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それって早い話「金儲けのための忖度」って事では。

相撲を見る

10月12日、大相撲浜松出世場所──ぶっちゃけて言えば「浜松巡業」──を見てきた。
相撲観戦は意外にも(?)本場所を含めても初めて。両国には何度か行っているが、相撲を見に行ったわけではないので(笑)。…そう言えばいつだったか(確か6月末~7月上旬、名古屋場所の直前)、ボートレース蒲郡に行ったら髷を結った浴衣姿の力士を何人か見かけた記憶がある。…やっぱり相撲取りは大きかったわ。

(以下敬称略で。)
本場所でも巡業でも、これ=幟(のぼり)を見ると
「ああ、相撲やっているんだな」
という雰囲気になる。残念ながら白鵬は今回欠場だったが。
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これもよく見かける(?)番付。以前は中央の「蒙御免」を読めなかった、という人は多いに違いない(自分もその一人)。ご存知だとは思うが念の為、「ごめん(を)こうむると読む。後で調べたところ、「公的な許可を得た興行である事の宣言」だそうである。
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せっかくだから(?)いい席で見よう、と思ったが、巡業当日の休みが確定した時には1階席(タマリ席、1階椅子席)は既に完売。…ま、仕方ないか、という事で自由席(2,000円)で観戦。仮に席があったとしても滅茶苦茶高かったし(…負け惜しみ)。
…それにしても、これを見て
「いつの間に『グルジア』を『ジョージア』と呼ぶようになったんだ?」(※1)
と思うなんてよほど俗世間離れした生活を送っていたのか、なんて気分になる。…別に山に籠もっていたわけではないのですが(笑)。

自分が会場に入った時(9時過ぎ)は土俵上で朝の稽古。新十両の正代(しょうだい)が豪栄道・稀勢の里の両大関から「かわいがり」を受けていた(下の写真はそのシーンでは多分ありません)。
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こういったところ(巡業とか出稽古とか)で稽古を付けてくれた人に(すぐでなくても)本場所で対戦して勝つことを角界では「恩返し」と言う。…でも「恩返し」される方は黒星がつくわけだからやっぱり「勝負師としては」恩返しは受けたくないところだろう。
ここで少し考える。相撲での「恩返し」は基本的に「他の部屋の力士」に対して行うものである。何故なら「同部屋の力士とは(優勝決定戦を除いて)本場所では対戦しない」から。つまり制度上同じ部屋の兄弟子には「恩返し」ができないのである(当然「師匠」にも恩返しはできない。何せ既に「力士を引退している」ので)。これに倣うなら他の業界(例えば将棋界)で師匠や兄弟子に公式戦で勝つことは「恩返し」とは言えない事になる。ただ、対戦以外でも「優勝パレードの旗手」を務めることで恩返し(の代わり)とする、というケース(※2)もあるので、同門の先輩には恩返しができないと盲目的に決め付ける事でもないと思う。とりあえず普通に師弟や同門で対戦をする業界(将棋界や囲碁界など)ではこういう「恩返し」の用法は×、という事で(笑)。

閑話休題。朝稽古に続いて「子供の稽古」、地元の子供が幕内力士に稽古をつけてもらう。「NHK福祉大相撲」とかでもよく見受けるシーンだが、これって将棋で言うと「プロ棋士との指導対局」に当たるのかな、なんて思いながら見る。当然体格差がありすぎるので力士は全力ではないにしても、中には縦三つの更に奥を掴んで切り返しで力士を倒す子供がいたりするので力士も油断できない…かも知れない。
相撲講座」。相撲の基本所作に関する講座。例えば「蹲踞(そんきょ)」は「尊」という字が含まれている=相手や土俵にいる神様に敬意を表すための座り方である、とか「何故今の土俵は吊天井なのか」の説明(※3)、「弓取り式」の作法(「弓を落としたら足で拾う」は有名だが、それ以外にも「へー」と言いたくなる薀蓄が)など。

その後序二段の取組が始まる(巡業で序の口の取組はない)。序二段とか三段目の取り組みはテレビ中継されないので(BSなら見れるけど)、水をつけない、塩を撒かない、行司は裾をまくった上で裸足、まるで「やっつけ作業」のように進んでいく取組(1回だけ仕切ってすぐに立ち合い)は知らない人(地上波で見られる十両以上の取組しか見た事がない人)が見ると違和感だらけかも知れない。
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ちなみにこの写真の左上に見えるテーブルがこの場所での場内アナウンス席。テレビ中継で聞きなれた声が浜松アリーナに響く。

