「天に召された」とか「神の元に召された」と表現するのが一番無難で適切なのだろうか。
加藤一二三九段が1月22日に帰天(カトリックにおける死。プロテスタントの場合「召天」と言うそうで、同じクリスチャンでもいろいろと差異がある)。将棋界に小さからぬ足跡を遺したまさに「レジェンド」であり「偉人」である。現役生活は62年、遺された記録も空前絶後のものが少なくない。そんな中持っているギネス記録は「同一の雑誌にパズルの問題(加藤九段の場合言うまでもなく詰将棋)を連載し続けた期間」というのが別の意味で凄い。
世間一般では「キャラの濃さ」が注目される人だったが、一方で物凄い気遣いの人という一面も持っていたりする。自分が知るエピソードとして、とあるタイトル戦の立会人を務めた時の事、対局室の床の間を見て旅館の女将に「床の間に花を一輪生けていただけますか?」とお願いしたそうである。「旅館の滝を止めさせた」とかいうエピソードは有名(?)だが、本当に「ただのジコチューおっさん」だったら「床の間に花を生けて」なんて手(しかも自分の対局ではない)は1秒も「読まない」だろう(ちなみに対局当日には「一輪」どころか「豪華な」花が生けられたそうである)。…もしかしたら「対局時の食事は常にうな重」という「定跡」も注文を取る職員を混乱させないための気遣いだったのかも知れない(一説には加藤九段がうな重以外の食事を頼むと「事件」とまで騒がれたとか)。
今の将棋ファンは彼の事を「ひふみん」と呼ぶ(SNS上で「ひふみん えいみん」と韻を踏んだ?コメントをしている人が間違いなくいると思う)。…「本人非公認の渾名は全て蔑称」という哲学(?)を持つ自分にとってこの呼称はいかがなものか、と常々思い続けてきたわけだが、当の本人が公認とまでいかなくても少なくとも嫌がっている風ではなかったので「まぁいいか」と半分諦めて(?)もいたのだが。
自分は生憎イベントとかで直接会った事はない。両国イベントで呼ばれた事やボートレース住之江とかでトークショーに出演された事はある(元ボートレーサーの加藤峻二との「Wレジェンド加藤対談」がついに実現しなかったのは実に残念だと思う…)が自分とは縁がなかった。
そういうわけなので(どういうわけなので?)加藤九段について語るのは他の人に任せて、自分は1人の将棋好きとして謹んでここに哀悼の意を表すものといたします。