DJカートン.mmix

それって早い話「金儲けのための忖度」って事では。

将棋界をのんびり眺める

世間で(?)「ここ最近の将棋のニュース」というとやはりNHK杯で橋本八段がやってしまった「二歩」の反則負け、という事になるのだろうか。何せYahoo!のトップページにも載ったくらいだから。でも普段から将棋に親しんでいる人としてはこのような「興味本位的な話」だけがクローズアップされるのは気分のいいものではない…かも知れない(少なくとも自分はそういう気分にさせられる)。
同じニュースにするなら低気圧による天候不順で対局者&関係者が現地にたどり着けず3月12,13日に予定されている「第64期王将戦第5局の日程が変更(※1)を取り上げてもいいだろう、と思う。他のメジャーなスポーツとかだと天候不順で選手が会場に移動できず試合などが中止・順延、というニュースが天気予報コーナーで触れられることが(たまに)あるというのに…
ちなみに過去にも王将戦では同様の事態が起きており、王将戦史上2度目の「日程変更」である(※2)

3月11日は今年度最後の順位戦(A級プレーオフを除く)となるB2の最終戦
自分は昇級争いよりも降級点争いのほうが大きな焦点だった。言うまでもなくそこに森下九段が絡んでいるから…(苦笑)
B2最終戦での降級点の鍵を握っていたのは豊川七段だった。豊川七段は勝てば降級点回避だが負けると「降級点確定、かつ降級点の可能性のある8人のうち島九段、中川八段、安用寺六段、窪田六段の4人の降級点回避が決まる」。
結果は19時11分、この日の対局のうち一番最初に終局、敗戦により前述の状況になる。この瞬間島九段の降級点(2つ目なのでC1への降級)が回避されたので別の意味で安心したものだが。
20時43分、森下九段が投了。勝てば無条件で降級点回避だったが、敗れたので回避条件が「高橋九段、中田宏樹八段、豊川七段が全員敗れる事」に。前述のように豊川七段は既に敗れていたので条件はあと2つ。「特定の棋士が敗れることを期待する」のは人が悪くなったような気になってしまう(笑)。
23時21分、高橋九段が投了。その少し前に先崎九段(※3)が勝利しB1復帰を決めていたが今の自分にはどうでもよかった(苦笑)。
23時32分、中田八段が投了。前述の「降級点回避条件②」が満たされ森下九段の降級点回避が決まった
ここだけ見ると「ラッキー」にも見えるが(降級点の境界線となった杉本七段とは「順位1枚の差」である)、島九段の言葉を借りるなら「勝ち運が均された結果」、つまり過去の不運が少しだけ返ってきたという「必然」である、なんて偉そうなことはさすがに言えない(…って既に言っているがな)。

この順位戦の陰(?)で将棋界史上2位(多分)の記録が生まれている。
同じ日、棋王戦の予選で加藤一二三九段と増田康宏四段が対局している。加藤九段は1940年1月1日生まれの御年75歳、かたや増田四段は1997年11月4日生まれの17歳。その差「57年10ヶ月3日」、それこそ祖父-孫くらいの年の差の対局である。ちなみに確認できた限りの史上1位の年の差対局は小堀清一九段対羽生善治四段(当時)の「58年7ヶ月17日」(1986年の順位戦で実現、羽生四段が勝っている)。
この対局(携帯中継があった)は相矢倉模様からの力戦模様になり、147手で加藤九段が勝利。将来を嘱望されている新鋭を退けたという一事からこの対局は将来出版されるであろう「加藤一二三名局集」に収録されるに違いない、なんて意味不明な事を考えてしまう(笑)。


※1…対局予定地の新潟県佐渡市佐渡島)に渡るためのフェリーが荒天により欠航し対局前日の佐渡市入りが不可能に。そのため本来の「2日制・持ち時間8時間」の対局が
・12日の午前中に佐渡入りできた場合…「持ち時間7時間」で12日の13時30分に対局開始(18時00分に封じ手、2日目は通常通り)
・12日の午後に佐渡入りとなった場合…「持ち時間5時間の1日制」として13日の9時に対局開始
…に変更される(将棋連盟のHPや主催のスポニチのHPなどで発表されている)。
これを書いている時点でどうなっているかはわからないが、天気予報を見ると12日以降も新潟方面は天気が良くない模様で、「対局は行われたが佐渡島で足止め」とか、最悪の場合「12日中の佐渡市入りもできず、第5局は中止」なんて事になる可能性もあるかも知れない。

※2…青森県三沢市で開催される予定だった第43期王将戦第5局(1994年2月)は対局者中原誠前名人)や副立会人を乗せた飛行機が天候不良で三沢空港に着陸できず引き返した(対局場に到着できたのは対局1日目が予定されていた日の午後)ために本来の「持ち時間8時間・2日制」が日程的に不可能になってしまったため、「持ち時間5時間・1日制」に変更されて行われた

※3…八段だった時期が意外に?長かったせいか(A級八段となったのが2000年4月、そこから250勝の昇段規定で九段に昇段したのがその14年後)、「先崎学九段」という肩書きにはもうしばらく違和感を覚えそうである(先崎先生、すみません…)。