5月11日の北海道新聞に「かくも複雑で、天地が逆転した世界で」と題した中国人作家閻連科氏の「中国政府の言論封殺を憂慮」する手記が掲載されていた。
同じような事を訴える記事はネット上をうろつけばいくらでもぶち当たるが、ネット上や全国的なマスコミではなく北海道新聞という「ローカル紙」にこういう手記が載るというのは意味合いが変わってくるように思う。つまり、ネット上の記事は時に煽情的あるいは独善的な(つまり「事実を正確に伝えていない」)内容(推測)である事が多いし、大手マスコミの記事だと「忖度」によって内容を編集されている可能性すらある。だが「当事国(つまり中国)の国民が」「中国に忖度する可能性の低い(低そうな)ローカル紙に」掲載された、というのは凡百の記事(?)より内容の信頼度(つまり寄稿者の意に反する編集が行われていない)や深刻度が高いと見ていいと思う。何故寄稿先が北海道新聞なのか(閻氏と北海道にどういうつながりがあるのか)は分からなかったけど(もしかしたら他のマスコミにも持ち込んだが「忖度で却下された」のかも知れない)。
…当初はこういう記事を書くつもりであった。…と言うより12日の19時くらいには記事が完成して、あとは予約投稿にする(22時に公開されるのを待つ)だけ、というところまで来ていた。だが、その後たまたまその手記の「全文」を見つけ(12日付で道新のHPに全文と「原文」が掲載された。ブログの記事は11日付で同紙に掲載された「手記の一部抜粋」を基に書いた)、それを読んだ後に「違和感」を感じた。
…と言っても、先日某テレビ局であった「真逆編集」というようなものではない。道新に載った「抜粋」は一言で言えば「現在の中国の内情を憂えた文言をピックアップしたもの」、だが全文を読むと「コロナ禍によってこれまでの常識や価値観が打ち砕かれた事(への嘆き?)」がメインであるように感じた。もちろん「現在の中国の内情を憂慮」する内容はそのまま残っているし、閻氏が手記と一緒に
この文章は中国では発表できないし、香港でも一定の危険が伴う。中国の最近のいびつな愛国主義と民族主義は非常に恐ろしい
との談話を付したように、中国国内で発表したら恐るべき速度で中国当局によって閻氏は逮捕され、文章は削除される事必至な内容である事に違いはない(今の中国は「ノーベル文学賞の候補」と言われるような人でも体制を批判する人は抹殺しようとする国である事は自分などが語るまでもないだろう)。
…そういうわけなので、この手記の感想文(?)を当初の形で載せるのはちょっと違うかな、と思ったので書き直し(13日に上げる予定の記事を前倒しで12日に上げた)。…ただ、近々職場が再開しそうな雰囲気なのでもしかしたらそのまま放置される可能性があるかも知れませんが(笑)。