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それって早い話「金儲けのための忖度」って事では。

レジェンド加藤、ついに引退

このタイトルを見て

「え、あのひふみん将棋棋士加藤一二三九段)も引退するの?!

と思った方がいるかも知れないが、このタイトルの「レジェンド加藤」とは加藤一二三九段の事ではなく、ボートレーサー・加藤峻二(かとう しゅんじ)選手の事。
(両者の知名度と「このブログは将棋の話が多い」事を考慮すると)非常に紛らわしい表現かも知れないが、少なくともこれはデマでも憶測でもなく「公表された(確定している)事実」である。ちなみにこのような紛らわしいタイトルにした意味はあまりない(笑)。

詰将棋解答選手権のレポートを送信した直後にこのニュースを知る(Yahoo!のトップページにあった)。ちなみに本当はもう少し早くレポートを送るつもりだったのだが、その直前に「デジカメ(一緒に送る写真が入っている)が行方不明」である事に気づき、それの捜索で時間を取られて(仕舞い込んだ冬物のポケットに入っていた)つい先日ようやく送信できた、という次第(苦笑)。
それにしても元水氏からは「自由に書いていいですよ」と言われていたが、この「自由に書いていい」というのが実は一番難しい、というのは創作や執筆をする人なら誰もが実感する事である。基本的な文面はそれこそ選手権の1週間後にはできていたが、そこから何をどう付け足す(あるいは削る)かで非常に難儀?をしたものである。

前置きはこのくらいにして、ボートレースの「レジェンド加藤」とはどういう人なのか、を簡単に説明したい(「簡単に」なっているか甚だ怪しいが…)。
この先は敬称略で。記録や年齢などの数字は2015年5月10日現在。また各種データはボートレース公式サイト、Wikipedia「ひまひまデータ(ファンの間では有名なボートレースのデータサイト)」などを参考にさせていただきました。

ボートレーサー 加藤峻二登録番号1485)
1942年1月12日生まれ(73歳)埼玉県出身
1959年7月デビュー(第5期)で現役勤続は55年10ヶ月(歴代1位)先月の名人戦(マスターズチャンピオン)で優勝した今村豊(53歳11ヶ月)や昨年末の賞金女王決定戦(クイーンズクライマックス)で優勝した日高逸子(53歳7ヶ月)といった「五十路を過ぎても今なお第一線で活躍し続けている選手」が生まれる前からボートレーサーだった(その今村豊は参戦中のボートレース下関で加藤引退の一報を聞くなり号泣したという)。
ボートレーサーには定年こそないが「成績不振による引退勧告(※1)」がありそれ以外にも体力や瞬発力などの衰えで50歳前後(キャリアで言うなら30~35年)で「自主引退」する選手が多い中、引退勧告されない成績を修めつつ55年も現役で走り続けた、というだけで驚異的な話である。それも「ただ単に長く現役でいた」だけではなく、
・SG優勝4回(※2)
・GⅠ優勝21回
・通算優勝120回
・通算1着回数3294回(歴代2位)
などの実績を持つ一方で
・61歳でSG(第30回笹川賞)優出(「優勝戦に進出」の意味)
・65歳でGⅠ(第8回名人戦)優出
・71歳で優勝(※3)
などの歴代年長記録も多数持つ。
生涯獲得賞金16億3575万9463円は歴代20位くらい(それでも十分凄い話)だが、これは「今より賞金が格段に安かった時代」の数字が含まれているので現在の記録(歴代1位は松井繁の「約34億円」)と一概には比較できない。しかしその数字でも平均年収に換算すると約2929万円、現在のボートレーサーの平均年収約1700万円を大きく上回っているつまり加藤が一流のトップレーサーであった事を証明している。

またスタート事故(フライング、以下「F」と表記)が極端に少ない選手としても知られ、往年のレーサーの中には「現役期間のうち半分はF休みだった」(単なる比喩かも知れないが…)と言うくらいFを切りまくっている人がいる一方で、加藤選手は出走14652回(歴代1位)のうちFは僅かに25回(前述の日高逸子は自身のブログで「自分より少ない」と告白している)、2年に1回未満のペースである。
今年5月1日のFで「引退を決意した」と言うが、それの1つ前のFは1999年9月、なんと15年8ヶ月(3937走)も連続スタート無事故継続中だったそれだけでも凄い(歴代6位の)記録なのだが、1999年の1つ前のFは1991年5月(2347走連続無事故)、その一つ前が1977年10月(3797走連続無事故、歴代7位)、いいとこ取りをするなら「1977年11月~2015年4月の37年半で僅かに2回」という事になる。
ちなみに2000走連続無事故は表彰の対象になっているが、1回受賞するだけでも大変なのに(※4)、これを3回も受賞した選手なんて他にいない…はず。
…何も知らない人だと「少しスタートを遅らせればフライングはしないだろう」とか思うかも知れないが、当然ながらスタートが遅くなればレースで勝つ可能性は低くなるし、あまり遅らせると逆に「出遅れ(大時計が0を指してから1秒以内にスリットラインを通過できなかった場合。そのレースからは除外され、F同様のペナルティが科される)」になってしまう可能性がある。

