前回も書いたようにある意味大どんでん返しで東京(大盤解説会)行きが決まったわけだが…
前回の記事で「交通手段で躓いた」と書いたが、実際それ以上に困ったのが服装、特に「バッグ」。何せ使っているのが「あのバッグ」である。 …え、どのバッグだって? だから「あのバッグ」(笑)。恐らく「男で」「あのバッグ」を使っている人は日本中探しても数えるくらい、それこそ1人しかいない可能性がある。
つまり「あのバッグを持っている人=DJカートン」と容易に特定されてしまうわけで、電王戦に対し否定的な事を書きまくっている自分(笑)が大盤解説会場に行っているなんて事が知れたら後にどんなバッシングを受ける(今後の活動に障る)か知れたものではない。
…杞憂に終わる可能性が高い(実際杞憂だったと思う)話だが、今の世の中(特にネットの世界)は
「情報管理(漏洩)に関してはどんなに用心しても用心し過ぎという事はない」
ので、万一の事を考えて今ではほとんど使わなくなった服装(バッグ)で出かける事にした。
そして更に念を入れて(?)サングラス(メガネに取り付けるクリップタイプのもの)も出発直前に購入。(ドワンゴの会場運営の酷さに腹を立てた場合に)スタッフと喧嘩しやすいように、というのが大きな理由(笑)だが、(写真で見ると)ニコファーレの照明がかなり眩しそうだったのでそれを軽減するため、といういたって真面目な理由(?)もある。
…以上のような準備をし、いざ出陣。都内のネットカフェで一晩明かす。
当日は6時30分頃に起床。遅くても9時の10分前くらいにはニコファーレ(≒地下鉄「六本木」駅)に着けばいいのですこし寄り道。
…何故ここに寄ったかって? ここはセラムニスト(って言葉はあったかなぁ…)にとって「聖地」のようなものですから(笑)。何割かのジョークは混じっているかも知れない(笑)が、当日の朝にここに立ち寄って参拝する事に決めていた。
…何をお願いしたかって? そりゃあ勿論…
「六本木」は「麻布十番」の隣の駅(都営大江戸線、距離にして1kmほど)なので、参拝後は徒歩で会場へ。ただこのルートを歩こうとすると鳥居坂や芋洗坂といった「こんな急勾配の坂が東京23区内にあるんだ」と思ってしまう上り坂がある。
ニコファーレ前に着いたのは8時30分くらいだろうか。既に列が出来始めている。想像していた以上に列で「将棋関連の本(将棋新聞を含む)」を読んでいる人がいる(自分は「そういう人はほとんどいない」と思っていた)。さすがに「詰パラ」を読んでいるのは自分くらいだったようだが(笑)。
番号順に並ぶ為に来場者同士で整理番号を確かめ合っているのだが、自分が聞いた中では「250番台」の人がいた。 …確かニコファーレの収容人数は椅子ありイベント時で160人だったはずだが?
この時点で最低でも「キャパシティの1.5倍以上」の当選通知を出している事がはっきりする(それまでは非プレミアム会員の自分が当選した事から「募集定員>観覧希望者」、という可能性も考えていた)。こりゃ本気で「奴等」と喧嘩するかも知れない、とも思ったが…(笑)
自分は180番くらいだった(つまり入れない可能性があった)のだが、いざ入場が始まると実にあっさりと入場できてしまった。しかも自分より前に入っている人数が想像以上に少ない。ざっと見て60~70人と言ったところか。
…おいおい、来場率30~40%かい。どおりで本編(?)で入場できないという話を聞かないわけだ。ただ、これはこれで「ユーザーがドワンゴになめられている」という見方もできるわけで、ユーザー(当選者)が本気を出した?時(8割以上の当選者が来場した時)にどうなるか、どういう対応を取るのか、というのは非常に興味がある(笑)。
…それはさておき、入れたはいいのだが椅子がかなり少ない。パッと見たところ1列あたり16席(中央に通路を挟んで8:8)×4列=64人分。 …(自分を含めた)半数以上が立ち見?
