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それって早い話「金儲けのための忖度」って事では。

2019年4月29日の香龍会(の当日)

…当日。気が付くと6時過ぎには起床(隣で他1名氏が競馬の予想をしていた)。
目覚まし代わりに(?)5寸盤でフェアリー将棋を1局(ここで「相手の持駒打てる将棋」を指した)。…実に贅沢である(笑)。この時使用した盤は昨年末に修理に出した(皆で三輪碁盤店に持ち込んだ)もので、その時はマス目がかすれている上に「盤が反っていた」が、修理後は天面が完全に修復され、マス目もハッキリと盛り直されていた。「ここまで綺麗になるものなんだ」と2人で感心しきり。
朝食を済ませた後、自分はかねてからの予定どおり岡崎に向かう。関氏に車を出してもらって武豊線(※1)で大府→東海道線刈谷名鉄三河線で池鯉鮒(昔の表記)→名鉄本線で東岡崎。大府に着くと運良く(?)遅れていた新快速(浜松行)が来ていたので、それに乗る事で当初の予定より10~15分くらい早く岡崎公園に着く事ができた。
…が、それでも指導対局の受付は「1回目」の分は既に満席。「2回目」はまだ余裕があったのでそちらで受け付ける。
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…終了予定時刻が13時30分、そこから徒歩で東岡崎駅名鉄で名古屋→東山線で本陣、全部(乗り換えや本陣から中村生涯学習センターまでの時間も)合わせて1時間20分くらいなので香龍会到着は14時30分~15時くらいになるなぁ…と思った(ので他1名氏にメールで知らせておいた)。
受付はまず先着順に「整理券(先着順に1~36)」をもらい、後の受付時に整理券の番号順に希望の棋士を指定する(整理券の番号=上図の席番号、ではない)。…案の定と言うか女流棋士と杉本昌隆八段は早い段階で満席に。
自分はこの手の指導対局では「これまでに教わった事のない棋士を優先して選ぶ」事にしている(…と佐藤天彦名人のイベントの時にも書いた)が、今回は中田章道七段以外は教わった事のない棋士ばかり。杉本昌隆八段を第1希望(?)と決めて「満席になるな!」と心の中で祈る(笑)。理論上希望が通る事が確定した時点(※2)で心の中でガッツポーズ(笑)。

指導対局が始まるまで1時間くらいあったので公園内及びイベントを見て回る。同時進行中の「大会」はクラスがA~Dに分かれていて、当然ながら(?)レベルが違う。下のクラスを脇で見ていると「そうじゃないだろ!」と思わずツッコみたくなったり(笑)。
指導対局(1回目)の様子も見る。相変わらず(?)中田章道七段は二枚落ちだと「5三右金型☖5五歩止め」を用いている。以前も書いたが、よくある形は右銀を5三に繰り出して☖5五歩。駒落ち定跡書にも大抵載っている「上手の秘手」であるが、右の金を繰り出しての☖5五歩はなかなか載っていない(※3)。「正確に対応できれば5三銀型よりも下手が優勢になる」らしいが、その「正確な対応の仕方」がなかなか分からない(勿論自分も知らない)。

公園内には「からくり時計」がある。30分毎に文字盤の部分が開き、中から家康(だと思う)のからくり人形が出てきて能を舞う。途中懐から能面が出てきてそれを付けて舞う、というかなり凝ったからくりになっている(写真3枚目)。結構大きな音で「いよぉ~」という掛け声や鼓の音も連呼(?)されるので、すぐそばで対局(大会及び指導対局)している人にとって迷惑ではないのか、と心配してみたりもする。
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初心者向け詰将棋コーナー(正解者の中から抽選で粗品が贈呈された)。詰パラ読者だったら3問合わせて30秒で解けなきゃ嘘だ(笑)。
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物販コーナーもあったが特に何も買っていない(駒が印刷された「どら焼き」を買ったくらい)。佐藤康光九段の揮毫入りの1寸盤を売っていたが、価格を見る限り「榧盤ではないと思う」のでスルー(榧の1寸盤を6000円で買えるとは思わない)。
この画像に見える揮毫の「夷険一節(いけんいっせつ)「どんな時も自分の信念を変えず貫く事」という意味(一喜一憂の対義語とも言える)。「夷険」は土地の平らな所と険しい所、つまり「順境な時」と「逆境の時」の喩え。
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12時過ぎに指導対局が開始。上の方の画像にもあるが、女流棋士2名はその後「公開対局」があるために他より早く対局が開始している。自分は予定通り(?)飛車落ちで。隣では何か知りたい手順があるのか「平手」だったけど関係ない。

