DJカートン.mmix

それって早い話「金儲けのための忖度」って事では。

グランプリ緊急参戦(?)

文中敬称略で。

22日に賞金王決定戦(グランプリ、以下「GP」と表記します)を現地観戦するためにボートレース住之江に行ってきた。…実際のところは「青春18きっぷが2回分余るので何か使い道はないか」と考えて出てきた選択肢なのだが(笑)。
観戦できたのは3日目。どうせなら最終日を観たかったものだが、仕事の関係で日程が合わなかったし、最終日は間違いなく「超」がつくほど混雑するだろうし(2年前の賞金女王決定戦最終日もそれは半端ない混雑だった)。
単に「青春18きっぷの余り」「思いつき」で決めた事でも決まったからには可能な限り綿密に(?)計画を立てる、言うなれば「直感精読」(ちょっと違うかも)である。前日入りしてのホテルや指定席の確保、往復に要する大体の時間の計算など。

…2年ぶりの住之江。平日ではあるが何と言ってもGP。一般戦の週末などよりは間違いなく人が多い。
2年前の賞金女王決定戦(クイーンズクライマックス、以下「QC」と表記します)の時は住之江公園駅~ボートレース住之江(の南入場門)間の「屋根」を支えている12本の柱にQC出場の12人の選手のパネルが飾られていたが、今の(2014年以降の)GPは出場選手が18人、柱の数が足りない。さてどうなるのか、という事は以前の記事でも書いたが、結論から言うとGP出場選手は「のぼり」で紹介されていた

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駅出口(この写真の右下方面)から見て手前から出場順位1位(石野貴之)→18位の選手。

参考資料(?)として2年前のQCの時の歩道。何と言うか「雰囲気」から別物、という感じ(そりゃあ出場選手の「性別」から違うというのもあるし)。
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住之江の指定席エリアの入り口にはこんなものが展示されていた。
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上は2016年のGP優勝艇(のデザインを再現したもの)、下は2012年のGPのウイニングランで使われたボート…のはず(レースで「ゴールドカウル」を使ったのは2016年が最初のはず)。
当時から気になっていた「ネームプレートなしのカウル」だが、実際にその部分を触ってみると名前は「カウルに直書き」ではなく「カッティングシートで貼り付け」だった(「縁取り」感を出すために白文字の下に一回り大きい「黒の輪郭」が貼られている)。確かにこれなら誰が優出しても手間がかからないな、と思った(作りたい文字の形にシートを切る機械は昔からあるので)。

今回のGPでは史上初となる篠崎元志、篠崎仁志兄弟(元志が兄。自分は未だにどちらが兄かわからなくなる事がある…)による「兄弟同時GP出場」、そして当然ながら史上初となる「GPトライアルでの兄弟対決」があった。
同時出場が確定したのは11月27日だが、その後の福岡でのレースで元志は接触事故により肋骨骨折(しかも折れた肋骨が肺を破っていたらしい)という怪我を負っていた。GPに出場できるのかとやきもきしたファンは多いだろうが、元志はレースに出た(前検日には身体検査が行われ、もし不合格だったら帰される)。初日は別レースだったが2日目で「兄弟対決」が実現した(※1)。結果は1号艇の仁志が1着、3号艇の元志が4着。トライアル1stは弟仁志が通過、兄元志は脱落(前述の怪我の影響かそのまま帰郷)。

今年のGP最終日は「競馬のグランプリ」有馬記念(※2)と同日開催である。GPは例年12月23日(天皇誕生日)が最終日になるように日程が組まれるが、今年のように23日が週末絡みだと日曜日が最終日になるような日程になる事がある。
両レースが同日開催になるのは今年で5回目(来年も同日開催の予定)。通常は有馬記念の1時間後くらいにGP優勝戦がスタートするので、「有馬の負けをGPで取り返そうとする」or「有馬の勝ちをGPに転がす」なんて文字通りのギャンブル狂(笑)ももしかしたらいるのかも知れない。両方を「はしご」できる(両方の売り場が徒歩圏内の)環境があるのかはわからないけど…

今年のボートレースはGP最終日の翌日からQCが始まる(と言っても初日2日目は「シリーズ」のみでトライアルは3日目=28日から)。ファンはともかく取材陣は休む間もなく住之江から平和島への転戦。お疲れ様です。


※1…トライアルの組み合わせはざっくり説明すると
初日、3日目(2ndの1戦目)…出場順位(つまり年間獲得賞金)によって振り分け、艇番も出場順位順に内側から割り当てられる
2日目、4日目、5日目…「前日の11Rの奇数着順3人と12Rの偶数着順3人」(もう1レースは残り6人)、艇番は「ガラポン」で抽選
通常のレースと違って番組編成の作為が入り込む余地は全くない。初日11Rで仁志が3着、12Rで元志が6着となった事で2日目での対決が実現した。

※2…有馬記念の第1回のレース名は「中山グランプリ」。このレースの実施直後にこのレースの考案者で当時のJRA理事長有馬頼寧(ありま よりやす)が急逝したため、同氏の功績を讃える意味で第2回以降の競走名が「有馬記念(第●回グランプリ)」となった。