酷い話だと思ったが、急遽椅子が追加され最終的には9列144人分。それでも立ち見客はいたが、9割くらいは座って観覧できた模様である(下の写真は昼食休憩時に撮影。ホール手前の「ロビー」には盤駒が用意された席がいくつかあるのでそこで見ていた人もいた)。自分も無事座れたので棋譜&会場などの様子を書きながら、時には会場を撮影しながら観覧。
ちなみに「(出演者への妨げになる)フラッシュでの撮影はダメ」となっていたが、撮影そのものは禁止でない。実際会場で撮影された写真がアップされたブログを見たことがあるし。
10時少し前に解説・聞き手の3人が登場。
前回自分が懸念した「森下九段の近況」には結局誰も触れなかった。…ここでも杞憂(笑)。
もっとも棋士というのは日常的に「自分が負かした相手への気遣い」をしているので(その理由の一つが「島研ノート 心の鍛え方」に書かれているがここでは割愛)、それこそそういう話は無茶振りされても「そういう話はさすがに…」と断りそうな気がする。
会場の照明はそこまで眩しい、というレベルではなかったが(念のためサングラスは着用したまま)、それ以上に気になったのは「音」。解説者のマイクの音量は適正だったが、後ろの音楽や呼び出し音(?)が無駄にうるさい。
対局場は小田原城の「銅門(あかがねもん)」。
森下九段が対局場へ向かって歩く姿はそれこそ「聖戦」に赴かんとする騎士のように見えた
…のは贔屓による錯覚かも知れない(笑)。
対局場となった銅門(の2階)自体は和室の対局場とほとんど変わりがなかったが(ただし室内から外は見れない)、銅門の中及びその近くに「常設のトイレ」がないため、対局場を出てすぐのところに「仮設トイレ」が用意されたのである。仮設トイレが必要なところで将棋の対局が行われる、というのは多分史上初かも知れない(銅門自体が通常は一般開放されていないので仕方ないと言えば仕方ないのだが)。
ちなみに森下九段が休憩時間以外で席を立ったのは10時57分、13時46分、15時04分、16時19分、18時40分、20時28分、の6回(この記事内の「時間」は自分=DJカートンの手元の時計で)。
考慮中にお茶を飲みまくっていたのでトイレが近くなるのも仕方がなさそう、…って、森下九段が中座する回数と時間を注視していたのは自分くらいかも知れない(笑)。
関係者の控え室も臨時設営された「テント」。当日は快晴だったので良かったが、もし雨&風だったら…
戦形は相矢倉(ツツカナは7割くらいの確率で矢倉を目指す模様)。森下九段はこれといった策を用いず堂々と迎え撃つ。…誰だい、「秘策あり」なんてPVを作ったのは?!(笑)
局面ごとの形勢および大盤解説会については書いているとキリがないし、よそと同じような(他のブログなどで書かれている)事を書いても面白くないので、以下は個人的に気になった&是非言って(書いて)おきたい事を中心に。
ツツカナが▲3七銀から入城を保留して1筋を主張、更に▲4六銀と上がって▲3七桂を目指す。そのまま理想形に組ませるのは(端歩が詰められている分)作戦負けになりかねないので△4五歩と反発するのが定跡の教えるところ。
こういう(矢倉囲いを構成する)歩をやたらと伸ばすのは反発の目標になりやすいので通常はあまりいい手にはならないのだが、「相手が理想形を求めてきた時は理外の理」。「森下卓の矢倉をマスター」でもそう教えています(笑)。
大盤解説によると「かなり欲張った手」という事だが、もしかしたら森下九段の△8五歩を見て▲4六銀と予定変更してきた(右銀を攻めに使おうとする動きの牽制。もし△8五歩以外、例えば△9四歩とか△5三銀とかだったら他の手を指した)のかも知れない。相矢倉はこういった開戦前の細かい駆け引きが多いのだが(例えば▲7八金と▲6七金、どちらを先にするか、とか)、こういう手を見ると「ツツカナが『人間っぽい』と言われる」のもわかるような気がする。
ただ、この▲4六銀を約6分で指したのに対し、次の△4五歩に▲3七銀と引く「ほぼこの一手」に17分も考えるあたりCOMの思考法は素人には俄かには理解できない(笑)。
ちなみにこの銀引きは森下九段の中座中に指されており、戻ってきた時の「指されました」という記録係の声掛けに対しハッキリと「はい」と答えている。
…そう言えば森下九段は「機械(チェスクロック)の声にも『はい』と返答する」、なんて伝説があるらしいが、その真相は…?
