「5分で分かることを45分しゃべる先生たちは無駄だよ」
自分が受け持っているクラスの生徒にこんな事を言われたら50%以上の確率でこのクソガキを絞めor殴り殺しているかも知れない。そこまで行かなくても「てめぇ基準でしか物を考えられないようなアホンダラは二度と学校に来るな!」くらいは言っているかも知れない。…自分の経験上こういう事を言うクソガキは結構な確率で成人後に「害毒」になっている【*1】ので、「蛇は卵のうちに殺せ」ではないがこういうクソガキは「この国の未来の為にも」何とかすべきではないか、と思う事がある。もっとも自分は「小学校の」教師になりたいと思った事は無いのでこの手のクソガキと接点を持つ可能性はほとんどなかった(中学生にこういうガキがいる確率は小学校よりは低そうだ)と思うが。
じゃあ当時の望み通り「中学校の」教師になっていたら良かったかと聞かれたら、今だったらハッキリと「ならなくて良かった」と断言できる。
理由を一言で言うなら「自分の考える教育方針と今の時代が求める教育方針が全く嚙み合わない」から。例えば今は電子機器(スマホとか)の普及率が異様に高く、それを用いた授業の導入も増えているが、自分は「子供のうちからそういうものを与えるのは愚の骨頂」だという考えは多分一生変わらない。もうちょっと柔らかい(?)言い方をするなら「物があるという前提での教育」はロクな大人しか生まない、と言ったところか。
コンビニ強盗やタクシー強盗みたいな所謂「はした金の為の犯罪」を目にするようになったのは比較的最近だが(自分の印象では「昭和の時代にはほとんど聞いた記憶がない」)、これも(日本が豊かになった事による)「物があるという前提での教育」の副産物だと思っている。つまり「物があるのが当たり前」故にその「当たり前の状況」を保つために手段を選ばない、人の痛みの分からない人間になってしまう(のが『物があるという前提での教育』の結果)、というわけ。今の日本に(日本に限った事ではないかも知れないが)「私欲に走る事しか考えない愚か者(政治屋など)」が絶えないのも理屈としては同じだと思う。…しかし、そういった考え(教育)を受け入れられる人というのは今の日本にはほとんど存在しないと思う。生徒本人もそうだが何よりその親が「物があるという前提での教育」で育った世代なので。
…他にも自分の考え方と今の世の中で「噛み合わない」と思われる要素は多い(ので書ききれない)。もし「今の世の中の方が正しい」というのであれば、それに合わせない人間は「生き残るための義務の放棄」とも言えるが、自分は今の(新しい)世の中の考えが全て正しいなどと思った事はない。所謂「新しい生活様式」ってのは(それこそ今流行?の「SDGs」とか「カーボンニュートラル」とかでさえも)一部の金の亡者が己の金儲けのために世間にかけた集団催眠だと思っているくらいだから。何でもかんでも新しいものに飛びつくのではなく、何が正しくて何が間違っているのかを流行などに流されず己の眼で見抜く力を養うべきだ…と言っても鼻で笑う奴の方が多いだろう。そういう奴等が己の過ちに気づくのは「中国からの砲撃が日本に着弾した時」(あるいはそうなった後でも気づかない)かも知れない… と某アニメのセリフをパクったような事を考えてしまう。
何だか仰々しい事を書いたが、もし自分が当時の望み通り学校教師になっていたとしたら今頃は(というか今から10年くらい前から)理想と現実の狭間で苦悶しまくっていたと思う。そして過度のストレスで体を壊すか、あるいは精神がメルトダウンを起こしていたかも知れない。もしそうなっていたら今頃「藤井聡太竜王名人」は誕生していなかったかも…?
*1:必ずしも犯罪者になるわけではなく、むしろ「犯罪者ではないがこの上なく癇に障る人間」になる可能性の方が高い。そういう奴ってのはかなりの高確率で「自分は頭のいい人間だ」「自分は選ばれた人間だ」みたいな事を考えている。