ここでは発売締め切り5分前になるとこの金毘羅舟舟が流れるのだが(締め切り直前の曲やアラームはレース場ごとに異なる)、それが流れるたびに
「あ、ゴン様(柳家権太楼のニックネーム)が出てくる」
と、出てくるわけがないのに一人でそのシーンを想像してニヤニヤしていたっけ(笑)。
この日は出囃子が噺の枕に使われていて、「出囃子は二つ目から個人の物を持つ(選ぶ)ことができる」とか「噺家の葬儀ではその人が使っていた出囃子に乗せて出棺する」という話ははじめて知った。柳家権太楼と大学の同期だった三遊亭右紋という噺家が(2014年に)亡くなった時は「野球拳」の出囃子に乗せて出棺した、という話は笑っていいのかよくわからないエピソードである(この日の会場はそれで爆笑だったけど)。上方落語にも同様の慣習があるのかは分からないが、もしあるなら笑福亭笑瓶の葬儀では「魔法使いサリー」が流れる、という事になるのだろうか…
独演会(「ひとり会」と言う場合もあるが、その違いはよくわからない)と言っても本当に最初から最後までその人のみが出演する場合もあれば、前座やつなぎ(と言うのかな)として1人以上が出演する場合もある。自分は独演会に行ったのは今回が初めてだが、ネット上などで独演会の案内を見ていると後者の比率のほうが高いように思われる。今回の独演会も案内(パンフレット)には出ていなかったが、権太楼の6番弟子の柳家さん光(権太楼が二つ目の時に名乗っていた名前でもある)が前座(「新聞記事」を演じた)兼めくりを務めていた。どうでもいい事だが会場を見回してみたところ「明らかに自分より年下」という人は3人しかいなかった…
この日の権太楼の演目は「笠碁」と「唐茄子屋政談」。笠碁は以前にも聴いたことがある。それも本人のを(NHKの「日本の話芸」で)。
権太楼の笠碁の枕は「下町の路地を入ったところで指されている縁台将棋」から入る事が多い。「へぼ将棋 王より飛車を 大事がり(あるいは『かわいがり』)」という川柳は将棋好きなら一度は聞いたことがあると思われるが、
「…随分盤の上が寂しくなったねぇ。…お手は?(※3)」
『お手?! こんなんだ、こんなん(両手いっぱいに抱えた持駒を見せる)。俺ぁ将棋やってこんなに駒取ったの初めてだ。…えーと金銀3枚に、桂馬にきょうす(「香車」の訛り)、歩が4枚に…王様が一つ』
「そんなに取ったの? 金銀3枚に桂香に、歩が4枚に、王様が… 待てよ、俺の王がねえじゃないか。いつ取ったんだ?」
『さっきだよ。角でもって王手飛車取りってのを掛けた時だよ。そしたら「ドッコイそうは行くか」って飛車のほうがビャーっと逃げたんだよ。…取るもんないから取ったんだ』
「あの時か… いやあれから王手がかからないから楽な将棋だと思ってたんだが… お前の王もねえじゃないか」
『俺取られるの嫌だから懐に仕舞ってんだよ』
…落語でなかったら絶対に許されない将棋である(笑)。
休憩を挟んでこの日最後の演目「唐茄子屋政談」。「唐茄子(とうなす)って何?」と思った人もいるかも知れない(…自分は思った)。「茄子」とあるので(ナス科の植物としての)茄子の仲間かと思いきやカボチャの事である(※4)。上方落語では「南京屋政談」という題目になっている(出てくる地名・人名以外は基本的に同じ噺)が、この「南京」もカボチャの事である。
道楽の末に家を勘当された若旦那の「徳」、親戚にも友人にも見放され、「勘当されたら一緒になろう」などと言われて入れあげていた花魁にも「金の切れ目が縁の切れ目」と言わんばかりに見捨てられて頼るところを失い、3日間何も食べる事ができず進退窮まって橋から身を投げようとしたところをたまたま徳の叔父が通りかかって徳の自殺を止める。徳を家に連れ帰った叔父は徳に「明日から唐茄子を売って歩け」と言う…
…全部語るのに1時間くらい要する長編の人情噺である。なのでこういう場(つまり独演会)でもない限り「生で」「フルバージョンを」聞くことはかなわないと思う(※5)。
人情噺というと「芝浜」「文七元結」「火事息子」「子別れ」…他にもたくさんあるが(すぐに思いついたのはこれくらい…)、演者によってはほとんど笑いを取らず淡々と最後まで語る事も多い(それがいいか悪いか、という問題ではない)が、そこは「平成の爆笑王」柳家権太楼、こういう噺でも随所で笑いを取る事を忘れない。
あっという間の2時間だったが実に「濃い」時間だったと思う。こうなったら今度は桂文之助の独演会(ひとり会)だ、と行きたいところだが(笑)、生憎現時点ではその予定はないようである…
帰りの電車、見回すとイヤホンをしている人がやたら目につく。理由・目的はわざわざここで書くこともあるまい。そんな中自分もヘッドホンをかけている(イヤホンは「耳が痛くなる」ので使わない主義)。藤枝駅を過ぎたあたりではその車両に乗っている客のほぼ全員がイヤホン(かヘッドホン)をつけているという、ある意味「今の時代を象徴した」とも言える不思議な光景(笑)。だけどそれら乗客の中で「落語を聴いていた」のは多分自分だけに違いない(※6)。
※3…縁台将棋は持駒を駒台(あるいは盤のそば)に置かず手に持っているのが「よくある情景」。本来ならルール違反とまでいかなくてもマナー的にはかなり良くないので皆さんはちゃんと持駒は見えるところに置いてくださいね(そもそも持駒を長時間手に持っている方が疲れると思うのだが…)。
※4…カボチャはウリ科の植物なので分類上からつけられた名前ではなさそうだ。だけど見た目も味も大きく異なるカボチャをどうして唐「茄子」と呼ぶのか… ま、どうでもいいか。
※5…通常の(?)高座だと時間の関係で前半部分だけを演じる事が多いようである。「代書屋」なども同じことが言える。
※6…開演前に会場で売っていた権太楼の落語CD。…よりによって「笠碁」が収録されているものを買ってしまったのはどういう因縁なのだろう…(笑)