これらの実績により2010年、通常は現役引退後となる「ボートレース殿堂入り」を史上初めて現役で果たしているまた2005年に自らの名が冠されたレースが地元戸田で開催され(※5)、それ以降も「隼杯(全盛期の走りが「隼の舞い」と呼ばれたことに由来する)」として毎年開催されている。

…この説明でどれだけ伝わったかわからない(そもそも書いている自分がどれだけ理解しているか定かではない)が、その実績は「レジェンド」という形容に相応しいものである。マスコミやファンからも「レジェンド」とか「御大」「走る人間国宝などのニックネームで呼ばれていたりする… いや、「呼ばれていた」となってしまうのだろうか。

一方で将棋界の「レジェンド・加藤」こと加藤一二三九段についての詳細はここでは省くが、タイトル8期、勤続60年(史上初)、対局数2460局(歴代1位)、通算勝利1320勝(歴代2位)、という簡単な数字の説明だけでも「レジェンド」という形容に相応しい実績を持っていることがわかる(と思う)。

このように、偶然にも異なる2つの業界に同時期に「加藤」という姓を持った「レジェンド」がいる(いた)のである。自分はこの2人による「レジェンド・W加藤対談」が実現したら必見だろうな、と常々考えていたのだが、実現する前に片方は引退されてしまった
…でも考えようによっては「引退したからこそ」この対談が実現する可能性があるかも知れない。と言うのはボートレーサーは週末も祝日も関係無しにレースの斡旋が入る(通常は1ヶ月ほど前に決まるが、「追加斡旋」と言って出場予定だった選手の欠場を埋め合わせるために急遽呼ばれる事もある)ので、F休みでもない限りその手のイベントにはなかなか参加できないのが実情(だけどこの前浜名湖では「2日後にレース」という選手がトークショーをしていたっけ…)。ましてや「滅多にFしない加藤選手」なので…

もし実現したら是非とも現地(おそらく関東圏のレース場)で見て(聞いて)見たいと思うが、実現したらしたで加藤一二三九段が機関銃のようにしゃべりまくって終わり、なんてレース展開もありえるので(笑)、間を取り持つ(?)人が必要だと思う。将棋界からは勿論(?)屋敷伸之九段、艇界からは…誰だろう。


※1…「期末(4月末と10月末)時点で直近2年の勝率(意味と計算方法は以前書いたので割愛)が3.50未満」の選手(ただし選手登録3年未満の新人選手を除く)に引退勧告が出される(他にも勧告の基準があるが割愛)。
また期末の時点で選手総数が1600人を超えていた場合、直近2年の勝率が3.50以上でもそれの低い選手(登録3年未満の新人選手と勝率3.80以上の選手は除く)から順番に引退勧告される。

※2…加藤が優勝した当時はグレード制度がなかったため、
鳳凰賞(今の総理大臣杯、ボートレースクラシック)
笹川賞ボートレースオールスター)とその前身の「全国地区対抗」
モーターボート記念(ボートレースメモリアル)
全日本選手権(ボートレースダービー)
の4つ(今はSG)は「4大特別競走」と呼ばれていた。

※3…「優勝戦で1着になる」という意味(それ以外の競走で1着になるのは単に「勝利」とか「1着」と呼ばれる)。TBSの「サンデーモーニング」でも「公営ギャンブル史上最年長優勝記録」として紹介された。
張本勲の「公営ギャンブルだから・・・」と「あっぱれ」を渋った態度(最終的には「あっぱれ」になった)「喝!」と思ったファンはたくさんいたに違いない(笑)。

※4…斡旋の多いA1級の選手でも1年に走るレース数は200~250くらいなので、単純計算で2000走連続スタート無事故の達成には8~10年もかかる。

※5…引退した選手の名前(やニックネーム)が冠されたレースは時々あるが、現役選手の名前と言うのは他の公営競技まで範囲を広げても非常に稀ではなかろうか。
ちなみに関係者以外だと「蛭子能収」「鳥羽一郎」の名を冠したレースが毎年開催されている(前者は大村と多摩川、後者は津。鳥羽一郎は同レース場の「名誉執行委員長」を務めている)。