・絶対に勝てる相手にしか真剣(賭け将棋)を挑まない人
・勝算が50%くらい(あるいはそれ以下)の相手に勇んで真剣を挑む人
…こういう2人の人物がいた時、
「どちらの人物に魅力を感じるか?」
…もし前者の方に魅力を感じるのであればこの先は読まないで下さい。
実務的な話(?)でいうと「勝てる相手としか戦わない」というのは正解といえる。孫子にも「勝兵はまず勝ちて而る後に戦いを求む(勝つ見通しをつけてから戦え、要は『勝つか負けるか分からない戦いをするな』)」とあるし、基本的にどんな世界でも「勝たないと生き残れない」のだから。だが、そういうやり方しかできない人物は得てして周りからは「つまらない人物」とか「セコイ」などと見られやすい。「そういう人物を主人公とした物語」を想像すると分かると思うが、間違いなく「見て(読んで)いて退屈になる」はずである【*1】。反対に「死をも覚悟した行動を取る人物の物語」が見ていて退屈になる事はほとんどないはず。
…昨今の対COVID-19にしても【*2】、政策を称賛されている人は例外なく何らかのリスクを冒している(例えば自身の報酬をカットしたり、「効果は期待できるが裏目に出たら批判必至な政策」を打ち出したり)。
今の国会議員(の政策)に魅力(≒信用)がないのは結局のところ「彼等にリスクを冒す覚悟がないから」であり、そしてリスクを冒す覚悟がないのは前回書いたように「肩書に傷が付く事を嫌うから」である。ちょっと冷静に考えると「今リスクを冒しても(ダメージを負っても)将来それ以上のリターンが見込める」場合も多いのだが、肩書に傷が付く事を嫌う人間はその程度の事ですら気付く(想像する)事ができなくなってしまうのか、と思う。…肩書にはそのような「肩書の魔力」がこもっているのかも知れない。
そんな輩が国会議員でいられる理由は「その人が国会議員になる事で『おこぼれ』に与れる人がいる(票を入れてくれる)から」、ぶっちゃけ言うなら「議員に群がる犬」がいるからに他ならない。彼らが議員に向かって尻尾を振らないのは単に「彼等の体にそれがついていないから」でしかない。…自分は「人間」なのでそんなもののために票を入れた事はないし今後も入れるつもりはない。