DJカートン.mmix

それって早い話「金儲けのための忖度」って事では。

詰将棋作家の憂鬱。

前回の記事「詰将棋とは何ぞや?」を投稿してから急に訪問者が増えた。
この記事(を投稿してから今回の記事の投稿直前まで)だけでそれまでの累計のおよそ2.6倍である。
当社比(?)260%増と書くとかなりの増加に感じるが、実数にすると160くらいなので大したことはないのかも知れないが(笑)。
 
…実数はともかくとして、短期間でそんなに増えるのには何らかの理由があるはずである。
気になったので「DJカートン」で検索するという自ら地雷を踏みに行くような行為(笑)をやってみたところ、「詰将棋おもちゃ箱」というサイト内で自分のブログが紹介されていたことが判明。
しかも「ネット詰棋界注目情報として(サイト内「詰将棋メモ」の4月25日の記事)。
 
詰将棋の歴史に関して気の向くままに書いただけのブログ(もっとも書くからには可能な限り調べて書いていますが)が「ネット詰棋界注目情報」なんて何だかくすぐったい気分である(笑)。
それに見る(見た)人が増えたと言っても、その中のどれだけの人がこのブログに  というよりDJカートンという人物に  好意的なのかはわからない。
何せ評価(コメントなど)がほとんどありませんからね(笑)。
 
…さて、今回の記事の内容は最初(前回の記事を書いた直後)から2つの候補があって、ひとつは今回の記事、そしてもう一つは「岡崎将棋まつり」の記事。
どちらも書きたいと思った内容なのだが、やはり「パズル作家」という肩書きである以上パズル関係=詰将棋を優先させないとダメだろう、という建前(笑)から今回の記事が決定した次第である。
岡崎将棋まつりの話はまたの機会(次回かその次)にでも。
 


 
詰将棋作家の憂鬱。…何かラノベ(「ライトノベル」の略)のタイトルっぽい話であるが(笑)、
詰将棋作家で憂鬱にならない人なんていないのではないか、と自分は考えている。
その理由は「余詰(よづめ)」という概念のせいである。
当然自分も余詰のせいで相当憂鬱な気持ちにさせられたものである(笑)。
 
一言で言うなら、余詰というのは「答えが2つ以上ある」作品やその手順の事である。
ナンプレでも答えが2種類以上ありうる作品は失敗作と書いたが、
詰将棋でも余詰のある作品は「不完全作」と言って失敗作になる。

ただ、これだけだと詰将棋に詳しくない人が勘違いをする可能性が高いので、簡単な問題を使って説明する。
なお、この先は詰将棋に詳しくない人に「余詰の概念」を説明するため面倒なところをいろいろ端折っているので、
詰キストから見たら突っ込みどころ満載かも知れないがご容赦いただきたい(笑)。
 
イメージ 1
例題Aは初手に▲1一飛と打つのが正解。飛車を惜しんで▲1二銀は△3一玉と逃げられて逃れ(※1)。
これに対して
α:△同玉と応じて▲1二銀までの3手詰め
β:△同馬と応じて▲3二銀までの3手詰め
と2種類の答えがある。
こういう「玉方の応手が複数ある(どれを選んでも最終的に詰む)」のは余詰ではない。
詰将棋の本などでは紙面の都合でどちらか一つのみを答えとしている事が多いが、こういう場合はα・βどちらで答えても正解である。
 
イメージ 2
例題Bは例題Aと似ている。唯一の違いは4一に歩がいないところ。
こちらも例題A同様に初手▲1一飛と打てば詰むが、それ以外に「▲4一飛△3一歩▲1二銀まで」という詰まし方もある。
つまりこの作品には「▲1一飛から入る手順」と「▲4一飛から入る手順」の2つの答えが存在する事になる。
このように「攻め方が詰ます手順が複数ある」のが余詰である。
余詰はその手数や駒余りなどは関係なく、とにかく詰ます手順が複数あったらアウトである。
例えば作者は5手詰めのつもりで作ったが精査すると17手+駒余りで詰む手順があった(※2)、
こういうのも余詰=不完全作でアウト。
実戦だったら詰ます手順が複数あるのは珍しくないし、どのように相手の玉を詰まそうとその人の勝手だが、
詰将棋は一種の芸術なので複数の答えは認められない
 
では次の問題の場合はどうか。
 
イメージ 3
例題Cは初手▲1一飛成と捨てるのが「玉は下段に落とせ」の格言を地で行く手筋
(▲3二飛成は△1三玉と逃げられて逃れ)。これは△同玉と取るよりないが、
そこで「▲2二金」と「▲2二歩成」の2通りの最終手がある。こういうのは余詰になるのか?
…こういうのは「非限定」(厳密には「最終手非限定」と言うべきか。※3)と言って余詰としないのが一般的
厳しく評価するなら「キズ(不完全作ではないが減点対象)」となってしまうかも知れないが。
 
…では次の場合は?
 