終局後や記者会見で「相当まずい手だと思った」と言った88手目の△8五桂。
「▲8八銀と引くだろうと思っていたら▲8六銀と出られて困った」という。
この局面の前後から森下九段は歩損(歩切れ)に悩まされている(上の局面で一歩あれば喜んで?△4二歩と受けたと思う)。一方のツツカナは手厚い陣形+歩得。
「名前を伏せたら先手が森下九段に見える」
「まるで森下九段と森下九段が戦っているよう」
という解説&コメントも納得である。実際このあたりから苦しくなっていったと思う。相手が「1モリシタ(※1)」で森下九段が歩切れ、なんて局面はそうそう見られるものではない。
更に局面が進んで19時45分、下図の局面で残り30分。
「森下九段、残り30分です」
の声掛けに対する「はい」という返答に力がない。
ちなみに大盤解説でこの局面以降の進行予想を解説している時に藤井九段が
「・・・▲5五角の王手に△3三銀と『貼って』・・・」
…19時57分、「貼る」が出ました!(笑) 本譜はその解説どおりに進み、その△3三銀打(2四に銀がいるので「打」)は「せり上がり」で指された(貼られた?)。
…20時38分、森下九段無念の投了。
対局後は努めて明るく振舞っていた(明朗な口調で話していた)が、
「『結果しか見てもらえない対局(森下九段の言葉)』で結果が出なかった事」
に対する無念さは察するに余りある。
話題になった(?)のが対局後の会見での
「棋士側が継ぎ盤(検討用の盤駒)を使えるなら互角に戦える」
という発言。驚きと肯定的なコメントが多く飛び交っていたが、中には「何を馬鹿なことを…」と思った人もいると思う。
しかし森下九段は米長永世棋聖の自戦記「われ敗れたり」の中で
「米長先生との事前研究に参加させていただいた」(つまりボンクラーズの実力を身をもって経験した)
「人間対人間のルールを人間対機械に適用すること自体に無理がある」
「対機械には対機械用の対局ルールで戦うべき」
「ここでは詳述しないが、そのルールを適用すれば機械が神の域(例えば初手▲7六歩に△3四歩としたらその手は敗着です、と断言できるレベル)に達しない限り人間側も十分戦える」
と述べているのでかなり早い段階からCOMの実力を認めた(認めさせられた)上でこの腹案があった事が窺える。
ちなみにこの「私案」、自分が初めて聞いたのは2011年12月の順位戦解説会(つまり第1回電王戦より前)だったような気がする。もしかしたら記憶違いかも知れないが、森下九段は他にもいろいろな所でこの「私案」を述べている(「タイトル戦のニコ生解説」でも話していた)ので、今回の記者会見の場で述べられても驚きはしない、むしろ「森下ファンだったらこの私案は知っていて当然」だとさえ思っていた(笑)。
しかしそのルールは興行的に成り立つのか、といった問題もあるし、何よりこれは「人間がCOMに勝つことを最大、というより唯一の目的とした」ルールであり、電王戦後に通常の公式戦が控えているプロ棋士に対してこのルールを採用するのは(以前も書いたような「休場」でもしない限り)あまり現実的な話とは言いにくい。
例えば継ぎ盤ありや「1手15分ルール」でCOMと戦ったらその後いつもどおり(つまり継ぎ盤なし)の対局に戻れる(慣れる)までにかなりの時間を要する可能性が考えられる。ましてや今回の森下九段のように「電王戦から中2日で公式戦」ともなったら完全にいじめか嫌がらせである(笑)。