ここは両国イベントでないので棋譜や図面を堂々と(?)公開できる…と言いたいが、今回の指導対局堂々と公開できるような内容ではない(笑)。…けど恥を忍んで(?)一部アップ。よくある定跡形の右四間飛車から銀損(直後に桂の両取りで取り返したので実質は桂損)の突撃。
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ここから☗2三銀(2筋を突き合っているが故に打てた銀)☖3三角☗3五歩を見た杉本八段は「それは厳しいなぁ」。…自分では「これしかないので仕方ない」「あまり厳しいとは思っていなかった(部分的には厳しいのだろうが『遅い』と思った)。ちなみに☗3五歩で☗3二銀成と執拗に角を追うのは☖1一角と1筋の香車のやり取りを生かされ、以下☗2一成銀☖3三角で手詰まり。☖3五同歩は☗3四歩で勢いがつくので本譜は☖6六歩☗3四銀成☖同金☗同歩から飛車を成り込む。
ここから数手後、上手の反撃。
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実戦は☗6六角☖5四桂☗9一龍(一応詰めろ)☖6六桂☗同金☖2六角(詰めろ逃れの攻防手)と進んだが、同じ角を取らせるのだったら7七で取らせる、つまり☗6六角のところで☗9一龍、あるいは☗4三とや☗4四歩(個人的にこれが最善だったように思う)とすべきだったのかも知れない。その方が下手の玉形がしっかりしている(金が上ずっていない)上に攻めの手を1手多く指せているのだから。
その数手後、☗7七桂打に対する☖5七桂成の跳ね違いは完全に見落とし。
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とは言え☗7七桂(跳ねる)だと本譜同様の☗5七同金☖6八銀が詰めろになるので、結局のところそれ以前に問題があったのかも知れない。その☖6八銀の瞬間は詰めろでない(と思った)ので☗6五桂打と「最後のお願い?」を放ち、以下☖6九馬☗8八玉☖7九角☗9八玉☖5七銀不成はほぼ受けなし(あるいは「受けても一手一手」)なので☗7三桂成と突進。そこから数手進んだ局面で自分の手が止まる。
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「え~」
「う゛~」
「いや~」
「あれ~」
「分かんねぇ~」
「どうなってんだこれ~」

…諸々のうめき声がこだまする(笑)。すぐそばでからくり時計が騒いで(?)いたが全く耳に入ってこない。杉本八段は隣の対局の感想戦をしていたので考える時間は十分に(?)あったのだが答えが見えない。ここで指す手と言えば☗6五桂か☗5三龍のどちらかしかないが、どちらを選んでも1枚足りない(ようにしか読めなかった)。杉本八段も「☖5七銀不成で勝ち(上手玉は詰まない)と思っていた」そうである。実戦はここから形作り(?)で☗6五桂☖8三玉☗5三龍☖9二玉☗9三銀(これを見て杉本八段は「え」と思ったらしい)☖同銀、と進め、その次の手がこの場では見えなかった。この棋譜を後に香龍会で発表した時に

「普段からちゃんと詰将棋は解かないといけないな」

という結論(?)に達した(笑)。…別に全く解いていないわけではない(この日も移動中とかに詰パラ5月号を読んで&解いていた)のだけど。

帰宅後に入念に調べた(実際は「柿木先生に聞いた」)ところ、前述の☖2六角の局面で☗9二龍としていれば下手の楽勝だった模様(実戦は☗4五香と「角のラインを消しながら一応詰めろ」)。
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全く読んでいなかった手ではなかったが、以下☖8二桂☗8三金☖6二玉☗8二龍に☖5三玉と上部脱出されて紛れそうだ(ったので指さなかった)が、以下☗4二龍☖5四玉☗4三龍までの簡単な詰みが見えていなかった。そのため☗8三金には☖6一玉と落ちるしかないが、以下☗8二龍くらいで(うっかり☗1二龍と取って☖4五角の王手龍取りを喰らわなければ)一手一手の寄りだった。…「普段からちゃんと詰将棋は解かないといけないな」(笑)。

指導対局終了後すぐに名古屋へ向かう。…どうでもいい事だが、

岡崎公園の南側を流れる「乙川」は「おとがわ」と読む
半田市にある地名(武豊線の駅名)「乙川」は「おっかわ」と読む

…実に紛らわしい(笑)。
名鉄等を乗り継いで14時50分頃に香龍会に到着。早速先ほどの指導対局を再現「させられ」、散々ダメ出しを喰らった後に(笑)フェアリー将棋を少し指す。…最近はフェアリー将棋に傾倒していたからあんな簡単な詰みを逃していた…と信じたい(笑)。
数時間前に岡崎公園で買ってきた「どら焼き」を出し、「これら(玉2枚、飛車2枚、角2枚、裏に「龍王」「龍馬」が書かれていなかったので「成駒は使用不可能」)で握り詰を作れ」と難題(?)を吹っ掛ける。…出た結論は「何枚か駒を『食べて』減らせば作れる」という事に。…それって握り詰とちゃうから(笑)。

終了後はいつもの2次会に突入したが、自分は眠気の限界だったので岩本氏が先に帰られたその15分後くらいに失礼させていただいた。ちょうどそのタイミングで名古屋市内でも雨が降り出し(そう言えば「岡崎将棋まつり」は結局雨が降らなかったなぁ)、豊橋に着いたあたりで雨脚が強くなってきた。…鞄(特にチェスクロック)は濡れると困るんだけどなぁ、とボヤキながら。
その後もなかなか(執筆のための)時間が取れず、気が付くと4日に。しかもまだ「香龍会麻雀」の事も書かないといけない(笑)。…まぁこちらはそんなに書く事が多くないのだけど。…多分(笑)。


※1…知多半島の地理がよく分からなかったのでとりあえず「半田駅(を8時20分に出る電車)」と事前には言っていたが、関氏の「豪邸」に一番近いのは2駅大府寄りの「亀崎駅」だった。別に半田駅にある「現役最古の跨線橋」が見たかったわけではない(笑)。

※2…「自分より前に受付する人数<杉本昌隆八段の席の残数」となった時点。今回の場合自分の整理券番号が「12」だった(第2希望としていた瀬川晶司六段とどちらかは絶対に当たる)ので、「9」の人が受け付けた(自分の前に2人いる)時点で3席残っていた=「10」と「11」の人が杉本昌隆八段を指名してもあと1席残っている=理論上確定。…わざわざ説明しなくても分かりますよね(笑)。

※3…自分の記憶にある限りでは板谷進九段の著書で読んだくらい。