前回の記事(疑問)に対する元M先生の回答は前回記事のコメント、要は「柿木方式」で書くのが適当、という事。…考えてみたら下図のような局面の「5三と」は補助記号で表現しようがない(安南将棋だと「全てのと金が5三に進める」事を確認して下さい)。
「5三と直」「5三と左(右)引」は辛うじて表現できるが【*1】、「それ以外の5三と」は正直どうにもならない。「3五と4五」「6五と7五」の区別が困難だし、「5二→5三と」は補助記号に「まっすぐ引く」を示すもの(要は「直」の反対)がない【*2】。それでも強引に符号を考えるなら…
5三と左行(駒を飛び越えずに前方に進むので)
5三と右跳(桂馬の動きで移動するので)
5三と直引(まっすぐ引く)
…意味不明度が増すだけなのでやめたほうがいい(笑)。素直に柿木方式で書きましょう。
ここから本題。「当たっている。」はおもちゃ箱の推理将棋のプレゼントに「当たっている。」(1日の朝に知った)。…解けたものだけ答えていただけ(以前も書いたが推理将棋は1問5分~10分考えて閃かない時はさっさと投げてしまう)なのに当たってしまった。
…で、「賞品リスト」を見ると沢山ある。さすがに「既に持っているもの(「岳麓」や「光速の詰将棋」とか)」はもらっても仕方ないが【*3】、それ以外だと「滅茶苦茶難易度の高そうなもの」ばかり。さてどうしたものか…(この記事がアップされる時間には既に決めてメール送信しています)
自分の「懸賞運」とでも言うべきものはどうなのか振り返る。正確な回数は覚えていないが生涯で何度か当たっている。中には「既に持っているゲーム」が当たって複雑な気分になった事もある。ボートレース場の「ペアボート乗艇権」も一応懸賞と言っていいだろう。ちなみに「裁判員制度」に当たった事はない(…それは懸賞とちゃうやろ)。
そう考えると他人と比べて「懸賞運はそんなに悪くはない」のかも知れない。ただ「それ以外の運」は人より良くないと思っている。森下九段は子供がプロ棋士を目指すにあたっての「周りの環境(特に人間関係)」を「運」と言う事があるが、それに倣うなら自分に「運(分かりやすく言い換えるなら『自分にとってプラスになる人との巡り合わせ』)」があったのは20代半ばまで、という事になるかも知れない。そして当時の自分はその「運」を生かすための努力をしていなかったわけだから我ながら度し難いと思う(自虐?)。
…アカン、こんなご時勢のせいなのか気が付くと発想がどんどん暗くなっていく。せめてゲーセンが開いていれば(まめにノスタルジアをプレイできれば)多少は気が晴れるのかも知れないが、緊急事態宣言は延長されそう(=ゲーセンの休業も延長されそう)なのでいろいろな意味で先は暗い。