この将棋もある意味「反対側(後手)が森下九段?」と思えるような将棋。一手損角換わりっぽい出だしから佐藤九段があっさりと飛車先交換を許す(COMは飛車先交換をあまり高く評価しない傾向があるようだが…)。そこからひねり飛車風に飛車を7六に転回したあたりは(居飛車党の将棋としても)なくはないのだが、森下九段は交換した2筋の歩を▲2六歩と打って金銀4枚の高美濃(通常の高美濃+3七銀)を構築、気がつくと「石田流vs居飛車穴熊」というありがちな(?)対抗形に。
(ここまでの経過を知らずに)この局面だけを見て「どちらが森下九段か?」と問われたら大抵の関係者&ファンは「後手(が森下九段)」と答えそうである(恐らく自分もそう答えると思う)。
結果は211手の大熱戦の末に森下九段の勝ち。前年度からの連敗を4で止める(モバイル中継局なので投了図は割愛)。この日はちゃんと「1モリシタ」になっていた(笑)。
…そう言えば3年前の王位戦(2011年10月24日、第53期王位戦予選)での対佐藤康光九段戦も長手数だったのを思い出す。下図はその投了図、「森下システム」から251手!という今回以上の大熱戦で森下九段の勝ち。森下九段の駒台には「2モリシタ」(笑)。
…自分は今回の対局を「聖戦」と形容した。
聖戦を辞書で引くと「神聖な目的の為の戦争」とある。つまり「プロ棋士(人間)の尊厳を守る」事を「神聖な目的」と捉えた。しかし、今回の電王戦に参加する棋士はそこまで大仰な、あるいは極端な捉え方はしていないのでは、と思った。
2年連続で負け越したのはさすがにバツが悪いだろうが、最早COMがプロ棋士に伍する(あるいは上回る)力を持っているのは動かしがたい事実なので、それを認めた上でプロ棋士とCOMが共栄共存する道を模索している、もっと極端な言い方をするなら「己が棋力を高める為の道具」として使おうとしている、のではないだろうか。スポーツの世界でトレーニング用のマシンが使われているのと同じ理屈で。記者会見時のコメントがそれをよく物語っていると思う(※2)。
実際電王戦に出場した棋士はその後一様に成績が上向いている、と言うし、これで森下九段が目論見どおり(?)に50歳でA級、初タイトルともなればこの日の敗戦・屈辱は代償としてはむしろ安過ぎるくらいであろう。
もっとも、プロ棋界全体がそういう風潮になると電王戦の存在意義が大きく変わってしまう(ドワンゴ的には「美味しくなくなる」)可能性があるが、少なくとも個人的には「ショービジネス目的の電王戦」なら今年限りで終わってしまっても一向に構わないと思っている。
…このあたりを含めて当の森下九段がどう考えているのか、は12日の順位戦解説会で聞けると思うので楽しみである。
※1…持駒の歩が5枚=「1モリシタ」という業界内での単位。
誰が言い出したのかはわからないが、同歩同歩と応じる事の多い森下九段の駒台には自然と歩が沢山乗っていることから生まれた言葉(ちなみに同歩同歩と応じる棋風は師匠の花村元司九段との練習将棋で花村九段がポンポンと歩を突き捨ててくるのを応対する事で形成されたそうである)。
※2…中でも森下九段は「自分を七冠王にするプログラムを作って」という森下節(実際は言いたい事を豊島七段に言われてしまったので咄嗟に考えたコメントらしい)でその考えを示している。