イメージ 4
これはあの「煙詰(前回記事参照)」の最終手1手前の局面である。
まず最終手に「▲2二馬」と「▲2二と」の2種類がある。これは例題Cと同様に考えて良さそう。
問題はその先。この局面では1手で詰むところをわざと遠回りする事ができる
具体的には「▲3二馬△1一玉▲2二馬(と)」までの3手(実際は119手)で詰む手順がある。
他には「▲3二と△1二玉▲2二馬」や「▲3二と△1二玉▲2二と△1三玉▲2三馬」、
「▲3二と△1二玉▲2二と△1三玉▲2三と△1四玉▲2四馬」
という詰まされる方から見たら嫌味にしか思えない手順(笑)がある。
更に究極の嫌がらせ(笑)として「▲4三馬△1一玉▲4四馬△2一玉▲5四馬△1一玉…」と馬をわざと玉から遠ざけて(※4)好きな時に▲2二馬(と)と止めをさす、なんてこともできてしまう。
 
…前述の原則に則って判断するなら「煙詰」には多数の余詰があることになる。
しかしこの「煙詰」に関するそういう評価は聞いた事がない。
現代でもこういう感じの作品を稀に見かけるので、
あと1手で詰む局面での余詰(意図的な遠回り手順)は許容範囲(キズ)」
と判断する事にしているのかもしれないが正直よく分からない。
 
…これ以上突っ込んで書くのはやめさせていただく。下手な事を書いて後で叩かれるのも嫌だし
(何せあの伊藤看寿に喧嘩を売るような話ですからね…)、
余詰の概念を説明する、という当初の主旨から外れてしまいそうなので。
 
いずれにせよ、余詰というのは詰将棋作家の苦労を一瞬にして無にしてしまう厄介な存在であり、
詰将棋作家はこの余詰に戦々恐々しながら作品を作らないといけないのである(※5)。
これが憂鬱でなくて何と言うのだろう(笑)。
 
つまり詰将棋作家は作品を発表するに際しその作品に余詰がない事を確かめる必要があり、
もし余詰があったらそれを修正しないといけない。
前述の例題A・Bのように駒1枚置く事(B→Aに改良)で解決する事もあるが、
一つの余詰を消せたと思ったら今度は別の余詰が出てきた、あるいは詰まなくなった、なんて事も珍しくない。
何より上記のような作意(作者の企図した手順)より10手以上長い余詰なんてのは調べるだけでも相当な労力であるし、
「盲点のような手」や「一目見て詰む気のしない手」による余詰は熟達した詰将棋作家のほうがかえって見落とす可能性が高いのではないか、と思う。
 
そこで役立つのが「将棋ソフト」である
ナンプレでも作家にとって解答ソフトは有用と書いたが、詰将棋でも有用(というより必需品?)である。
詰将棋のような即詰み(王手の連続で詰む状態)の局面というのは早い話が消去法なので、
相当な長手数でもコンピュータの圧倒的演算能力を持ってすれば詰む詰まないはたちどころに判明してしまう(※6)。
 
…しかし、将棋ソフトなら何でもいいというわけにはいかない。
確かに現行の将棋ソフトのほとんどには「詰み検索機能」といった「その局面で詰みがあるか」を判定する機能はあるが、余詰まで教えてくれるソフトというのは多くない(大抵は最短手順を示して終わりである)。
はっきり言ってしまうと現行の将棋ソフトで余詰検索できるのはエンターブレイン社から出ている「柿木将棋」シリーズだけである。
そしてその柿木将棋シリーズの最新版「柿木将棋Ⅷ」が現行の将棋ソフトではもっとも優れた詰将棋(余詰)解析ソフトだと言える。
それ故このソフトの事を敬意を込めて(?)「柿木先生」と呼ぶ詰キストも珍しくない(自分もそう呼んでいる)。
 