幕下までの取組が終わると次は「相撲甚句」。

昔は甚句の事を型と呼んでいて、土俵の上で攻める型、守る型を見せながら唄っていた。現在は化粧廻しを付けた力士6~7人が輪になり、1人ずつで唄われる力士独特の歌。手拍子・足の音頭に合わせて唄っている。(当日の取組表の中の記事を引用)

よく聞いていると時に時事ネタや自虐ネタを盛り込んだ歌詞が出てくるので意外と面白い。
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初切(しょっきり)」。個人的にはこれが一番見たかった(笑)。

相撲の禁じ手を面白おかしく紹介する見世物で、相撲の取り組みの前に決まり手四十八手や禁じ手を紹介するために江戸時代から行われていた。(同上、現在相撲の決まり手は48以上あるがここでは原文のまま)

誤解を恐れずに言えば「相撲コント」。探せば動画が沢山落ちていると思うので詳しい説明は割愛。写真も割愛、と言うより「動画を撮影していた」ので写真がない(笑)。しかもその動画が「容量オーバー」で最後(勝ち名乗りを受けるところ)が欠けている(苦笑)。今回の初切は約12分(多少のプラスマイナスはあるだろうが以前テレビで見た初切も大体このくらいの所要時間だった)、デジカメの「FINE(640×480)」だと「1GBでギリギリ足りるかどうか」というデータ量なので今後初切の撮影を考えている(記録媒体を用意する)という方はご参考までに。自分も次回見る時は十分なメモリを用意して臨もうと思う。…次回があれば、の話だが(苦笑)。

十両土俵入り。…って、力士が子供を抱いている?!
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十両土俵入りでは松鳳山里山(この2人後ろ)が子供を抱いていた。本人の子供ではなく、
「力士に抱かれることで強い子に育ちますように」
という願掛けを込めた巡業ならではのサービスっぽい(花道の奥のほうで受付?をしているのが見えた)。花道の位置の関係上か、子供抱きサービス(便宜上の名称)は西方の土俵入りだけだった。

土俵入り、櫓太鼓打ち分け(演奏実演)、十両取組、綱締実演、そして幕内土俵入り。やはりと言うか、子供抱きサービスが多い(この写真で見る限り9人?)。しかもその中に数人「女の子」が混じっている(一番後ろの稀勢の里も女の子を抱いていた)。
…あまり細かい事は考えないことにしておきましょう。
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その後横綱土俵入り、主催者代表の挨拶、幕内取組とどんどん進んで行き(「中入」とは書いてあるが休憩時間は一切無し)、「三役揃い踏み」も行って15時に全取組が終了。結びの一番(※4)の横綱対戦は鶴竜がすくい投げで日馬富士を下している。
巡業でも「懸賞」が付くなんてこの日初めて知った(苦笑)。
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弓取り式。「相撲講座」によると、かつては千秋楽のみに行われていたが、1952年5月場所から毎日行われるようになった(「毎日やれ」という客の願望が多かった)そうである。
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巡業を見たのなら次は本場所名古屋場所)かな?(笑)


※1…グルジアからの要請(ロシア語表記の「グルジア」から英語表記の「ジョージア」に変更してほしい)を受けて「在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律」の法改正案が今年の通常国会に提出され、衆参両院で全会一致で可決・成立し、2015年4月22日に公布・施行された(つまりこの日をもって日本では「グルジア」が「ジョージア」になった事になる)。

※2…1992年名古屋場所高砂部屋水戸泉が優勝した時、同部屋の弟弟子である小錦(当時大関)が旗手を務めたのが一例。当時は大関が平幕の旗手を務めるとは何事か」という批判があったらしいが、小錦「水戸関は僕の恩人だから誰が何と言おうと僕が旗を持つ」と、正に「恩返し」のために自ら願い出たという。他には2012年夏場所旭天鵬が優勝した時に同様の理由で同郷の後輩の横綱白鵬が旗手を務めている。

※3…ぶっちゃけ答えを書いてしまうと「テレビ中継のため」。かつて(昭和27年くらいまで)は本場所の土俵も「4本柱+屋根」だったが、テレビ中継の際に柱は邪魔なので、天井を吊天井式にし、4本の柱の代わりに4つの「房(赤房、白房、青房、黒房)」をぶら下げている。この事から屋根を支える柱は単なる柱ではなく、4聖獣(朱雀、白虎、玄武、青龍)が宿っている、という事がわかる(ここまでの説明はなかったけど多分そうだろう)。

※4…「結びの一番」で一つの用語なので「結びの1番」と書くのは間違い。