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態度や言葉遣いが異様に丁寧な人は「裏の顔」を持っている可能性が高い。

将棋のネット中継を見て思う

久々にABEMAの将棋チャンネルを見たような気がする。対局は勿論(?)叡王戦森下卓九段-青野照市九段戦

将棋の内容は自分が説明してもあまり意味がないのでそれ以外に気になったところをいくつか。

 

・評価値って結局何なのだろう?

ABEMA(で使用されているCOM)は評価値ではなく「勝率」で表示している。51:49(先手がちょっとだけ勝率がいい事の反映?)で開始し、形勢が傾くと有利な方の数字が大きくなる。…まぁ見た目にはわかりやすいのかも知れないが、先日の朝日杯などのように「1:99」とか「2:98」とかいう評価からでも逆転が容易に起こり得るのが将棋というゲームである。そしてそんなことが度々起こると

「99%(の勝率)って結局何なのだ?」

という事になってしまい、それこそ藤井聡太は常に99:1で固定」でもええんちゃうか? みたいな話にもなってしまう。

誰の言葉だか忘れたが(というより今の棋士なら誰でも言いそうな言葉だが)「同じ+1000点でも『間違えやすい+1000点』『間違えにくい+1000点』がある」というのがある。つまり「人間的に指しにくい手が最善手」「一見自然に見える手が実は疑問手」「一手を除いて他は全部悪手」なんてのは将棋では珍しくも何ともないのだが、そういった「指しにくい」とか「一見自然」とかいう概念が存在しないCOMが『間違えやすい+1000点』と『間違えにくい+1000点』を区別するのは多分永遠に無理っぽい。

そして「同じ局面でも人によって正解にたどり着ける可能性が変わるかも知れない」。単純に棋力の問題(難しい即詰みとか)もあるし、棋風による差もある。例えば「一見無理攻めだけど実はそれが最善手」という局面で攻めっ気たっぷりの人と受け将棋の人とで最善手にたどり着ける(≒勝つ)可能性が同じになるとは思えない(逆もしかり)。

そう考えると「評価値や候補手だけを表示する中継は何かが足りない」ように見えてしまう(このご時勢だし、COM評価値のみの中継も致し方ないところだが)。COMの示す候補手や評価値そのものは否定しないが、それに対し「でもこの手は○○さんの棋風じゃないですよね」

「これを1分将棋で読み切るのは大変です」

「勝率は98:2を指しているようですが、これは『間違える可能性が98%』くらいありますよ」

などといった「人間が指している将棋」という事を十分に理解している人の解説が加わる事で中継に厚みと深みが増す、と思う。そしてそれに脱線が加われば文句なし(笑)。

 

・「無礼なコメント」が実に多い

中継に書き込めるコメントは「見えていると鬱陶しい」ので基本的にOFFというのが自分のスタイルだが、たまにONにすると「見ていて不快になるコメント」に満ち溢れているのですぐにOFFにする。一言で言うと「無礼なコメント」が実に多い【*1】。

誰だったか忘れたが「野次を飛ばされるのも給料のうち」なんて事を言った人(多分プロ野球選手、でも記憶が曖昧…)がいたので、棋士に限らず「プロのプレイヤー」がそういう事を言われるのは「宿命」とも言える。…でも自分はそういう事を無条件に許容できない。

コメントでそういう事を平気で(?)書ける人というのはそのほとんどが「プロ棋士と会って実際に会話した事がない人」じゃないかと思う(大盤解説会で見ただけ、というのはダメ)。プロ棋士に限らず実際に話してその為人を体で感じるとその手の無礼なコメントが出てこなくなる、というか言いにくくなってしまう(逆に会った時の印象が悪いと無礼どころではないコメントが出かねない)という事は往々にしてある話。…中にはプロ棋士と話した事があった上で無礼なコメントを連発している人もいるのかも知れないが、だとしたらその人は相当の大物か相当の狂人のどちらか(九分九厘後者)だろう。

とは言え「プロ棋士と直接会話する」なんて機会はそうそうあるものでもない(今の情勢では特に)、言い換えるなら自分のような人のほうが少数派なのである意味「仕方ない」とも言えるが、それを差し引いても許容範囲を超えている発言が多いな、とも思う。もっとも無礼というとABEMAの「この手を指したら勝率が○%下がる」という表示プロ棋士に対し「あなたは最善手を指せました。えらいでちゅね~」と言っているみたいで無礼極まりないような気もするのだが(あれって非表示にできないの?)。

 

…じゃあ自分が藤井聡太と直接会って会話を交わしたら「アンチ藤井」の気持ちに変化が起きるのか? …個人的には「変化しない」と思う、というか「変化して欲しくない」と思う(笑)。

*1:将棋に限らず、例えばYouTubeのボートレースライブなどでも同様。