しかし、その柿木将棋Ⅷが出たのが2005年で現在は生産中止。
続編(つまり柿木将棋Ⅸ)の噂はちょくちょく聞かれるが具現化した話は今のところ皆無。
ネットオークションなどで出品される事もほぼ絶無なので(※7)、
(自分のように)最近詰将棋作りを始めた人間は柿木将棋が手に入らないので非常に不利である。
そういう人は作品を作った後に柿木を持っている人に借りて解析するくらいしかないのだが、
それでも自力で余詰解析するよりははるかに楽だし確実である
(プロ級の読みの力があれば何とかなるが、生憎自分にそこまでの棋力はない…)。
 
将棋ソフトと言うとその棋力にばかり目が行ってしまうのが昨今の風潮(?)だが、正直なところ詰将棋作家にとって将棋ソフトの棋力  ひいては人間vsコンピュータの顛末  なんてものはどうでもいい事で、
速く正確な余詰解析機能(※8)さえあればトータルの棋力なんてファミコンの将棋レベルでも全然問題ないのである(笑)。
理想を言えば一日も早く柿木将棋Ⅸが登場してくれるのが望ましいのだが、
自分のように「解析機能がなくて苦労しまくっている詰将棋作家」は少なくない(Ⅷの需要はまだある)と思うので、今からでもⅧを再生産する意味は十分にあると思うのだが…
もし本当に再生産されたら? …もちろん買いますよ、それこそ借金してでも(…あくまで「喩え」ですよ)。
 


 
…と、このように将棋ソフトのおかげで今の詰将棋作家は以前と比して労力は驚くほど減っているのだが、
だからと言って作品の意図(モチーフ)までソフトは考えてくれないし、
全身全霊をかけて完成させた作品をソフトにあっさり「余詰」と言われるのもやっぱり憂鬱になる話なので、
今も昔も詰将棋作家というのは憂鬱になる趣味(金になるわけではないので「稼業」とは言いにくい)なのは間違いなさそうである(笑)。
 
(※1)…詰まない手順の事。同様の意味で「不詰」と書かれる場合もあるが、
不詰は「答えがない(どうやっても詰まない)作品」という意味もあるのであまり望ましい表現とは言えない。
 
(※2)…自分の過去の経験から。力作と呼べるレベルのものではなかったとは言え、
突き返された作品&添削(?)を見るとやっぱり憂鬱な気持ちになってしまう(笑)。
 
(※3)…単に非限定と言うと
・「飛び道具(飛車・角・香)」の打つ場所が限定されていない(ギリギリ近くても無駄に遠くても結果が同じ)
・「合駒(飛び道具の王手を防ぐ盾となる駒)」の種類が限定されていない(どの駒を合駒しても結果が同じ)
・「成」「不成」のどちらを選んでも結果が同じ
という意味で使う事の方が多い。
 
(※4)…馬がノコギリのようにジグザグに動く事から詰将棋用語で「馬鋸(うまのこ)」と言う。
これを利用して王手を途切れさせずに馬を近づける、あるいは遠くにある駒を取りに行く、というのが狙いで、
手数を増やすための手段として使われる事が多い。
 
(※5)…読み抜けによる「不詰」にも十分気をつけないといけないのだが、
(主に長手数の作品の)作者コメントに「余詰がないと信じたい」というのを散見する
(「不詰ではないと信じたい」というコメントは見た事も聞いた事もない)事から、
やっぱり詰将棋作家は余詰に戦々恐々していると思う。
 
(※6)…この能力(?)のおかげで将棋ソフトは即詰みのある局面は考慮時間ほぼ0秒で指してくる。
つまりソフトが考慮時間0で王手してきた場合はほぼ間違いなく「死刑宣告」と言える。
 
(※7)…1回だけ柿木将棋Ⅷが出品されているのを見た事があるが、その時は4万円(定価の約5倍!)の値がついていた。
おそらく柿木将棋Ⅷの生産数自体がかなり少なかったのだと思われる。
 
(※8)…あまりに複雑怪奇で長手数の作品だと「柿木先生」でも余詰を見逃したり、
そもそも詰みを証明できない、なんて事もあるらしい。
もし柿木将棋Ⅸが出るとしたら64ビット対応になるだろう(Ⅷより解析速度・精度が上がる事が期待される)から、
既にⅧを持っている詰将棋作家でもⅨを待ち望んでいる人は多いに違いない。